第7話(6)

「ごめんなさい。 先にお風呂いただいちゃって」

濡れた髪をタオルで拭きながら、綾が純の部屋に戻ってきた。

純は机に向かって、紙に何か書き込んでいる。

「ああ、別にいいって」

綾の方を見ずに、純が返事する。

「なにを書いてるの?」

ヒョコっと彼の背後から、紙をのぞき込む綾。

「わっ!バカ!見んなよ!」

純は慌てて机の上に覆い被さり、彼女の視線を遮った。

その拍子に、紙の横で開いていた冊子が落ちる。

「あれ? これ……台本?」

拾い上げた綾が、ページをめくりながら聞く。

純は諦めたように説明した。

「そうだよ。 学祭でやる劇の台本だ」

へぇーっと、返事を返し、綾がさらに尋ねる。

「アナタは何の役なの?」

「とある陰謀で主役にされちまってな。 そのせいで忙しいんだよ。 だから、早く、ソレ返せ」

純が手を差し出すが、綾はそのまま台本を読み始めてしまった。

「……ったく──」

純がガシガシと髪を掻き上げる。

鳳佳の魔力に引き込まれた綾は、立ったまま物語に没頭していた。










 数十分後──。

読み終えた綾は、はぁーっと細く溜息を吐き、本を閉じた。

その瞳は、うるうると揺れている。

「で? どうだった?」

机に頬杖をついて、純が彼女に尋ねると、

「かんどーしたっ!」

鼻にかかった震え声で言いながら、両目をこする綾。

「すごいね。 アナタにこんな才能があるなんて。 わかりやすいストーリーなのに、文章がとても繊細で、表現に魅力がある──まるで情景がそのまま脳内に流れてくるみたい……尊敬します」

ペコリと頭を下げて、綾が言う。

純はその姿を数秒眺めていた。

「──オレが書いたんじゃねぇよ」

短い沈黙を挟んで、彼はそう呟いた。

「え? でも、表紙にアナタの名前が──」

綾が言うと、純は肩の高さで両手を広げた。

「『ゴーストライター』ってヤツでね。 訳あって、本当の著者はオレと夏子しか知らない。 だから、誠也に言うなよ」

「え、あ……うん」

曖昧ながら、コクコクと頷く綾。

「でも……そんなこと、部外者のアタシにバラしちゃっていいの?」

この質問に、純は長髪をガシガシと掻き上げ、椅子から立ち上がる。

「オマエがあまりにも誉めるからよ。 素直な感想を聞いたら、『オレが書いた』なんて、嘘つくのが嫌になった。 まぁ、部外者だし、問題ねーだろ──」

ベッドの上に畳んで置いてあった着替えを取り、部屋の出口へ向かう。

「風呂入ってくる。 オマエは先に寝てろ」

綾の方を振り向かず、戸を開けて出ていく。

階段を降りると、丁度、譲治が通りかかった。

「雛咲様のお布団は、用意したもので大丈夫でしたでしょうか?」

「ああ、サンキュー」

「夏場とはいえ、冷房が効き過ぎると御身体に障ります、ご注意ください」

「わかってるよ。おやすみ」

「おやすみなさい、純様」

譲治と別れて、浴室に入り、ふと時計を見上げる。

時刻は、もうすぐ深夜を迎えようとしている。

(そういや、今日はメールが無いな)

