第7話(8)
例の公園に向かう途中、綾は純に尋ねた。
「それ、何の荷物?」
「……劇の衣装。 今朝、忘れただけだ」
前を向いたまま、素っ気無く答える純。
何の会話もなく歩を進め、三人は例の公園に辿り着いた。
入り口を越えるなり、遠くの方から、
「綾ちゃぁぁぁぁぁん!!」
と、叫び声が聞こえる。
全力疾走で近づいてきたのは、昨日と同じスーツのマネージャーだ。
「どこもケガはない?!なにもされなかった?!」
矢継ぎ早に、彼女に尋ねる。
「オレがなんかすると思ってたんか、コラ」
眉間にシワを寄せて、純はマネージャーに詰め寄った。
「ア、アタシ、何もされてないよっ。 この通り、大丈夫だから──」
両手を小さく上げて、自分の身に何もない事を証明する綾。
「──それより、ごめんなさい。 突然、現場を飛び出したりして…」
サッと頭を下げる。
「まぁ過ぎたことは良いよ。 中には、もっとワガママ言う子もいるし、こうしてちゃんと戻って来たしね!」
彼女の肩をポンポンと叩いて、マネージャーが答える。
「──ていうか、綾ちゃん、随分とラフな格好じゃない?」
中指で眼鏡のズレを直しながら、改めて彼女の服装を見るマネージャー。
白色のTシャツに、下は黒いハーフパンツ。
「ああ、コレは姫宮くんが気を遣って、貸してくれたの」
「あ、そう。 まぁいいか!さっそく現場に戻ろう!」
言うが早い、マネージャーは携帯を取り出し、どこかに電話し始めた。
「じゃあ、ここで──」
お別れね──と言おうとした綾に、夏子が微笑みかける。
「綾さん、実はお願いがあるんですけど」
突然の言葉に、綾は少し面食らう。
「えっ……うん、なに?」
「これから行く現場を見学させてほしいんです」
「へ?」
突然の事に、ポカンとした表情で固まる綾。
「ムリなのか?」
腕組みして、純が再び尋ねると、
「え、それは……マネージャーに聞いてみないと……」
綾はマネージャーの方を向き、電話中の彼に話しかける。
「姫宮くんと水瀬さんに、今回のお礼として、現場の見学をさせてあげたいんだけど」
「え?見学? う~ん……まぁ、確かに恩は有るし……僕と一緒にいるなら、邪魔にならないだろうから、いいよ」
マネージャーはそう言って、また電話に戻る。
「いいよって」
綾がそう二人に伝えると、
「すみません、無理言って」
夏子が丁寧にお辞儀する。
「でも、今回の仕事は特典映像を作るだけだから、全然声優っぽい仕事じゃないし……なんなら、後日ちゃんとしたアテレコの現場に招待するよ?」
「いいんだよ、コレで」
そう答えたのは、腕組みしてマネージャーの方を見つめる純だった。
「??」
頭の上にハテナマークを浮かべ、夏子の方を窺う。
彼女もいつも通り、にこっと微笑みかけてくるだけだった。
「お待たせ!今タクシーを呼んだから、もうすぐ来ると思うよ」
携帯をポケットにしまいながら、マネージャーが三人の元へ戻る。
「……」
純も夏子も、黙っているだけだった。
しばらくして、公園の入り口にタクシーが到着し、後部座席に純、夏子、綾が乗り込んだ。
助手席に座ったマネージャーが、運転手に行き先を告げる。
どうやら現場は、隣町との境に流れる、大きな川の河川敷で行われているようだった。
「そういえば綾さんは、どんな役をやったんですか?」
突然、夏子が切り出した。
この質問に答えたのは、綾ではなくマネージャーだった。
「主役の一人だよ。 この子、これまでほとんど名前のない役しかやったことなかったんだ──」
喋るタイミングを逃した綾は、引き続き押し黙る。
「──でもね、僕が持ってきたグラビアの仕事に出て見たら、思いのほか反響を呼んだらしくてね。今回の仕事が舞い込んできたんだ」
「アタシは嫌だって言ったのに……」
少し不満そうに、綾が呟いた。
マネージャーにもその声は届いたらしく、呆れた声で彼が言う。
「ま~たそんなこと言って……君は僕の生み出す『声優アイドル第一号』なんだ。 僕の用意した仕事をこなせば、間違いなく有名になれるんだから、任せてくれればいいの!」
「……」
実際、こうして仕事が入っているからだろう、綾はなんの反論もできずに、少しだけ哀しそうに俯いた。
そんな彼女の顔を、横目で眺める純。
“──素顔を見せずに、なんにでもなれるなんて、カッコよくない?”
