第44話 障害と同僚と

 伊織たちの事情を聞いてを固めた春輝は、会社に戻り。


「突然ですみませんが、が出来たので今日この後は午後休を……!」


 扉を開けると同時に、そう叫んだ。

 

 が、しかし。


「おいやべぇぞ、これ完全にシステム丸ごと全部逝ってるじゃねぇか!」

「なぜか予備機まで死んでますねぇ……!」

「ははっ、スケジューラまで引きずられて全部のジョブがコケてる。逆にウケるわ」

「ちょ、電話取りきれないんで誰かヘルプお願いしゃーす!」


 蜂の巣をつついたような大騒ぎに、春輝の声は完全に掻き消されてしまった。

 例外なく全員がバタバタとしているその光景から、誰かから聞くまでもなく状況は把握出来る。


 ザ・重障害、であった。

 それも、全員が徹夜を覚悟する必要があるレベルの。


「あっ、先輩! 戻ってらっしゃいましたか!」


 と、春輝に逸早く気付いた貫奈が焦った表情で駆け寄ってくる。

 その声で、他の同僚たちも春輝の姿に気づいた様子。


「人見ぃ! ダッシュでログ解析頼む! お前が一番慣れてるだろ!?」

「人見くん、メーカーの担当者至急呼んで! 君なら直通の番号知ってるよね!?」

「人見ちゃん! 君んとこ発のジョブってどれから再キックしてけばいいんだっけ!?」

「人見さぁん! 人見さんから直接復旧計画を話せってお客さんがぁ!」


 春輝の元に、わらわらと集まり始めた。


(ど、どうする……!?)


 ブワッと焦りによる汗が吹き出す。

 俯くと、それがポタポタッと床に落ちた。


(これはたぶん、全員で対応しないとマジでヤバいやつ……! しかも聞いてる限り、障害の中心は俺が主担当のシステムじゃねぇか……!)


 以前の春輝であれば、一も二もなく障害対応に入ったことであろう。


 たとえプライベートでどんなに大事な用事があったとしても、だ。


 だが、しかし。


(……考えるまでもないな)


 社会人になって以来、仕事を最優先に考えてきた。


 でも今は、それよりも優先したいものが出来たのだ。


(ここは、土下座してでも許してもらおう……!)


