第11話 釈明と喧騒と

 伊織に膝枕をしてもらうこと、しばらく。


「……ありがとう、凄い楽になったよ」

「あっ……」


 本心からの言葉と共に身を起こすと、伊織はどこか名残惜しそうな声を出した。


「遠慮なさらず、もっと続けていただいても大丈夫ですよ……?」

「いや、十分リラックス出来たから。おかげで、明日はいつも以上に頑張れそうだよ」


 実のところ、もう少しあのままでいたかったという気持ちが皆無かといえば嘘になる。


 しかし、伊織に負担をかけるのは良くないだろうという想いと……あとぶっちゃけ、あまり続けると戻ってこれなくなりそうな予感がしたがゆえの固辞であった。


「……そんな心配すんなって」


 未だ気遣わしげな伊織に、ニッと笑って見せる。


「残業だって、ある程度は好きでやってるわけだしさ」

「そう……なんですか?」


 春輝の言葉に、伊織は小さく首を傾けた。


「あぁ。ウチの会社、残業代がフルに出るって意味ではホワイトだから。業務調整さえすれば別に定時に帰るのだって余裕なところを、あえてやってるわけよ」


 この言葉も、必ずしも嘘ではない。

 ただ、春輝に業務調整を行う気があまり無いだけの話である。

 とはいえ実際、用事がある日には定時退社することだってあるのだ。

 トラブルさえ発生しなければ、という注釈は付くが。


「俺だって、これで社会人六年目だ。体調管理も仕事のうちだってわかってるよ」


 これも、少なくとも言葉の上では本当だ。

 わかっているからといって実際に実行していることは限らない、というだけで。

 それに、丈夫に産んでもらったらしく今のところ不調らしい不調を抱えていないのも事実である。


「なるほど……そうですよね」


 ようやく、伊織の表情にも納得の色が浮かんだ。


「すみません、差し出がましいことを言いました」

「いやいや、気持ちは嬉しいよ」


 ペコリと一礼する伊織の頭が上がってきたところで、そこにポンと手を置く。


「ありがとな」

「い、いえ、そんな!」


 お礼を言いながら頭を撫でると、たちまち伊織の顔は真っ赤に染まっていった。


「お姉ー、洗剤の替えってあったっけー?」


 とそこで、キッチンの方から露華が顔を出す。


「……っと」


 春輝と伊織を認めると、少しだけ意外そうな表情を浮かべて。


「おやおやぁ? これは、お邪魔してしまいましたかなぁ?」


 すぐに、それがニンマリとした笑みに変わった。


「も、もう! からかわないの!」


 赤い顔のまま、伊織が露華へと抗議を送る。


「えと、洗剤だよね? それなら……あっ、春輝さん失礼しますね」


 それからもう一度頭を下げた後で立ち上がり、キッチンの方に駆けていった。


(……しまった。なんかナチュラルにやっちまったけど、今のは完全にセクハラだったよな……? 主人公気取りとかやめとけよ、俺のキャラじゃないんだからさ……)


 伊織の頭に乗せていた自らの手を見つめ、今更ながらに自戒を抱く。


「ねぇねぇ、春輝クン。今さ、膝枕してもらってたんでしょ?」


 そんな春輝へと、なぜかリビングに残ったままの露華が身を寄せてきた。


「お姉の具合、どうだった?」


 そして、ニヤニヤと笑いながら問いかけてくる。


「……変な言い方するなよ」


 妙にいやらしく聞こえる発言に、とりあえず春輝は苦言を呈した。


「まぁ、その、良かったけど」


 視線を逸らし、頬を指で掻きながら答える。


「にひひ、そうっしょ? 完全にお金取れるやつだからね、お姉のアレは」


 膝枕サービスを提供する商売もあると聞くし間違ってはいないのだろうが、いちいちいやらしく聞こえるのはなぜなのか。


「で・も」


 春輝の耳元に口を寄せて、露華はどこか妖艶な調子で囁く。


「実は、ウチのも結構いい感じなんだよぉ? 春輝クンだったら、タダでしてあげてもいいんだけど……お客さん、今度一発どう?」

「あのなぁ……」


 どこからツッコミを入れるべきかと、迷っていたところ。


「……何か、えっちな話をしてる?」


 通りがかりでその場面を目撃したらしい白亜が、ジト目を向けてきた。


「ふふーん、実はねぇ……」

「こら露華ちゃん、白亜ちゃんの教育に悪いだろうが!」

「やっぱり、教育に悪いことを話してたんだ……」

「誤解だ!?」

「露華ー? 洗い物の続きちゃんとやりなさーい!」

「はいはーい、今いきまーす!」


 なんて。


 つい数日前までは考えられなかったドタバタと共に、人見家の夜は更けていく。

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