第20話 不満と呼称と

 白亜に逃げられ、一人で伊織の相手をすることになってしまった春輝。


「あははははっ! どうしたんですか春輝さん、笑いましょうよ! あはははははっ!」


 実際、これの相手をするのは超絶面倒くさそうである。


「………………」


 なんて思っていると、伊織はピタリと笑うのをやめてまたも俯いてしまった。


「……小桜さん?」


 もしかして早々に眠ってくれたのか? と、期待を抱きながら呼びかける。


「春輝ひゃん!」


 だが、すぐにまた勢いよく顔が上がった。その目は、完全に据わっている。


「春輝ひゃん! そこに座りなひゃい!」

「あ、はい……」


 ビシッと指差され、春輝は浮かせていた腰を椅子に落ち着かせる。


「あのでひゅねぇ、春輝ひゃん! わたひは、怒っているのれふよ!」


 春輝に向けた指をブンブンと上下に振りながら、伊織はかなり怪しい呂律で叫んだ。


(怒り上戸のパターンもあるのかよ……)


 思わず半笑いが漏れる。


「春輝ひゃん! わたひが何に怒ってひるのか、わかりまふか!?」


 だが、伊織が怒り心頭といった感じで吠えるので笑みは引っ込めておくことにした。


「いえ、わからないです……」


 とりあえず、そのまま思っていることを返す。


「それはでふねぇ、ズルいかられふ!」


 返ってきたのは、よくわからない言葉だった。


(まぁ、酔っぱらいの言うことだからな……)


 話半分……というか、基本的に話の中身は気にしないことにする。


「ズルいって、何がズルいと思うんだい?」


 とはいえ、一応話は合わせて尋ね返した。


「春輝ひゃん、ズルいれふ!」

「俺のどこがズルいんだろう?」

「だって、贔屓してまふ! 露華や白亜ばっかり!」

「そんなことないよ? 俺はちゃんと、小桜さんのことも……」

「まさに、それでひゅ!」

 突きつけられたままだった指に、再び力が籠もる。

「なんでわたひだけ、名字なんでふか! 贔屓でひゅ、贔屓!」

「……なるほど」


 意外と的を得た指摘に、春輝は思わず頷いてしまった。

 なんとなくこれまでの習慣で『小桜さん』と呼んできたが、確かにこれでは一人だけ扱いが違うと言われても仕方ない。

 案外、伊織が普段から抱えていた思いが爆発している形なのかもしれない。


「わかったよ、伊織ちゃん」


 そこで、素直に呼び方を変えてみた。


「それでいいのれふ!」


 ムフー、と伊織は満足げな表情となる。


「……やっぱり、よくないれふ」


 が、すぐに一転してまた不満そうな顔となった。


「これじゃ妹たひと同じれふ! 今までの贔屓分がチャラに出来てないじゃないれひゅか! わたひだけの特別扱いをしょもーします!」

「特別扱いって、どうすれば……?」

「そんなの春輝ひゃんが考えてくらはい!」

「えぇ……?」


 無茶振りではあるが、これも日々不満を溜めさせてしまったせいかと真摯に考える。


「……伊織」


 そして、考えた末がこの結論であった。


「これでどうだろう? 伊織」

「むむむっ……」


 尋ねると、伊織は難しい顔で固まる。


(ミスったか……?)


 と、不安になる春輝だったが。


「……にへへへへぇ」


 すぐに伊織の表情は、この上なく緩んだものとなった。


「いいじゃないれふか春輝ひゃん! とてもいいでふよ! 春輝ひゃんはやれば出来る子! わたひ、知ってまひた! ずっとずっと知ってまひた!」

「ははっ、どうも……」


 予想以上の大絶賛に、春輝は微妙な笑みを浮かべる。


「ほれじゃ春輝ひゃん! どんどん飲んでいきまひょう!」

「いや、酒とかないし……」

「ありまふよぉ、ほら!」


 伊織がチョコレートに手を伸ばしたので、慌てて止めようと春輝も手を伸ばす。


「いや小桜さん、それ以上は……」

「むっ!」


 しかし伊織にグッと睨まれ、思わず手を止めてしまった。


「違うでひょ、春輝ひゃん!」

「あー……伊織、それ以上はやめとこう? な?」

「むふふ、それでいいのれふぅ」


 伊織が再び満足げな顔となって、春輝はホッと息を吐く。


「あむっ……むぐむぐ……確かにこれ、美味しいれふねぇ!」


 だが油断した隙に、伊織が口の中にチョコレートを放り込んでしまった。


「さぁ春輝ひゃん! 夜はまだまだ長いでふよぉ!」


 その台詞に、春輝は長丁場を覚悟した……が、しかし。


「……くぅ」


 つい今しがたまでテンションマックスだったかに見えた伊織が、コテンと椅子にもたれかかったかと思えば寝息を立て始めた。

 しばらく待っても、起きそうな気配はない。


 それ自体は、朗報なのだが。


「……この子が成人しても、酒の場では絶対同席しないようにしよう」


 春輝は、心に固く誓った。


「春輝ひゃぁん……」


 そのタイミングで呼びかけられ、起こしてしまったかとギクリと顔が強ばる。


「にへへへぇ……」


 しかし伊織は目を閉じたまま、幸せそうに笑うだけだった。


 起きたわけではないことに、ホッとし……それから、ふと思う。


「こうして見ると、やっぱ子供だよなぁ……」


 その緩んだ顔は、いつもよりずっと彼女の印象を幼く見せていた。


「君も、俺に甘えてくれていいんだぞ?」


 露華にも言った言葉を、その寝顔に送る。


「……今度、起きてる時にもちゃんと伝えないとな」


 とはいえ、面と向かって伝えるのは気恥ずかしいところではある。

 今日露華に言ったのだって、春輝なりにタイミングを図り意を決してのことだったのだ。


「そのうち、な」


 結局、独り言ですら日和ってしまう。


「とりあえず、部屋まで運ぶか……」


 そして、思考を切り替えた。

 流石にこのまま寝かせておくわけにもいくまいと、伊織を背負って立ち上がる……と、ふにょんとした感触が背中に伝わってきて。


(この感触……!? もしかして、のか……!?)


 その柔らかくも弾力のある物体に、一気に意識が持っていかれた。


(い、いや、余計なことを考えるな……! まだ子供だって、改めて実感したばっかだろ……! 今の俺は、この子を運搬するだけの機械……! そう、機械になるんだ……!)


 とても子供とは思えないサイズを背中に感じながら、煩悩と戦う春輝であった。

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