第95話 砂浜と子供と
レンタルした車に露華と共に乗り込み、走り出す。
目的地は、特に定めていなかった。
だから、進路は適当。
速度も程々。
気になるところがあれば止まり、行きたい場所が見つかればそこに向かってみる。
美術館を見つけて興味本位で入ってみたり、何の変哲もない公園に寄ってみたり。
お昼時にはたまたま目についた定食屋に入って、微妙な味を前に二人して微妙な表情となり。
走行中は、他愛もない会話で盛り上がることもあった。
お互いに、何も喋らない時間もあった。
けれど、それだって居心地の悪い沈黙ではなかった。
あちこちに寄り道しながら、見慣れない風景の中で車を走らせる。
そんな風に、とにかく遠くへ遠くへと進んでいって。
◆ ◆ ◆
空が赤く染まり始める頃、二人は砂浜の上を歩いていた。
何という名前の浜なのかも知らないし、ここがどこなのかという正確な位置もわからない。
例によって適当に進んだ結果ここに辿り着き、思い付きで降り立っただけである。
「うーみー!」
波打ち際まで来たところで、露華が沖合に向かって叫んだ。
「ほら、春輝クンも! うーみー、ってやらないと!」
それから、テンションも高くバンバンと春輝の背を叩いてくる。
「やらないと、ってことはないだろ」
そう返しながら、春輝は軽く笑った。
「いやー、やらないとでしょ。だって、アニメだと大体みんなやってるもんね」
「アニメをソースにするなよ……」
俺が言えた義理でもないけどな……と、言いながら思って小さく苦笑。
「他に誰もいないんだし、恥ずかしがることないじゃん?」
露華の言う通り、周囲を見渡す限り二人以外の人影は見当たらない。
オンシーズンにはまだ遠く、平日の夕方ともなればさもありなんといったところであろう。
(……そういや、最後に思いっきり叫んだのなんていつだろうな?)
そう考えて、ふっと春輝は微笑んだ。
「そうだな、せっかくだしやってみるか」
「オッケー。ほんじゃ、一緒にね」
露華と一つ、頷き合って。
『うーみー!』
声を合わせて、海に向かって大きく叫ぶ。
「ふふっ」
「ははっ」
そして、どちらからともなく笑い合った。
「ね? 結構気持ちいいっしょ?」
「あぁ、確かに」
実際、悪い気分ではない。
なんとなく爽快な気持ちだった。
「……春輝クン」
ふと表情を改めた露華が、春輝の顔を見上げてくる。
「ありがとね」
その口元は、微笑みを形作っていた。
「気分転換、十分出来たよ。おかげで、明日からまた頑張れる」
そう言いつつも、彼女の表情はしかし未だ完全に晴れやかなものとは言えない……そんな風に見えるのは、春輝の気のせいではないと思う。
(頑張れる……か)
その言葉選びが、彼女の心情の表れであるように思えた。
「別に、頑張る必要はないと思うよ」
だから、春輝はそう返す。
「……え?」
すると、露華はポカンと口を開けた。
「いや……それも語弊があるか」
その表情がなんだかおかしくて、春輝は小さく笑う。
「そこで、無理してまで頑張る必要があるとは限らない……ってところかな?」
「……どういうこと?」
ますます不思議そうな顔を浮かべる露華。
「俺も、高校生の頃とかはそうだったんだけどさ」
懐かしさに目を細めながら、春輝は語り始める。
「君くらいの年頃ならどうしても、学校って空間が世界の大半になっちゃうよな」
そして、実のところ。
「そこに居場所を見つけられないと、どうしようもなく辛くなっちゃうよな」
春輝にとっては、これこそが露華を連れ出した『本題』であった。
「だけど、大人になったらわかるんだ」
したり顔でこんなことを語るなど、気恥ずかしい気持ちもある。
「学校なんてのは単なるコミュニティの一つでしかなかった、ってね」
けれど今だけは、『大人』ぶって語ってみせるつもりだった。
「学校ってのはまぁ行くに越したことはないけど、行かなかったところでどうとでもなるもんさ。学校の外にも、世界は無限に広がってるんだから。車に乗れば……それどころか、歩いてだって。ちょっといつもと違う方向に踏み出せば、いつだって見たことのない場所に行ける」
たぶんこれが、かつて貫奈に伝えたかったことだったのだと思う。
彼女を遊びに誘ったのも、漠然としたそんな想いの表れだったのだろう。
けれど当時の春輝では、それをハッキリとさせることは出来なかった。
それに……仮に言語化出来ていたとしても。無責任な発言にしかならなかったに違いない。
他ならぬ春輝自身も、あの頃は学校というコミュニティに縛られていたのだから。
「……そんなの」
少しの間を置いた後、露華は唇を尖らせる。
「そんなの、ウチだってわかってるけど」
拗ねたような、いつもよりずっと幼い印象に見える表情。
「だけど、現実問題さ。高校生なんて、高校生やるしかほとんど選択肢ないじゃん」
彼女言う通り、現実は先程春輝が言ったように簡単なものではない。
「お姉や白亜に迷惑かけちゃうかもしれないし……それに」
スッと露華が視線を外した。
「せっかく、春輝クンのおかげでまた行けるようになった高校なんだし」
恐らく彼女を最も縛っているのは、その優しさなのだろう。
他者を気遣うがゆえに、自分が我慢してしまう。
それは間違いなく、彼女の美徳ではあるのだが。
「いいんじゃないか? たまには、我儘言ったって」
あえて、至極軽い口調で返す。
「我儘って……そういうレベルの話じゃないっしょ」
露華は、どこか弱々しい苦笑を浮かべた。
「大人からすりゃ、そういうレベルの話さ」
肩をすくめて見せる。
「……だったら、春輝クンは」
冗談めかす春輝へと再び向けられた露華の目には、試すような光が感じられた。
「ウチが、このままずっと遠くに逃げちゃいたいって言ったら……それに、付き合ってくれんの?」
言外に、「無理だろう」と言いたげな口調。
だからこそ。
「うん、付き合うよ」
春輝は、躊躇なく頷いた。
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