第92話 端緒と告白と

 貫奈と初めて二人で出かけたあの日から、十年と少しの時が経過して。


 あの時と同じファミレスの中で、同じように春輝と貫奈は向かい合っていた。


「なんつーか……悪かったな、今更だけど」


 そう言いながら、春輝は苦笑を浮かべる。


「何ですか、急に?」


 前フリも何もない謝罪だったためだろう、貫奈は不思議そうに小首を傾げた。


「いや、高校時代……お前が、クラスで孤立してた時さ。結局俺は、マジで何の役にも立てなかったなって。今日、改めて思い出したんだよ」

「……そんなことは、ありませんよ」


 ゆっくりと首を横に振る貫奈。


「先輩の言葉に……先輩の存在に」


 真っ直ぐ、春輝の目を見つめてくる。


「私は、救われたんですから」


 そして、微笑んだ。


「……ははっ、大げさだな」


 一瞬それに目を奪われた後、春輝は苦笑を深める。


「大げさじゃないです」


 貫奈もまた、微笑みを深めた。


「あの頃、実は先輩以外の人たちにも相談していたんですよ。どうすれば友達が出来るのか……親とか先生とか、中学時代の友達とかに」

「まぁ、それはそうだろうな」


 常識的に考えて、唯一の相談相手が図書室でだけ会う上級生ということはあるまい。


「みんな、友達を作る方法とかを色々と助言してくれて……ありがたかったんですけど、同時にプレッシャーでもあったんです。アドバイスしてくれた人たちのためにも、早く友達を作らないとって」

「……そうだったのか」


 そんな苦悩まであったのを見抜けていなかったことを、今更ながらに不甲斐なく思う。


「でも、先輩は違いました」


 そんな春輝の内心を見透かしたかのように、貫奈は小さく笑った。


「友達って、そんなに必要か? って、言われて。ふと、自分は『友達を作らないと』って気持ちだけが先行していたような気がしてきたんです。先輩の言葉のおかげで、手段と目的が逆転してることに気付けたといいますか……いないならいないでまぁいいんじゃないかな、って考えられるようになりました」