昨日の彼女の言葉。
「……」
彼女が飛び出してきたのは、声優の現状と自分の理想に差があるからか……?
眉間にシワを作って、純は考え込む。
そのまま、車で揺られること約十分。
だんだんと街を離れて、周りは畑や田んぼだらけになった。
土手の上でタクシーを降り、河川敷まで歩く。
「ほら、あそこだよ」
マネージャーが指さしたところは、河川敷に作られた駐車場。
大きなバスが停まっていて、その周りをちらほらと人が行き交っている。
普段は散歩や釣り目当ての人間しか寄りつかないので、バスは特に目立った。
何事かと見に来たギャラリーもいるので、いつもより河川敷は賑わっている。
マネージャーが綾の方を振り向いた。
「さぁ! とりあえず、まずは衣装に着替えておいで。 そうしたら、そのあと、監督のところへ──」
「……!」
「──謝りに行こう。 僕は今綾ちゃんが到着したことを、監督に伝えてくるから!」
彼の言葉の途中で、一瞬、綾の身体がビクッと反応したのを、純は見逃さなかった。
マネージャーはというと、言うが早い、純達の事を忘れて、駆けだして行ってしまった。
よほど綾が仕事に復帰したことが、嬉しいのだろう。
「……」
「……行くぞ」
なかなか歩き出さない綾を見かねて、純が先陣を切る。
そっと夏子が彼女の肩に触れると、綾は不安ながらも微笑みを浮かべて、純の後について行った。
河川敷の勾配を降りる途中から、純が何やらゴソゴソとデイパックを漁り始める。
「? どうしたの? それって、劇の衣装なんじゃ……」
綾が聞くが、純はそれを無視して、中からサングラスを取り出した。
以前、誠也たちと海に行ったときに、掛けていたものだ。
次に、自分の長髪を纏めている髪留めゴムに手をかけると、さっとそれを解き放ち、さらにデイパックからタオルを出して、首からぶら下げる。
最後に、綾が昨日、逃走時に被っていた野球帽を被り、タオルで口元を隠すような仕種をする。
いつの間にか、さっきまでの純の姿が完全に消えていた。
やがて、純たちがバスに近づくと、
「おーい、綾ちゃん」
そう声がして、ポーチに化粧道具を入れた女性が現れた。
「おはようございます」
お辞儀して挨拶を交わす綾。
「昨日は本当に、すみませんでした」
そう言って、もう一度、頭を下げる。
女性は笑いながら、ヒラヒラと手を振った。
「いいんだって、こうして、今日ちゃんと来たんだから。 ところで、そちらのお二人は?」
目線を純と夏子に向ける女性。
「あ、えっと……昨日、お世話になった、アタシのお友達です。 今日は、現場の見学に来てくれて……」
「お忙しいところ、お邪魔します」
丁寧にお辞儀して、夏子が対応する。
「これはどうも。 じゃあ、綾ちゃん、バスで衣装に着替えたら、すぐにメイクするから、おいで」
手を振りながら、女性が去っていく。
純達は遠くからも目についた、あの大きなバスに向かった。
「……」
「……」
「……」
やがて、バスの元に着いても、三人は無言のままだった。
「……じゃあ、着替えてくるね」
綾が二人に向かって言う。
夏子はいつもの微笑み。
純に至っては、顔のほとんどが、サングラスやタオルで隠れて、表情が読み取れない。
「……あの……二人とも、どうしちゃったの?」
恐る恐る、綾は聞いてみた。
なんだか、二人が別人のように思えたからだ。
よくあるSF映画のように、外見はそっくりでも、中身は別物にすり替わってしまったようだった。
きっと、このあと、二人は言うのだ。
──“そろそろ始めましょうか”
──“おう”
そして、きっと綾は二人に襲われてしまう。
「……」
そんな妄想をしていると、突然、夏子がポツリと呟いた。
「そろそろ始めましょうか」
「──えっ?」
驚く綾を他所に、純も答える。
「おう」
まさか──と、綾が後ずさりする。