 全てを丸投げしてしまうことを心苦しく思いつつつも、春輝は顔を上げた。


 そして、膝を付こうとする……が。

 ふと、周囲の声がいつの間にかピタリと止んでいることに気付いた。


 不思議に思って、視線を上げる。


『………………』


 すると、貫奈たちがなぜか春輝の顔をマジマジと見つめている光景が目に入ってきた。

 同僚一同が、春輝の顔を見たままパチクリと目を瞬かせる。


 かと思えば。


「……と思ったけど、俺もたまにはログ解析くらいしとかんと勘が鈍っちまうなぁ」

「よく考えたら、直通でいくよりちゃんと窓口通した方が後々の処理が楽だねぇ」

「そういや人見ちゃんがまとめてくれてたし、ジョブ管理表見りゃ順番もわかるわなぁ」

「サーセン、やっぱアタシから頑張って説明しときまぁす! これも勉強ですねぇ!」


 なんて口々に言って、貫奈以外の面々は見る間に散っていった。


「……はい?」


 取り残される形となった春輝が、呆けた声を出す。


「先輩、こちらは私たちでどうにかしますので……行ってください」


 同じくこの場に残っている貫奈が、ポンと肩を叩いてきた。


「いや、でも……」

「顔を見ればわかりますよ。やらないといけないことが、あるんでしょう?」


 仕方ないな、とでも言いたげに小さく笑みを浮かべる貫奈。


「私も初めて見るその表情……ちょっと、妬けちゃいますけどね」


 それが、イタズラっぽいものに変化する。


「……お前、結構俺のこと好きだよな」

「……はぁ」


 冗談めかして返すと、盛大に溜め息を吐かれた。


「まぁ先輩のそれは今に始まったことでもないので、置いておくとして」


 諦めの表情で、貫奈は両手を動かし『置いといて』のジェスチャー。


「急いだ方がよろしいのでは? 先輩にとって大切な何かが、あるんでしょう?」

「いや、まぁ、それはそうなんだけど……俺が抜けて、本当に大丈夫なのか……?」


 つい先程までそう頼むつもりだったのに、こうもあっさりだと逆に不安になってくる。


「舐めないでください、ウチは別に先輩のワンマンチームじゃないんですよ?」


 ニッと、貫奈が挑発的な笑みを浮かべる。


「……と、言いたいところですが」


 けれど、すぐにそれが苦笑に変わった。


「これについては、小桜さんの功績ですね。先輩の作業が見える化されて、徐々に私たちに引き継ぎされてきたからこそ出来るようになったことです」


 再び、彼女の笑みはイタズラっぽいものに。


「だから……小桜さんのためだっていうなら、皆さんも納得されると思いますよ?」

「えっ……」


 まさかそこまで読まれているとは思わず、春輝の顔が強ばる。


「言ったでしょう? 先輩は、わかりやすいって」


 クスリと笑って、貫奈は以前と同じ言葉を口にする。


「皆さんも、ようやくそのわかりやすさに気付いたみたいですね」


 確かに、前回彼女から同じことを言われた時……春輝にとっての伊織が、ただの同僚だった頃。

 貫奈以外に、春輝の表情からその感情を読み取るような者はいなかったはずだ。

 だが先程は、全員が色々と察してくれたように思えた。


「それに私たちも、そろそろ先輩への恩返しをしたいと思っていたところです」

「恩返しって、そんな大げさな……」

「実際、我々一同ずっと恩に感じてるんですよ? さっきは『先輩のワンマンチームじゃない』だなんて言いましたけど、今までは先輩がいてくれるからこそどうにかチームが回ってたところが大きいですし。まぁそういう意味で、チームを健全化させるためにも良い機会かと」


 言いながら、貫奈は軽い調子で肩をすくめる。


「先程の通り、私も含めて緊急時になると先輩に頼る癖が出来てしまっているようなので。それを矯正するために、今回先輩は手を出さないでおくべきですね」

「な、なるほど……」


 なぜか、春輝が貫奈に説得されるという構図になってきた。


「というわけで……げっ」


 とそこで、貫奈が視線をずらして呻く。


「人見くぅん」


 そちらに目を向けると、巨体を揺らしながら樅山課長が歩いてくるところだった。


「困るよ君ぃ」


 眉根を寄せる彼の言いたいことは、春輝にも十分察することが出来た。

 いくら同僚が気を使って頑張ってくれたところで、物理的に手が増えるわけではないのだ。

 春輝一人分の遅れは、損害に直結する。

 管理者としては、それを許容することは出来ないだろう。


 ……と、思っていたのだが。


「人見くんさぁ、去年一個も有給使ってなかったよねぇ?」

「……へ?」


 予想していなかった話題に、春輝の口がポカンと開いた。


「人事部がさぁ、有給取得率についてうるさくなってさぁ。今年は君も、早いうちからちゃんと使っていってほしいんだよねぇ」

「あ、はい、すみませ、え……?」


 相手が何を言いたいのかわからず、頭が軽く混乱している。


「と、いうわけでね」


 そんな春輝の肩を、ポンと樅山課長が叩いた。


「君、今日はもう午後休で申請しといたから。何なら明日も休んでいいよ」

「えっ、でも……」


 戸惑う春輝を前に踵を返し、樅山課長は背中越しにグッと親指を立てる。


「私のエンジニア歴は、君より遥かに長い。君の穴を埋めるくらい造作もないさ」


 そう言う彼の後ろ姿は、いつも以上に大きく見えた。


「あ……ありがとうございます!」


 樅山課長、そしてその先にいるチームメンバーに向けて大きく頭を下げる。

 すると何人かが、早く行けとばかりに「しっしっ」と手を振ってきた。


 それが、何とも面映ゆく。


「悪い……それじゃ、後は頼んだ」

「お任せを」


 最後に貫奈の頼もしい笑顔を受け取ってから、春輝は駆け出した。

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