「……たぶん俺、そこまで考えて言ったわけじゃないと思うぞ?」


 当時のことを思い出すと、今でも少し胸がムズムズする。


 あの時の自分が、本当に言いたかったことは何なのか。


 十年以上が経過して尚、未だ言葉に出来なかった。


「だからこそ、よかったのかもですね」


 そんな春輝さえをも、貫奈は肯定的に捉えているようだ。


「それに、最悪友達が出来なくたって図書室に行けば先輩とは話せるわけですし……って。そう考えたら、一歩踏み出せたんです」


 懐かしげに、目を細める貫奈。


「先輩が、私の居場所でいてくれたおかげですよ」

「……居場所、か」


 何かが、繋がりそうな感覚があった。


 当時の自分が言いたかったことが、もう少しで言語化出来そうな手応え。


 そして、これは薄っすらとした予感でしかなかったが。


 これが、露華の問題にも繋がるような気がした。


「……ありがとな、桃井」


 あの頃よりずっと気心が知れた相手に、礼を言う。


「ホントは今日、もっと別のプランがあったんだろ? なのに……俺が悩んでるのを見て、気分転換でもしろって伝えてくれたんだよな」


 かつての春輝が、そうしたように。


「それも、あります」

「それ、……?」


 けれど貫奈の物言いは、更なる含みがあるものだった。


「でも実際のところは、自分のためっていうのが大きいですね」

「……?」


 今回の『デート』で貫奈に得たものがあるとは思えず、春輝は首を捻る。


「初心を、思い出したかったんです」


 クスリと、貫奈は少しイタズラっぽく笑った。


「先輩、十年前のここで……私、言いましたよね? 図書室のあの場所に行って良かった、って。先輩に会えたから、って」

「あぁ、覚えてるよ」


 当時の鼓動の高鳴りも、よく思い出せる。


 己の勘違いを、恥じる気持ちと共に。


「あの時、先輩……それが私からの告白だって、思いませんでした?」

「……あぁ」


 まさしくその点を突かれ、春輝はまた苦笑を浮かべた。


「それ」


 貫奈が、春輝の胸の辺りを指差す。


「あながち勘違いってわけでも、なかったんですよ?」

「………………へ?」


 思わぬ言葉に、間抜けな声が漏れた。


「たぶん……あの頃にはもう、先輩のことを好きになり始めてましたから」


 してやったり、とばかりに貫奈は笑みを深める。


「その気持ちをハッキリ自覚してからも、伝える勇気は出ませんでしたけどね」


 それが、苦笑気味に変化した。


「そのまま、十年もヘタレてしまいました」


 次いで、再び微笑みに。


「でも」


 芯の通った、揺るがない表情。


「先日、ようやく言えました」


 それは、仕事中に見せる『出来る女』に近い雰囲気だ。


「いつから、先輩への感情が変化したのか……私自身、思い出せません。たぶん、明確なきっかけがあったわけではないと思うんです」


 その先の話の流れは、見えたが気がした。


「初めて出会った頃は、なんだかオタクっぽい先輩だなって思ったくらいでした」

「今の流れで俺をディスる方向にいくこととかある?」


 気のせいだった。


(なんか、昔もこんな感じのことを思った気がするな……)


 貫奈と出会った頃のことを思い出す


「いい意味で、ですよ」

「何でもかんでも『いい意味』って付ければ通るわけじゃないからな?」


 あの頃に比べれば、随分と気安い会話を交わすようになったものだと思う。


「いやいや、本当に……そんな先輩だからこそ、一緒にいると私も自然体でいられて。最初はただ安心するだけだったのが、いつしかドキドキするようになっていって」


 貫奈の目が、真っ直ぐに春輝を見据える。


「いつの間にか、私が先輩に抱く感情は」


 紅潮した頬。


「恋に、なっていました」


 少し、瞳は潤んでいて。


「先輩」


 嗚呼、その表情はまさしく。




「好きです」




 恋する女性の、それだった。


「あの頃から、ずっと」


 きっと、春輝が気付いていなかっただけで。


「あの頃より、ずっと」


 彼女が春輝に向ける表情は、ずっとだったのだろうと思う。


「好きですよ、先輩」


 そんな彼女の姿が、春輝にはとても眩しく見える。


「桃井……お前、いい女になったよな」


 本心からの言葉であった。


「だとすれば、先輩のおかげですよ」


 そんなわけはないと思うけれど、彼女がそう考えてくれていることはきっと事実で。


「ありがとう」


 その気持ちに対して、礼を言わずにはいられなかった。


「そんで」


 そこから先を口にするのは、酷く気が重かったけれど。


「ごめんな」


 そう伝えるのが、今の自分に出来る精一杯の誠意だと思った。


「今は自分の恋愛とかそういうの、考えられそうにないんだ」


 直近の露華の件もそうだが、それだけではなく。

 小桜姉妹が春輝の家に住んでいる間は、本当の意味で彼女たちの柵が消えたとは言えないだろう。

 いつか、全てが解決して……三人が、春輝の元を離れるその日まで。

 自身のことよりも彼女たちのことを優先したいと考えていた。

 そんな状況で誰かと恋愛関係になるというのは、相手に対しても不誠実だと思う。


「………………そう、ですか」


 少しの沈黙を経た後に、貫奈は俯いた。


「ですが」


 かと思えば、すぐに顔を上げる。


「『今は』ということは、いずれ考えていただけるということですよね?」

「え……?」


 思わぬ返しに、春輝は言葉に詰まった。


「まぁ、そう……なの、かな?」


 今のところあまり想像は出来ないが、小桜姉妹の問題が完全に解決したならば自身の恋愛について考える時も来る……の、かもしれない。


「なら、それまで待ちますよ」


 貫奈が浮かべる笑みには、力強さが感じられる。


「十年、片思いを続けたんです。今更、もう少し続いたところで変わりませんよ」

「そう……なの?」


 肯定も否定もしづらく、結局返答は疑問混じりのものとなった。


「そうなんです」


 貫奈は淀みなく言い切る。


「と、いうわけで」


 そして、春輝に向けて手を差し出してきた。


「今度ともよろしくお願いしますね、先輩?」

「えっ、あぁ、うん……」


 勢いに押される形で、その手を取る。


「よろしく……?」

「はいっ!」


 曖昧な調子の春輝に対して、貫奈はやはり力強く頷くのだった。

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