「ちょ、ちょっと、二人とも? なんか──怖いよ?」
うろたえている綾を尻目に、夏子は周りをキョロキョロと見まわし、誰もいない事を確認した。
「いったい、何を──」
──次の瞬間。
純の身体が、サッと動いて、一瞬のうちに綾をバスの中に押し込んだ。
続いて夏子が入り、もう一度、周りに誰もいないかを確認し、バタンとバスのドアを閉じる。
静寂を取り戻したその場は、まるで最初から誰もいなかったかのようだった。
その一方、綾の身に起きていることも知らず、マネージャーは、とある男に会っていた。
言うまでもなく、監督だ。
「──と、言うわけで、彼女も問題なく戻りましたので……」
「……ふーん」
モスグリーンのハンチング帽を被り、中年太りした体をどっかりと折り畳みの椅子に預け、気怠そうに返事をする男。
その目は大きなサングラスのレンズ越しに、自分の指の爪を見ている。
「で? 綾は?」
(呼び捨てかよ!)
心の中で不満を呟きながらも、ぐっと堪えて笑顔を作るマネージャー。
「さっそく、衣装に着替えてます」
「ふーん」
そういえば、出会ってから、まだ一度も目線を合わせてもらってないな──そんな事をマネージャーが思っていると……
「そんで? 今来たその女は誰だ?」
サングラスの向こうの目が、一瞬だけ自分の隣を確認した。
「へ?」
驚いて、マネージャーが振りかえると、いつの間にか夏子が立っている。
「あ、え、えっと!この子は──」
「綾さんの友達で、見学者です」
「……」
自分から監督に、丁寧に挨拶する夏子を、やはり監督は無視した。
「あれ? ねぇ、もう一人は?」
「姫ちゃんなら、お手洗いだと思います」
「ちょ……!勝手にウロチョロされると困るんだけど──」
マネージャーが言っている途中、大きく溜息をつきながら、監督が立ちあがった。
「ど、どちらへ?」
恐る恐る問いかける、マネージャー。
「綾んところ。 本人に会って話す。 昨日はいきなり逃げ出して、今日は今日でオトモダチを連れてくるとはな……」
のっしのっしと体を揺さぶりながら、監督は一度もこちらを見ることなく、去って行った。
「──……ちょっと!君たち!!」
突然、マネージャーが夏子に向き直る。
「今の見た?! 僕の許可なしに勝手なことして、監督さんの気を逆撫でしないでよ!」
「勝手もなにも、私たちを置いて行ったのはマネージャーさんですよ?」
笑顔のまま、やんわりという夏子。
「と、とにかく!今後は僕から離れない様にね! もう一人の子にも伝えて!」
「今さっきメールしました」
手に持った携帯を見せる夏子。
「今回の仕事は、僕のアイドルが羽ばたいていく第一歩なんだ! あの監督はね、ああ見えて『業界』では大きな権力を持ってる。 気に入られれば、その後の仕事も廻してくれるかも──」
「マネージャーさん」
相変わらず、機関銃のようにペラペラと喋る彼に、夏子が割って入った。
「お仕事は大切ですか?」
「…へ?」
一瞬、マネージャーは彼女の問いかけの意味が解からなかったようだ。
しかし、すぐに理解すると、
「当たり前だよ! 今も言ったように、今回の仕事は──」
「じゃあ、綾さんは大切ですか?」
また彼が早口で捲くし立てる前に、夏子は再び遮る。
「そりゃそうだよ!なんてったって、あの子は僕の育てるアイドル第一号──」
「それじゃあ──」
夏子はいつものように微笑んでいたが、マネージャーは一瞬──気のせいかもしれない──彼女の笑みが、とても冷たく感じられた。
「な、なんだい?」
彼女の発する雰囲気に圧されて、どもりながらマネージャーが尋ねる。
夏子の最後の質問──
「──お仕事と綾さん、どっちが大切ですか?」
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