第96話 大人と覚悟と

 ──だったら、春輝クンは

 ──ウチが、このままずっと遠くに逃げちゃいたいって言ったら

 ──それに、付き合ってくれんの?


 ──うん、付き合うよ


 そんな、やり取りを交わして。


「……へ?」


 先程以上に呆けた表情となる露華。


「俺は、君がそう望むなら」


 一方の春輝は、口元に笑みを浮かべたまま。


「このまま、どこか知らない街に行ってそこで暮らしてもいいと思ってる」


 心からの言葉を発した。


 十年前とは違う。

 今の春輝はもう、一つのコミュニティに縛られたりはしていない。


 そして……言葉だけではなく、責任も取れる立場にあると思っていた。


「……あ、ははっ」


 露華が引きつり気味に笑う。


「何言ってんのさー、もう」


 それから、笑い飛ばす……には少々勢いが足りない、ぎこちない笑みと共に手を振った。


「ほら、会社とか! どうすんのさ!」

「この業界、スキルさえ持ってりゃ割と売り手市場だからな。再就職先なんてすぐに見つかるさ。ある日突然いなくなる人だって、そんなに珍しいわけでもないし」

「や、でも、住むとことかさ!」

「それも、そこまで難しいことでもない」

「でも……その……」


 そこで、一気に露華の声がトーンダウンする。


「お姉と、白亜のことは……どうするの?」


 俯き気味となった後、上目遣いで春輝の顔へと視線を向けてきた。


「それなー」


 実際そこが最大の懸念点ではあるので、頬を掻きながら考える。


「ま、みんなで引っ越してもいいし……実際のとこは、別に住む場所まで変えなくても他の学校に編入するだけでもいいかもしれない。仮に別に暮らすことになったとしても今生の別れってわけじゃないんだし、やりようはいくらでもあるさ」


 かなり漠然とした内容でしかなかったが、実際今の段階で言えるのはこんなところであろう。


「でも……だって、そんな……」


 何かを言いたいが、何と言えばいいのかわからない。


 そんな表情で、露華は口をパクパクとさせていた。


「………………本気、なの?」


 たっぷり間を空けた後、恐る恐るといった様子で尋ねてくる。


「あぁ、本気さ」


 今度も、春輝は躊躇なく頷いた。


 『家族』のために、そこまでする覚悟もあった。


「ウチ、は……」


 露華は、迷うように視線を左右へと彷徨わせる。


「もちろん、今すぐに決めろなんて言わないよ」


 今回は春輝の意思を伝えたかっただけであり、答えまで求めるつもりはなかった。


 とはいえ。


(このまま、家に……これまで通りの『日常』に戻ると、たぶんこの子は我慢してでも学校に行く方向に気持ちが傾いちゃうだろうな。心配、かけないように)


 それは予想でしかなかったが、半ば以上そうなるだろうという確信も抱いている。

 学校での問題を話さなかったのも、春輝たちに心配をかけたくないという思いが大きかったがゆえのことなのだろうから。


「ゆっくり、考えられるようにさ。今晩は、この辺りの宿に泊まろうか」

「あぁ、うん……」


 露華は未だ悩ましげな表情で、曖昧に頷く。


「………………って、はい!?」


 かと思えばハッと何かに気付いた様子で、見開いた目を春輝の方に向けてきた。


「今、泊まるって言った!?」

「えっ……? うん、言ったけど……?」


 やけにオーバーなリアクションに、春輝は小さく首を撚る。


「それって……」


 顔を赤くして、自らの指をモジモジと絡ませていた露華であったが。


「……あー」


 春輝の顔をチラチラと見ているうちに、その表情が何とも微妙なものに変化し始めた。


「春輝クンだもんねー、なんてないよねー」


 最終的に、諦めの滲んだ苦笑に至る。


「そんな意図……?」


 オウム返しに呟いてから、春輝もピンときた。


「ははっ、『家族』相手に変なこと考えるわけないだろ? ちゃんと部屋も二つ取るしさ」

「はいはい、ですよねー」


 春輝としては安心させるための発言だったのだが、露華はなぜかジト目を向けてくる。


「ま、せっかくだしお言葉に甘えるよ。どうせ明日は祝日でお休みだし」


 それから、気を取り直したような表情となって春輝に背を向けた。


「ほら、あそこの旅館とかいい感じそうじゃない?」


 と、海沿いにあるやや古びた感じの建物を指差す。


「そうだな、とりあえず部屋が空いてるか聞いてみよう」

「オッケー」


 そんな会話を交わしながら、件の旅館へと向かう二人。


「ってかウチ、旅館に泊まるのとか初めてかも? テンション上がるわー」


 笑顔を浮かべる露華ではあるが、やはり迷いは晴れていない様子であった。


 それはそうだろうと思うし、それでいいとも春輝は思っている。


(どんな答えを出しても……俺は、それを受け入れよう)


 そう、心に決めていたから。



   ◆   ◆   ◆



 ……と、この辺りまでは『大人』としての態度を貫いていた春輝であったが。


 その日の夜には。


「えっと……春輝クン」

「な、何かなっ?」

「そろそろ、寝よっか!」

「あ、うん、そうだなっ!」


 二つ並んだ布団の上に座り、露華と共に若干裏返り気味の声で会話を交わしていた。


 なぜ、このような状況になったのか。

 時は、少し遡る。

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