第40話 暗闇と懐疑と

 学生の春休みが終わろうと、春輝には一ミリも影響は生じない。


 そう……春輝自身、には。


 ただ、『春輝の生活』という意味では大きな変化が生じていた。


「ただいまー」


 それは。


「……今日も、俺が一番乗りか」


 帰る家に、明かりが灯らなくなったこと。

 一応電灯が消えているだけという可能性も考慮して挨拶の声と共に玄関の扉を開けたが、家の中に人の気配は感じられない。


「なんか、慣れないな……この感じ……」


 つい先日までは、むしろこれが当たり前だったはずなのに。

 誰もいない家に帰ってくると、妙なうそ寒さを感じてしまう。


「……ま、たまたま遅くなってるだけだろ」


 それを紛らわすような独り言と共に靴を脱ぎ、ひとまず自室へ。

 着替えを済ましてから、キッチンに向かう。


 すると、ラップがかけられた皿がいくつも載っているテーブルがまず目に入ってきた。


「んっ……?」


 テーブルの端の方にメモが書かれた紙があったので、それを手に取る。


『春輝さん 先に食べていてください 伊織』


 学校から一旦帰って、これらを用意してからまたバイトに出掛けたということなのだろう。

 今日はほぼ定時で上がった春輝と、ちょうど入れ替わりになる形であった。


「別に、気ぃ使わなくていいのにな……」


 メモを見ながら、ポツリと呟く。


「俺の方が帰るのが早い時は、俺が作るようにしてもいいけど……」


 そんな案を検討してみた。

 春輝が料理を分担するようにすれば、伊織の負担も減るだろう。

 ただそうなると、流石に毎回炒飯というわけにもいくまい。


「……俺も、本格的に料理覚えてみるか?」


 一人暮らし状態の時には、とてもじゃないが色々な料理を覚える気になどなれなかったが。

 今なら……伊織たちのためであれば、出来るような気がした。


「……まぁ、伊織ちゃんは受け入れてくれなさそうだけど」


 恐縮しきりな様子で首を横に振る伊織の姿が、容易に想像出来る。


 なんて考えながら、苦笑を浮かべていたところ。


「ただいま」


 玄関の方から、そんな声が聞こえてきた。


「白亜ちゃんか」


 声からそう判断しながら、キッチンを出て玄関の方へと向かう。


「おかえり、白亜ちゃん」


 果たして、玄関で靴を脱ごうとしているのは白亜であった。


「ただいま、ハル兄」


 改めて、挨拶を返してくる白亜。

 ……その顔が、どうにも優れないように見えて。


「……学校で、何かあった?」

「学校……?」


 尋ねると、白亜はなぜか怪訝そうに眉根を寄せた。


「……あっ」


 それから、ハッとした表情を見せる。


「別に、普通の学校生活。何もない。平常運転。すべて世は事も無し」


 それから、少し早口気味にそう返してきた。


「そう……? なら、いいんだけど……」


 その様子も、何やらおかしいように感じられたが。


(……まぁ年頃の女の子だし、俺には言いたくないこともあるのかな……?)


 とりあえずは、そう納得しておいた。


「何かあったら、何でも言ってくれよな? 出来る限りのことはするからさ」


 極力頼りになりそうな笑顔を心がけ、本心からの言葉を送る。


「ハル兄……」


 すると白亜の瞳が、縋るような光を帯びた……ような、気がした。


「……大げさ」


 けれどそれも一瞬で霧散し、白亜は小さく笑う。


「勉強漬けで、ちょっと疲れただけだから」


 それから、「やれやれ」と肩を竦めた。


「そんじゃ、気分転換に一緒にゲームでもどうだ?」


 気晴らしにでもなればと、誘ってみる。


「ん……魅力的だけど、先に宿題を終わらせておきたいから」


 しかし、白亜はふるふると小さく首を横に振った。


「だからハル兄、またパソコン借りてもいい?」


 それから、春輝を見上げてくる。


「あぁ、宿題ってまたあれ? 情報の授業のやつなのか?」

「うん」


 白亜がこうしてパソコンの貸し出しを願うのは、今日が初めてではない。

 むしろ、春休みが明けてから連日のことであった。

 そして、夕飯の時間を除いてずっと自室に籠もるのだ。


「いつも通り、好きに持って行ってくれていいよ」

「ありがとう」


 礼と共に笑う白亜だが、その笑みもどこか疲れて見えた。


(情報の授業って、こんな毎日パソコンを使うような宿題が出るもんなのか……? 家にパソコンがない子とか、どうすんだろ……?)


 春輝の部屋からノートパソコンを持っていく白亜を見ながら、そんなことを考える。


(ていうか……中学校って、帰るのがこんな時間になるくらい授業あるんだっけ……?)


 自分の頃はどうだったかと思いだそうとしても、なにしろ十五年近くも前のこと。


 記憶が曖昧な上に、春輝の時代と今の環境が共通しているのかもわからず。

 白亜の状況が普通なのかどうか、答えは出てこなかった。

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