第41話 質問と偽言と
白亜が帰宅してから、しばらく。
十二分に『夜』と称して良い時刻になった頃のことである。
「たっだいまー……」
自室で寛いでいた春輝の耳に、そんな弱々しい声が届いた。
「露華ちゃんか……どうも、随分と疲れてるみたいだな……」
小さく呟きながら、春輝は玄関先へと顔を出す。
「おかえり、露華ちゃん」
「うぃっーす、春輝クン」
果たして、挨拶を返してくる露華の顔には色濃い疲労が見て取れた。
「出迎えごくろー」
ふざけた調子で敬礼する露華だが、その動きにもキレがない。
彼女がこうして疲労困憊といった感じで帰ってくるのもまた、春休みが明けてから連日のことであった。
なんでも、遅くまで部活動をやっているのだとか。
「今日も部活、お疲れ様」
なので、そう労いの声をかけたのだが。
「は?」
なぜか露華は、「何言ってんだコイツ?」とでも言いたげな表情となった。
「……あっ!?」
しかし一瞬の後、今度は「しまった」といった表情に。
「あ、うん! そうそう部活部活! いやー、今日も頑張って励んだわー!」
それから、どうにも白々しい印象を受ける笑みを浮かべた。
「……?」
それを訝しみつつも、春輝は会話を続ける。
「毎日遅くまで大変だな」
「まぁ、部活だからねー」
「やっぱ、厳しいの?」
「まぁ、部活だからねー」
「それでも部活、楽しい?」
「まぁ、部活だからねー」
疲労で頭があまり働いていないのか、露華は同じ言葉を繰り返すのみであった。
「ていうか露華ちゃん、何部なんだっけ?」
「んあー、将棋同好会?」
その回答も、なんとなく適当な雰囲気に感じられたのは気のせいか。
「……将棋同好会って、こんな遅くまで活動するもんなのか?」
「あっ……」
問いを重ねると、露華は再び「やっちまった」といった感じの表情を浮かべる。
「いやぁ、ウチんとこはほらあれ、強豪校ってやつだから! みっちりやるんだよね!」
「同好会なのに……?」
「同好会でも大会には出れるからね、うん!」
「つーか、将棋でそういう疲れ方するか……?」
「プロの棋士なんて一回の対局で結構痩せるって言うじゃん!? 実質肉体労働よ!」
と、早口で捲し立て。
「そんじゃ、そういうことで!」
スチャッと手を上げ、春輝の横を通り抜けて階段を駆け上がっていってしまった。
「……何か隠してる、よなぁ」
露骨な態度に、春輝は小さく溜め息を吐く。
「大したことじゃないならいいんだけど……」
無理矢理に聞き出すことも出来ず、春輝にはそう願うことしか出来なかった。
◆ ◆ ◆
露華の帰宅から、更に時間が経過し。
時計の針は、既に深夜と言って差し支えない時刻を指している。
「ただいま帰りましたぁ……!」
伊織の声が聞こえたのは、以前の春輝にとってはお馴染みの時間帯であった。
終電に乗って帰ってくれば、ちょうどこれくらいの時刻になるはずだ。
「おかえり、伊織ちゃん」
「あぁ春輝さん、ただいまです」
出迎えた春輝に、伊織が疲れの滲み出た笑みを返してくる。
「すぐにご飯でいいかな? そろそろだと思って、温めといたけど」
「あっ、もしかしてまた待っていてくださったんですか……!?」
その顔が、恐縮に満ちたお馴染みのものとなった。
「先に食べていてくださいって、書いておいたじゃないですか……」
「ははっ、前に俺が全く同じことを言った時に君たちはどうしてたっけ?」
「うぐっ……」
春輝が笑うと、伊織はそんな風に呻いた。
「でも、春輝さんは家主なわけですし……私たちは、置いてもらっている立場で……」
「ま、俺が好きでやってることだし」
申し訳なさそうな伊織の言葉を遮り、肩を竦める。
「……ところでさ、伊織ちゃん」
それから、極力平静な声を意識して。
「毎日こんなに遅くなるようなら、やっぱ業務範囲の拡大はまだやめといた方がいいんじゃないか?」
そう、尋ねた。
伊織もまた、この時間に帰るのが連日のこととなっている。
それは伊織が、今までのエンジニア系の作業に加えて事務系の作業も担当するようになったためだ。
春輝は直接その場に居合わせたわけではないが、春休みが明けた日に伊織から申し出たと聞いている。
「いえ、私から言い始めたことですし……時給もアップしてくれましたしねっ! それに、お仕事の範囲が増えるのはやりがいがありますし楽しいですっ!」
ニコリと笑う伊織の言葉に、嘘はないのだろう。
そう……その言葉、そのものには。
「なぁ、伊織ちゃん」
春輝は、真剣な表情で伊織の目を見つめた。
「な、なんでしょう……?」
伊織の頬に朱が差す。
「何か、俺に隠し事してないか?」
だが春輝の問いに、今度はその顔がサッと青くなった。
嘘をつくのが下手な彼女は、少々のテンパりを経て最終的には白状してくれるだろう。
……そう、考えていたのだが。
「………………」
伊織は、何かに耐えるかのように目を瞑って。
「……何のことでしょう?」
再び目を開いた時には、笑顔を浮かべていた。
「春輝さんに、隠し事なんてしませんよ」
彼女の嘘はやっぱり下手くそで、声も震えていたし笑みだって露骨な作り笑いだ。
だがそれだけに、秘密を隠し通す意思は強く感じられた。
「……そっか」
だから、春輝は頷くことしか出来ない。
「変なこと聞いて悪かった、それじゃ飯にしようか」
「はいっ! 私もう、お腹ペコペコなんですっ!」
表面上は笑顔で交わし合う、空虚な会話。
(俺は、そんなに頼りないか……)
その裏側で、春輝は自身に対して無力感を抱く。
彼女たちの前では、極力頼れる大人であろうとはしてきた。
けれど、本当の意味でそうでないことは誰より自分が理解していて。
(まぁ、頼りないよなぁ……)
どうにか溜め息を漏らさずにいることが、今出来る精一杯だった。
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