第45話 来訪と落涙と
どっぷり日も沈んだ後の、人見家。
「……ただいま」
明かりの灯った玄関を、伊織は暗い顔でくぐった。
いつもは暖かく見える家の中が、どこか寒々しく感じられる。
「おかえり、お姉」
「……おかえり」
それは、迎えてくれた妹たちもまた暗い顔をしているからか。
「……春輝さんは?」
「今、いないみたいだね」
「一回帰ってきたっぽい形跡はあった」
あるいは、この家の象徴たる人が不在だからなのか。
「二人共、その……お金はどう……?」
妹たちにまでこんな話をしなければいけないのを心苦しく思いつつ、尋ねる。
「どうにか前借りしてきたけど……やっぱバイトじゃ、たかが知れてるっていうか……」
「わたしも、視聴者さんが入れてくれたお金を下ろしてきたけど……」
二人はそれぞれ封筒を手にしていたが、何とも心もとない薄さだ。
そしてそれは、伊織が今日までのダブルワークでの賃金を全て入れてきた封筒も例外ではない。
(春輝さん……)
それをギュッと握りしめ、想い人の姿を思い浮かべる。
最後に会ったのは、今日の昼。
──待っててくれ
彼は、別れ際にそう言って店を出ていった。
(春輝さんが来てくれたところで、どうなるものでもないけど……)
それでも、彼がここにいてくれればきっともう少しは落ち着けるだろうと思う。
が、しかし。
ピンポーン。
インターフォンの音が鳴った。
春輝なら直接入ってくるはず。
ということは、その時が訪れたということだ。
「……はい」
恐る恐る、伊織が玄関の扉を開ける。
「どうもどうも、こんばんわ」
すると、にこやかな男が顔を覗かせた。
だが身長は伊織よりも頭二つ分以上高く、それも筋骨隆々の巨体……ともなれば、親しみやすさよりも恐怖の方が上回る。
頬に大きな傷跡まであるとなると尚更だ。
やけに小さく見える細身の眼鏡も、凄みを増すのに寄与している。
だが、恐らくはあえてそういう人選をしているのだろう。
「今日は、有意義なお話が出来るといいですねぇ」
彼こそが、小桜家の債権を握っている会社の担当者……芦田であった。
◆ ◆ ◆
「……どうぞ」
場所を玄関からリビングに移し、伊織が芦田へとお茶を出す。
「いやぁ、これは気を使わせてしまってすみませんねぇ」
相変わらず芦田は胡散臭い程にニコニコしており、ともすれば『強面だけど気の良いおじさん』といった雰囲気と取れなくもない。
だが。
「それでは、早速本題に入らせていただきますが」
細くなっていた目が少し見開かれただけで、彼の纏う凄みが増す。
「お金の方は、ご用意いただけましたか?」
「……はい」
気圧されながらも、伊織はゴクリと喉を鳴らしてから封筒を差し出した。
「今日までに用意出来たのは、これだけです」
そして、深く頭を下げる。
一瞬遅れて、露華と白亜も伊織に続いた。
「残りも必ずお返ししますので、どうか家の売却だけは待っていただけませんか!」
頭上から、芦田が封筒を手に取り中を確認する気配が伝わってくる。
「……はぁ」
次いで聞こえてきた溜め息に、伊織はビクッと震えた。
「まずは顔を上げてください、お嬢さん方」
「は、はい……」
恐る恐る顔を上げると、外した眼鏡を布で拭いている芦田の姿が目に入る。
「あのですねぇ」
胡散臭い笑みは、そのまま。
「弊社としても……それから僕個人としましても、あなた方に同情してはいるんですよ? お父さんが、多額の借金を残して逃げてしまったのですから」
続いた言葉に、白亜がキッと芦田を睨みつけた。
「お父さんは、逃げたんじゃなくて……!」
「白亜、大人しくしときな」
腰を浮かせた白亜を静かに露華が諌めるが、彼女の手もギュッと強く握られている。
「おっと、これはすみません。少々、言葉が悪かったですね。勿論、僕らもお父さんが帰ってくると信じてはいますよ。信じてはいますがねぇ……」
そこで言葉を切った芦田の顔から、笑みが消えた。
「こっちも、遊びでやってるんじゃないんでね」
今まで以上の威圧感に、三人の身体は知らずビクッと震える。
「金額から察するに……懸命にバイトをされた結果、というところですか」
「……はい」
それでも目を逸らすことなく、気丈に伊織は頷いた。
「お嬢さん方であれば」
一瞬目を伏せて、再び眼鏡をかける芦田。
「もっと効率よく稼げる方法もあるでしょう。どうしても家を手放したくなければ、なぜそれを選択しなかったんです?」
舐めるような視線が、順に三人へと向けられた。
「働ける場所がわからないというのなら、こちらから紹介することだって出来ますが? その場合、もう少し期限を延長しても構いません」
いやらしさは感じない。
ただ、『商品』を品定めする冷たい目だ。
「それは……」
伊織とて、考えなかったわけではない。
というか、家を追い出された時点ではそうするしかないと考えていた。
『神待ち』をすることにしたのも、その覚悟あってのものだ。
けれど。
「……そういうことはしないと、約束しましたので」
──もうするなよ、昨日みたいなこと
ぶっきらぼうにそう言う彼の姿を思い出して、伊織の口元に小さく笑みが浮かぶ。
「その約束は、家を取り戻すよりも重要なことなので?」
「っ……」
すぐには答えられず、少し間が空いた。
「……はい」
だが、最終的に伊織は大きく頷く。
「そうです」
そして、微笑みを深めた。
振り返ると、露華と白亜も似たような表情で頷いている。
きっと二人も、自分たちがそういうことをすれば春輝が悲しむと理解しているのだろう。
「そうですか」
芦田の顔に、胡散臭い笑みが戻る。
「それがお嬢さん方の選択というのであれば、僕は止めませんよ」
そして、芦田は腰を浮かせた。
「それでは、家の売却手続きを進めさせていただきます」
その言葉が、ズシリと伊織の胸に重く伸し掛かる。
覚悟は決めていたつもりだったが、いざ宣告されると想定していたよりもずっと苦しい気持ちになった。
「評価額次第ではありますが、恐らくそれでもまだ全額返済には足りないと思いますので……今後とも、よろしくお願いしますね。長いお付き合いになると思いますから」
どこまで本心かわからない芦田の声も、頭に入ってこない。
脳裏に、次々と思い出が蘇ってくる。
幼い頃に、母と過ごした記憶。
妹たちが初めて家にやってきた日のこと。
妹を世話する場面、姉妹で喧嘩する場面。
棺に横たわる母に縋り付いて泣き明かした夜。
家事に四苦八苦した日々。
玄関先で父が毎日見せてくれた笑顔。
それら全てが零れ落ちるかのように、伊織の目から一筋の涙が流れた。
それから。
その雫が床に落ちるのと、ほぼ同時のことであった。
ガチャン!
玄関を慌ただしく開ける音。
バタバタバタバタ!
それに次いで、家の中を駆けてくる足音が聞こえてきたのは。
そして──
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