第7話(7)

次の日──



朝早くから、純たちは練習を開始していた。

普段は教員が立っている教壇を、仮想の舞台に見立てて、実際の動きを確認しながら、役者達は演じる。

今、その舞台に上がっているのは、衛兵役男子と召使い役の女子、そして、お姫様役の純だ。

その純を見るなり、側にいた男子数人がコソコソとなにやら話し始める。

「……なんかさ、姫宮のやつ、演技めっちゃうまくなってないか?」

「やっぱそう思う? 昨日とは、まるで別人だよな!」

彼らの言うように、今の純はセリフや身振りに迷いも恥もなく、堂々と役を演じていた。

「一体、何があったんだ?」

たった一晩で、ここまでの変貌ぶりに、みな驚きを隠せないようだ。

続けて、別の男子が言う。

「おれ、おかしいのかなぁ?」

「なんでよ?」

「マジで姫宮が可愛くみえてきた」

「おかしくないぞ、それ。 俺もだ」

「……充分おかしいわッ!!」

会話の端々を聞き取っていた純が、舞台上から振り向いて吠えた。

「姫ちゃん、衣装班の子が、ずっと家庭科準備室で待ってるよ」

教室へ入ってくるなり、夏子が声をかけてくる。

「ああ、すぐ行く」

練習の予定表にチェックを入れながら答える純。

「姫ちゃんの演技が突然上手くなったって、あちこちで話題になってるよ」

隣に立ち、そう言いながら夏子が微笑む。

「綾さんに何かコツでも教わったの?」

「ああ、みっちり朝までな」

「えっ、朝まで?」

「アイツは途中で寝てたけど、オレは一人で台本暗記してた。 もう、全部覚えたから、本いらずだよ」

あくびをしながら、さも当然であるかのように純は言い、首を回してゴキゴキと関節を鳴らす。

かつて、どんなに大変なテストがあっても、決して徹夜などしない彼が、今回ここまですることに、夏子は素直に驚いていた。

「ああ、そうだ、思い出した。 昨日、セリフを覚えながら、ちょっと考えてたことがあるんだけどさ……」

ふと思い出したように、純が言う。

“なに?”と小首を傾げる夏子。

アイツが言ってた、仕事から逃げた『理由』」

「えっと……“自分にこの職は向いてない”って言ってた、あれのこと?」

夏子が聞き返す。

「なんか、おかしいと思わないか?」

純が眉間にシワを寄せる。

「何が?」

再び夏子が尋ねると、純は腕組みして言う。

「“自分はこの仕事に向いてない”とか言いだして、落ち込んだりするようなヤツが、その日の晩に、いきなりマジになって他人に演技指導したりすると思うか?」

彼のこの疑問に、

「……確かに」

と呟く夏子。

純は、さらに続けた。

「そもそも、他人に何かを『教える』っていう行為は、そう易々とできるもんじゃない。 スポーツだろうと勉強だろうと、コツコツ努力を積み重ねて、自分のモノにできて、ようやく誰かに教えられるようになる」

「そうね」

「昨日、直接指導を受けたオレの印象では、アイツは今までに相当な努力をしてきてる。 じゃなきゃ、教え方にあんな説得力は生まれねぇよ」

「なるほど。 確かに、そんな綾さんが監督にちょっと批判されたくらいで、あそこまでヘコむっていうのは、納得がいかないね」

夏子も純と同じ結論へと辿りついた。

そして、思い出したように言う。

「そういえばね、実は私も昨日姫ちゃんから綾さんの話を聞いた時、引っかかっていたことがあったんだ」

「なんだよ?」

今度は、純が尋ねた。

「私と誠也が事情を説明しにマネージャーさんの所へ行ったとき、マネージャーさんは、“今日の仕事は監督さんやスタッフさんたちとの『顔合わせ』だったから、そこまで支障はなかった”って言ってたの」

