第89話 追憶と会遇と

 人見春輝、十六歳。


 彼は、どこにでもいるような普通の高校生であった。


 成績はそれなり。

 運動は、得意でも苦手でもない。

 不真面目ではないが、そこまで真面目とも言えない。

 多くはないが友達もいて、孤立しているわけでもない。

 隠れオタクではあったが、それも特段珍しい特徴でもないだろう。


 事件らしい事件もない、穏やかで、平凡で……アニメや漫画の世界とは程遠い、毎日が続く日々。


 そこに少しだけ変化が生じたのは、二年生に進級してしばらく経った頃のことであった。


 図書室の、一番奥の一角。

 少し薄暗いし、見つけづらい位置にあるので滅多に人が来ることもない。

 そんな場所でライトノベルや漫画を読みつつ昼休みを過ごすのが、春輝の日常であった。

 ここなら、人が来る気配を察すればすぐに本を隠すことも可能だったから。


「……ここに人がいるとは、珍しいな」


 ゆえに、先客がいることに驚いて思わず声に出して呟いてしまった。


「あっ……」


 座って本に目を落としていた少女は、ビクッと震えて腰を浮かせた。


「す、すみません、先輩の席でしたか……?」


 そして、怯えた様子で尋ねてくる。


(……先輩?)


 慣れない呼称に一瞬戸惑うも、制服のリボンの色から彼女が新一年生であることを理解した。


「いや、別に予約とかあるわけじゃないし。誰の席ってわけでもないから、座ってくれてていいよ」

「あ、はい……」


 春輝の答えに、少女はおずおずと座り直す。


「……ここ、座っても?」


 一瞬迷った後、春輝は彼女の斜め向かいの椅子に手をかけて尋ねた。


 初対面の、しかも女の子と同じ空間にいることに若干の居心地の悪さは感じるが、読みかけのライトノベルの続きが気になる気持ちの方が勝った形である。


「も、もちろん、どうぞ……!」


 少女は、春輝に向けてペコペコと頭を下げた。


(……なんか俺、ビビらせちゃってるか?)


 そうは思ったものの、別段悪いことをしているわけではないだろうと開き直る。


 というか、今の優先事項は見知らぬ下級生よりもライトノベルの続きである。


(表紙が見えないように、机で隠す感じで読んでればバレないだろ)


 一応少女の方を警戒しながら、栞を挟んでいるページを開いた。


 チラチラと視線を感じるのは少し気になったが、すぐに物語に没入していく。


(まぁ最悪、この子にオタバレしたところでたぶんもう会うこともないだろうしな……)


 頭の片隅で、そんな風に思った。



   ◆   ◆   ◆



 これが、最初の出会い。


 後に振り返れば、この時の春輝の考えは概ね全てが間違いであったと言える。


 別段彼女は春輝にビビっていたわけではなく、単に人見知りなだけだったし。

 ライトノベルを取り出した際に、彼女から余裕でその表紙は見えていたし。


 結局、彼女とはこの後十年以上の付き合いとなるのだから。



   ◆   ◆   ◆



 それどころか、次に顔を合わせたのは早くも翌日のことである。


(……また、いるのか)


 その日の昼休みも、春輝は昨日と全く同じ席に座る少女を目にすることとなった。


「あ、どうも先輩……こんにちは」

「ども」


 ペコリと頭を下げてきた少女に、軽く会釈を返す。


 やり取りは、それだけであった。


 春輝はライトノベルを取り出し、若干視線が気になりつつも読み進める。



   ◆   ◆   ◆



 そんな光景が、一週間に亘って繰り返された。


 変化といえば、当初お互いに持っていた緊張感のようなものが薄れてきたこと。


 それから、少女からの視線が徐々に露骨になってきたことだ。

 最初はチラチラ窺う程度だったものが、今ではジーッと見つめられる程になっているのだ。


「……俺に、何か用でも?」


 流石に気になって、春輝は初日以来となる挨拶以外の言葉を送った。


「あっ、す、すみません……!」


 恐縮した様子で、少女はペコペコと何度も頭を下げてくる。


「いや、別に謝る必要はないんだけど……」


 そんな風にされるとまるで後輩イジメでもしているようで、なんとなく気まずい。


「ただ、何か言いたいことでもあるなら言ってくれればと思ってさ。別に遠慮とか、しなくていいから。何でも言ってよ」


 極力優しく聞こえるような声色を意識したが、本当に出来ていたか自信はなかった。


「あっ、はい、では……」


 ともあれ、少女の口を開かせることには成功したようだ。


「先輩って、友達いるんですか?」

「マジで遠慮ない質問来たな」


 そして、ストレートに失礼な物言いに若干面食らった。


「あっあっ、違うんです! そういう意味じゃなくて!」


 彼女も己の言葉の意味にようやく気付いたのか、慌てた調子で手を横に振る。


「あの、私、友達がいなくて……」

「……なるほど?」


 なんとなく、話の筋は見えてきたような気がした。


「それで今、イマジナリーフレンドの作り方を勉強しているんですけど」


 気のせいだった。


「それはそれとして、やっぱり普通に友達も欲しくて」


 と思ったら、一応思っていた通りの方向でもあったようだ。


「それで、先輩に友達の作り方をご教示いただければと……」

「……なるほど」


 春輝は、もう一度頷くも。


(いやこれ、相談相手を完全に間違えてるよな……毎日の昼休みをここに来て一人で過ごしてるような奴が、コミュ力強者なわけないだろうよ……)


 内心では、そんなことを考えてた。


(うーん、友達の作り方なぁ……せめて、ネットで検索させて欲しい……って、まぁ普通に考えりゃこの子だって俺に聞く前に検索くらいしてるか……)


 春輝は、己を極度の面倒くさがり屋かつ事なかれ主義であると自負している。


 しかし、ここで「知らんがな」と言える程に冷たくもなければ肝が太くもなかった。


「あれじゃないか? 趣味を共有出来る相手を探したりすればいいんじゃないか?」


 もっとも、有効な策を提示出来たかといえば甚だ疑問ではあったが。


「趣味、ですか……」


 噛みしめるように呟いてから、少女は再びジッと春輝の方を見てきた。


 より正確に言えば、春輝の顔と手元──開いたライトノベルを手にしたままである──へと、交互に目をやっているようだ。


「……あの、先輩」


 それから、おずおずと呼びかけてきた。


「お名前、伺ってもよろしいですか?」

「ん? あぁ……」


 春輝もその段に至って、そういえばお互いの名前も知らないことに気付く。


「人見だよ。人見春輝」

「あっ、はい、人見先輩。私は桃井貫奈です」


 こうして、一週間目にしてようやく自己紹介を済ませた二人であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る