第97話 旅館と布団と

 なぜ、春輝と露華が二つ並んだ布団の上で夜を迎えることになったのか。

 全ては、旅館のフロントでの会話から始まったと言えるだろう。


「大変申し訳ございません、本日となりますとお部屋の方が……」


 二人を前にして、仲居さんが申し訳無さそうに眉根を寄せる。

 その瞳には、ほんの少しだけ探るような光が垣間見えている……ような、気がした。


「一部屋だけなら、空きもあるのですが……」


 春輝と露華の関係を測りかねている、といったところだろうか。


「そうですか、それなら……」


 先程、部屋は二つ取ると露華に言ったばかりである。


 当然、春輝としては断ろうとしたのだが。


「なら、一部屋でオッケーでっす!」


 春輝の言葉を遮りながら、露華がギュッと腕に抱きついてきた。


「ねっ、お兄ちゃん?」


 春輝が抗議する前に、そう言ってウインク一つ。


「なるほど、ご兄妹でしたか……?」

「いや……」


 半ば反射的に、仲居さんの言葉を否定しようとした春輝だったが。


(……あれ? ここで否定するのは、ちょっとマズいんじゃないか……?)


 兄妹でないとすれば、どういう関係だというのか。

 恐らくそこまで突っ込んで尋ねてくることはないだろうが、訝しまれることは確かだろう。


 というか現時点で既に、仲居さんが春輝に向ける目には不審げな色が混じっているような気がした。

 気のせいだと思いたいところではあるが、余計な波風を立てるのも避けたい。


 ということで。


「そ、そうだな! うん、もちろん兄妹だし問題ないよな! ははっ!」


 若干棒読み気味に言って、頷く春輝であった。


「そんなわけなので、一部屋でよろしくお願いします!」


 半ば以上ヤケクソな気持ちと共に、仲居さんへと力強く告げる。


「それでは、こちらに記帳を」

「あ、はい……」


 促されるままに、ペンを取って必要事項を記入しながら。


(まぁ実際、兄妹みたいなもんだって言っても過言ではないよな。『家族』なんだしさ)