「……それが?」

「もし、昨日は『顔合わせ』をしただけだったのなら、まだ監督さんからんじゃないかしら?」

夏子の問いに、純は再び眉間にシワを寄せた。

モヤモヤとした違和感が、頭の中に広がる。

「……なんか色々とズレてる気がするんだよなぁ」

ブツブツと呟き、考え込む純。

そんな彼の横顔を見て、夏子は微笑んだ。

「フフ…」

「? なんだよ?」

不意に聞こえた夏子の笑い声に、純は怪訝な顔をする。

夏子は首を横に振った。

「なんでもない。 それより、今はやることが山積みだよ。 あとで綾さんを迎えに行かなきゃいけないし」

「わかってる。 さっきその辺で男子達が暇そうにしてたから、オレが衣装班を見てる間に、アイツらの出るシーンを練習してやってくれ」

「了解」

そう言うと、二人は一旦別れて、それぞれの仕事に戻った。
















 時刻も昼に差し掛かると、純と夏子は買い出しという名目で学園の外へ出た。

本当は、綾をマネージャーの元に送り届けるのが目的だが、当然、クラスメイトにそれを説明する訳にはいかない。

それにより、一番ダダをこねたのは、真実を知っている誠也だ。

「おれも綾ちゃんの見送り行きたい!」

むくれる彼に、純は呆れたように言う。

「ワガママ言ってんじゃねぇよ。 もう本番まで時間がねぇんだ」

「姫ちゃんがいない以上、他の部分を練習するには、もう一人の主役である誠也が残らないとダメなの」

夏子からの説明にも、誠也はまるで子供のように拗ねた。

その後、何とか彼を説得し、純と夏子は学園を後にする。

「──ったく、無駄に時間を取られたな」

炎天下の道中、ダルそうに純が零した。

「まぁまぁ、良かったじゃない。なんとか誠也は置いてこれたし」

「……あ?」

「初めから、こうするつもりだったんでしょ?」

いつものように、“なんでも知ってます”と言わんばかりの微笑みで、夏子が言う。

「本当に“無駄だ”と思ってたら、姫ちゃん、きっと私ひとりで行かせるじゃない?」

「……」

確かに、マネージャーに綾を引き渡すだけなら、夏子一人で十分事足りる。

学園祭のために、らしくない徹夜までする純が、こうして練習を抜け出したのには、夏子の言うとおり、とある『計画』があったからだ。

「……別に大したことじゃねぇ。 気になるから、ちょっと調べてみようと思っただけだ」

観念したように純が答える。

「……」

しかし、夏子は急に黙ってしまった。

「……どうした?」

純が彼女に尋ねると、いつもの微笑みが消え、夏子が真剣な表情をした。

「あのね、今朝、純ちゃんと話をした後、私も考えてみたの」

「おう」

純が相槌を打ったところで、二人は大通りに差し掛かった。

目の前の赤信号に、足を止める。

ゆらゆらと蜃気楼が揺らめくアスファルトの上を、何台も車が行き交う。

「これは、私の勝手な妄想なんだけど──」

夏子は静かに語り始めた。

それと同時に、彼らの横を大型トラックが走り抜け、その騒音が夏子の声をかき消す。

すぐ隣にいて、聴こえている純は、コクコクと頷いていた。













「ハァ……」

純の部屋の中で、人知れず綾は溜息をついた。

どこか緊張した面持ちで、椅子に座ったまま、足をパタパタとさせる。

やがて、なにかを嫌なことでも思い出したのか、眉間にシワを作りながら目を閉じて、天井を仰いだ。

その姿は、まるで、悩み事をしている時の純に瓜二つだった。

その時、“ただいま”と言う声が階下から聞こえた。

この部屋の主が帰ってきたようだ。

しばらくして、ガチャッとドアが開くと、純が姿を現す。

「準備はできてるか?」

来て早々、綾にそう尋ねる純。

一度だけ大きく深呼吸して、コクンと綾は頷いた。

「よし、じゃあ──」

言いながら、彼は部屋の隅にあるクローゼットを漁りはじめる。

「──コレ、着ろ」

取り出した衣服を、ポーンと放り投げた。

「へ?」

いきなりのことに、呆気に取られる綾。

「へ?じゃねぇよ。 着替えを貸してやるから、さっさと着替えろ」

「え、で、でも、あの──」

口ごもる彼女に、純がズイッと詰め寄る。

「あ~っ、もう!グダグダ言うな! 着替えりゃいいんだよ!」

「は、はいっ!ごめんなさい!」

彼女の腕に衣服を押しつけ、純が部屋を出て行く。

ポツンと残された綾は、しばらく茫然としていたが、黙って自分の服を脱ぎ始めた。

一方、部屋を出た純は、日の当たるベランダで洗濯物を干していた譲治に、昨日からの事情を全て説明した。

「……なるほど。左様ですか」

「悪かったな。 何も言わなくて」

「とんでもございません。 それよりも、お気をつけて、お出かけくださいね」

陽だまりのような微笑みを浮かべて、譲治が言う。

「あのぅ……」

そこへ、着替え終わった綾が現れた。

彼女の姿を確認して、入れ替わりに純がベランダを出て行く。

「すぐに出るぞ、ジョージにあいさつしとけ」

通り過ぎ様、綾にそう囁く純。

綾は譲治に近づくと、ぺこりとお辞儀した。

「ゆ、譲治さん! 突然のことでしたが、一晩の間、ホントにありがとうございました!」

精一杯の感謝を述べる彼女に、譲治は微笑む。

「またいつでもお越しください。 そのときのために、雛咲様のお好きな料理をお聞きしたいのですが」

優しい彼の言葉に、綾は嬉しそうに笑った。

「アタシ、また譲治さんのパスタが食べたいな」

「かしこまりました」

長身を折り曲げ、丁寧にお辞儀をしながら、譲治が左手を差し出す。

綾は、その左手をしっかりと握り返した。

「さぁ、行くぞ。 玄関で夏子が待ってる」

背後から、純の声がする。

いつの間にか、肩にデイパックを抱えた彼が、綾を待っていた。




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