第43話 事情と決断と
同僚たちからの、小桜姉妹の目撃証言を受け。
実際に現場を確認しに行くと方針を固めはしたものの、気になって若干集中力に欠きながら午前中の業務をこなし……とにもかくにも迎えた、昼休みのことである。
「……ここか」
春輝は、貫奈が伊織を目撃したという喫茶店の前にいた。
個人経営なのか、小さいながらもなかなか瀟洒な雰囲気だ。
喫茶店といえば全国チェーンの店くらいしか利用しない春輝としては、少々入るハードルは高く感じられる。
「……よしっ」
しかし気合いの声一つ、意を決してその扉を開けた。
カランコロンカラン。
ドアに取り付けられたベルが、小気味の良い音を奏でるのと同時。
「いらっしゃいま……」
胸が強調された感じの従業員服を着た少女が、出迎えてくれて。
「………………せ」
春輝の顔を見て、その営業スマイルを固まらせた。
「……お、おぅ」
ちなみに、思わず固まってしまったのは春輝も同様だ。
こうして、お互いにぎこちない表情を浮かべたまま見つめ合うという謎の構図が発生。
「?」
そんな二人へと、カウンターの向こう側でグラスを磨いていた男性……マスターらしき人が、不思議そうな視線を向けていた。
◆ ◆ ◆
それから、数分の後。
「……それで。春休み中から、ウチの会社と並行してここでもバイトしていたと?」
「はい……会社がお休みの日などは、こちらでバイトしていました……」
喫茶店の一席にて、春輝の質問を受けた伊織が項垂れていた。
他に客もいないし深刻そうな雰囲気なので、ということでマスターが許可してくれた形だ。
春輝としては「大丈夫かこの店」と思わないでもなかったが、お言葉に甘えることにした。
「春休みが明けてからも、学校行かずにずっとバイトしてたってのか?」
「は、はい……日中はこちらで、夕方からは春輝さんのところで……」
ついつい言葉が刺々しいものになってしまったせいか、伊織がビクッと震える。
「あぁ、いや、別に責めてるわけじゃなくて。ただ、事情を聞かせてほしいってだけで」
手を振ってそう付け加えるも、伊織は泣きそうな表情のままだった。
「……はい、わかりました」
けれど一瞬迷った素振りを見せた後に、小さく頷く。
「私たちのお母さんの件については、前にもお話ししましたよね?」
「……あぁ」
確か、白亜が生まれてすぐに亡くなったという話だったはずだ。
「お母さんが亡くなってからは、お父さんが一人で私たちを育ててくれました。お父さんは小さいながらも会社を経営していてとっても忙しかったと思うんですけど、私たちのことを蔑ろにしたりはせずに大切にしてくれました」
表情は沈んだまま。
それでもその口調からは、父親への深い親愛の情が感じられる。
「でも去年、事業が失敗して……たぶんあんまり良くないところからもお金を借りて、それでも会社は潰れて……多額の借金が残ってしまって……」
そこからの話の流れは、なんとなく予想出来る気がした。
「お父さんは、その返済のためにマグロ漁船に乗って一人で外海に出てしまったんです」
と思ったら、全く予想出来ていなかった流れだった。
「えっ、マグ……? 何て……?」
思わず聞き返してしまう。
「マグロ漁船です。良くも悪くも、思い立ったらすぐに行動してしまう人なので……」
伊織も春輝の言わんとしていることを理解しているのか、苦笑気味となっていた。
「だけど、なんだかんだでこれまで色々な逆境を乗り越えてきた人です。私は、きっとお父さんが帰ってきて何とかしてくれると信じています。露華も、白亜も」
言葉通り、その目には信頼の色が見て取れる。
「……でも、周りはそう思ってはくれなくて」
そこに、再び暗い影が差した。
「お父さんは逃げたんだって思われて。あの日、帰ったら家は差し押さえたって言われて……急に家を追われて、行くところがなくなって……ほとんど着の身着のままで、お金もあんまり持って無くて……とりあえず、その日の宿を探して……」
「そこで、俺に会ったってわけか……」
話が繋がった……と考えかけて、春輝は当初の疑問に立ち返る。
「バイトしてたのも、借金返済の足しにってことか……?」
「……はい」
春輝の問いに、伊織はおずおずと頷いた。
「でも、言っちゃ悪いけど会社レベルの借金なわけだろ? 多少バイトしたくらいでどうにかなる話でもないと思うんだけど……?」
「それでも!」
声を荒げて身を乗り出してから、伊織はハッとした表情となって再び腰を下ろす。
「それでも……少しでも、稼がないといけないんです」
切実そうに言う声は、少し震えていた。
「……急ぐ理由があるってことか?」
重ねて尋ねると、伊織は小さく頷く。
それから、少しの沈黙を挟んで。
「……期日までに、借金の一部だけでも返さないと」
また迷う素振りを見せた後に、ポツリポツリと語り始めた。
「家を売却するって、言われているんです」
その目の端に、大粒の涙が溜まっていく。
「お母さんとの思い出が詰まった家で……お父さんが帰ってくる家だから……私たち、どうしても手放したくなくて……だから……」
それが、ポロリと頬を流れ落ちた。
「精一杯バイトを詰め込んだところで、焼け石に水なことはわかってるんです。それでも、やらずにはいられなくて……私も、露華も……白亜まで、中学生じゃバイトは出来ないけど配信者として稼ぐって、頑張ってくれて……なのに、告げられた期限は思っていたよりずっとずっと短くて……それで、私たち……!」
「……無神経なこと言って、ごめん」
春輝の謝罪に、伊織はふるふると首を横に振る。
その後は、春輝が逡巡する番だった。
「……その、一部の借金を返す期日ってのはいつなんだ?」
けれど結局、踏み込んだ。
「……今日、です」
「きょ、今日!?」
予想していたよりも差し迫った状況に、思わず声が荒ぶる。
「なんで……!」
もっと早くに言ってくれなかった。
そう言いかけて、ハッと口を押さえる。
(どの口でそんなこと言うつもりだよ……聞かなかったのは、俺の方だろ)
彼女たちの事情に、あえて触れないようにしていたのは春輝自身だ。
一方的に、庇護したつもりになって。
保護者気取りで。
本当の意味では、歩み寄ろうとしていなかった。
表面上の家族ごっこで、満足していた。
(……俺は)
ここが分岐点だと思った。
ハッキリ言ってしまえば、彼女たちの事情は春輝には関係がない。
特に金が絡むこととなれば、下手に介入するべきではないとも思っている。
実際問題、仮に彼女たちの生家が売却されてしまったとしても、春輝の家で保護し続ければ三人が路頭に迷うことはない。
『他人』にしてやるならば、それでも十分だろう。
そう、思いながらも。
(俺は、この子たちの……)
春輝は、グッと拳を握った。
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