 そう考えて、自分を納得させた。


「露華ちゃん、あんま困らせないでくれよ……」


 とはいえ、仲居さんが手続きのために背を向けた隙に小声で抗議は送っておく。


「およ? 親子ってことにした方が良かったかにゃあ?」


 すると、露華はニンマリと笑った。


「今からでも、そう訂正しようか? パァパ?」

「それだと完全にだと思われるからやめなさい……!」


 耳元で囁いてくる露華に、春輝は半笑いで返す。


「おや……? 今、何やら『パパ』とか聞こえたような……?」

『っ!?』


 そこで仲居さんが不審そうに振り返ってきたので、二人して頬を引き攣らせた。


「あははっ! いやその、ウチらのパパの話をしてて! ねっ、春……お兄ちゃん!?」

「あぁうん、そうなんです! 明日は親父何時に帰ってくるかなぁ、なんてね! ははっ!」


 ちょっと焦った表情で言い繕う露華に、春輝も早口で続く。


「あら、そうでしたか」


 納得した様子で、仲居さんは頬に手を当てた。


「仲の良いご家族なんですね」


 次いで微笑ましげに言ってくる仲居さんに、春輝と露華は一度顔を見合わせて。


『はいっ』


 二人に同時に、笑顔で頷いた。



   ◆   ◆   ◆



 といった風にフロントで一悶着はありつつも、部屋に案内されて。


「春輝クン、ここ温泉あるんだって! 行ってみよ行ってみよっ!」


 館内案内に目を通していた露華から、そんな提案が上がる。


「そうだな、せっかくだし」


 春輝も、軽い調子で頷いた。


「にひひっ、残念ながら混浴じゃないみたいだけどね?」

「たとえ混浴だったとしても、一緒には入らねぇよ……」

「えー? でもウチら、前にも一緒に入った仲っしょ?」

「あれは『一緒に入った』ってカテゴリにはにならないだろ……入ってきたかと思えばすぐ出てったし……つーか、自分からそれを言ってくのか……」

「ふっ……ウチもついにあの件を乗り越えたってことよ」

「顔、赤くなってるけど……」


 なんて会話を交わしながら、浴場へと向かい。



   ◆   ◆   ◆



 そして、温泉を堪能した後には。


「温泉といえば、卓球だよね! 卓球やろうよ、卓球!」

「それは普通、風呂に入る前にやるものなんじゃないか……?」

「いーじゃんいーじゃん、やりたいと思った時がやるべき時なんだよ」

「なんか名言っぽく言うなよ……」

「中学時代に部活で鍛えた卓球の腕、見せてあげるんだから」

「ん? 卓球部だったの?」

「や、将棋同好会だったけど半分くらいは卓球やってたからさ」

「同好会らしい緩さだな……」


 そんなやり取りを挟んでから、結局卓球に興じ。


   ◆   ◆   ◆


 そうこうしているうちに、夕食の準備が出来たということで大広間に向かう。


「おー、めっちゃ豪華だね!」

「夕食付きのプランにして良かったな」

「春輝クン、まずはビールっしょ? お酌、してあげるね」

「おっ、悪いね。ありがとう」

「ささっ、グッといっちゃって!」

「なんかちょっと気になるノリだな……んっ……プハッ!」

「ヒュウ、いい飲みっぷり! せっかくだし、次ドンペリいっちゃう?」

「たぶん置いてないだろドンペリ……つーか、そのノリやめてもらえる!? なんか周りが『もしかしてコイツら……』みたいな目になってきてる気がするから!」

「あっ、ごめんごめん。店の外だもんねっ」

「完全にそっちに寄せるな!」


   ◆   ◆   ◆


 ……と。

 この辺りまでは、ある意味で順調だったと言えよう。


 露華も演技ではしゃいでいるわけではなさそうで、良い気分転換になっていたと思う。


 問題は夕食の後、部屋に戻ってのことである。


『……あ』


 を見て、春輝と露華の声が綺麗にハモった。


 夕食の間に用意してくれたらしく、布団が敷かれていた。

 それも、二セット。


 一部屋に二人で取っているのだから、当然ではある。

 しかしほとんど隙間なく並べられたその光景を見ると、今夜同じ部屋で眠るのだという事実が否応無しに意識させられた。


「あっ、ははー……布団、近いねー」

「ははっ、近いな……」


 二人してぎこちない笑みを浮かべて、見たままの感想を発する。


「もうちょっと、離そうか……」


 苦笑と共に、部屋の中へと足を踏み入れる春輝。


「待って!」


 その手首が、後ろから掴まれた。


「ん……?」

「あ……」


 疑問を浮かべながら振り返ると、小さく口を開いた露華と目が合う。

 どうにもその表情は、自分でもどうしてそんな行動を取ったのかわからない、といった風に見えた。


「あー……っと」


 露華は手を離し、取り繕うように自身の頬を掻く。


「ま、いんじゃない? このままでもさ」


 春輝から目を逸らしながら、そんなことを口にする露華。


「ほら、せっかく綺麗に敷いてくれてるんだしね!」


 それから、早口で言いながらズイッと迫ってくる。


「その労力を無駄にするのも、なんかアレじゃん!? ねっ!」

「お、おぅ……」


 言っている意味はよくわからなかったが、勢いに押されて思わず頷いてしまった。


「ま、まぁアレだよな。兄妹ってことにしてるし、仕方ないよな」

「うんうん、その通りだねっ!」


 自分でも何が『仕方ない』のかよくわかっていない春輝の言葉に、露華が大きく頷く。


「………………」

「………………」


 その後には、妙な気恥ずかしさを伴う沈黙が訪れた。

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