湯船から立ち上る湯気を追って、目線を時計から外す。

綾のゴタゴタでしばらく忘れていたが、急に鳳佳のことを思い出した。

「まいったなぁ……」

溜息とともにそう呟き、純は目を閉じる。

自分が未だ『お姫様』という役に馴染めないことに、純は焦りを感じていた。

役が感じていることを想像し、試しに紙に書き起こして、理解しようと試みたが、どうもそれを演じるとなると、恥ずかしさが邪魔をする。

しかし、そんなことで梃子摺てこずっていられる暇もない。

役者の仕事以外にも、舞台監督として、しなければならない作業がある。

「まいった……ホントに、まいった」

手を伸ばし、栓を緩めてシャワーを出す。

勢いよく降りかかる水飛沫を、純は無言で受け止めた。

濡れた長い髪が頬に張り付いたまま、浴室のタイルを見つめる。

「……鳳佳、がっかりすんだろうな」

無意識に言葉にし、彼は湯船から出た。















 眉間にシワを寄せて、明日の練習のスケジュールを考えながら部屋に戻ると、先に寝たと思っていた、綾がまだ起きていた。

「……!」

よく見ると、彼女は先程まで純が書いていた紙を読んでいたところだった。

「あ! テメェ!勝手に読むなよ!」

慌てて髪を乾かしていたタオルを放り出し、彼女からメモを取り上げる。

「クソッ……風呂に行く前に、ちゃんとしまっとくんだった──」

彼がブツブツと文句を言うと、

「それね、よ」

突然、綾が言った。

「へ?」

「キャラクターの『感情』や『心理』を固めちゃうと、演じる幅を失っちゃうから、文章には書き起こさない方が良いよ。 やりたくなるのはわかるけど」

「……」

真剣な眼差しの彼女に、純は何も言い返せなかった。

そんな彼を無視して、綾は続ける。

「それよりも大事なのは、台詞をそのまま『伝える』こと。 試しに、このシーン見てあげるから、ちょっとやってみて」

突然の言葉に、純は唖然とする。

「……は!? いま、ここでか?」

「もちろん」

“さぁどうぞ”と言わんばかりに、両手を広げる彼女。

初めてみる堂々とした彼女の姿に気圧されて、純は思わず、素直に従っていた。

「『ちょっと待って、王子──』

「はいっ! ストーップ!!」

間髪入れずに、綾が遮る。

「なんだよ、急に」

突然止められたことで、純は眉間にシワを寄せる。

「ちゃんと『話せて』ない」

首を横に振りながら、綾がそう指摘する。

「……話してるだろ」

純が反論すると、

「ううん。 『読んでる』だけ」

腰に手を当てて、綾が言った。

「この台詞は誰にいうの?」

「そりゃ……王子だろ?」

「何のために?」

「えっと……待ってほしい……から?」

「じゃあ、そう思って言って」

腕を組み、厳しい目で、じっと純を見つめる。

「『ちょっと待っ──』

「ちゃんとアタシの目を見て」

またも即座に止められ、少しムッとする純。

「『ちょっと待って、王子』」

「ダメダメ! ぜんぜんダメ!」

今度は言い切ったが、綾は首を振った。

「まだ届いてない。 こんなんじゃ、クラスの人達も失望しちゃうよ?」

「ぐ……! オレだって、望んでこの役になったんじゃ──」

「お客さんは、そんな事情なんて知らないで観に来るんだから、どんな理由も言い訳にはならないよ? アナタ、そんな心構えで演じていて、本当にこの劇を成功させたいの?」

「……」

純は黙るしかなかった。

綾が言う事は、真剣で、正しい。

「そんな心構えじゃ、『脚本』を書いた人にも失礼でしょ」

「!」

「だいたい──」

腕を組んで、綾は続けようとする。 しかし──

「──ちょっと待ってくれ」

今度は純が、彼女の言葉を遮った。

「オマエの言うとおりだ。 オレのさっきの言い分は最低だった。反省する」

眉間にシワを寄せて、目を閉じる。

「……ただ、この劇を成功させたい気持ちは本当なんだ。 そのために必要なことは全部やるから──」

再び目を開くと、まっすぐに綾を見つめ、

「頼む。 オレに『演技』を、一から教えてくれ」

真剣にこうべを垂れて頼む彼に、綾は鋭く人差し指を突きつけた。


「それだよ」


さっきの厳しい顔はどこへやら、彼女は笑顔を浮かべている。

「へ……?」

純はキョトンとした。

「今さっき、『ちょっと待て』って言った時、どう? 言葉を考えて話してた?」

またも突然、雰囲気の変わった綾に対して、純は呆然としながら返事をする。

「い、いや……」

確かに、純は言葉を思い浮かべて言った訳ではない。

綾に伝えようとして、自然と口をついて出た。

「『言葉』そのものを考えないで。 言葉の持つ『意味』を意識するの」

笑顔のまま続ける綾。

「集中して。 恥ずかしいなんて、思わないくらい」

「あ、ああ」

曖昧に返事する純に、綾が微笑んだ。

「大丈夫。 これは『演技』──全部が『ウソ』なんだから。 劇中のお姫様が起こす行動は、一切、現実のキミに関係ないことなの」

彼女の語ったこの思考理論に、純は“なるほど”と、深く感心した。

(そうか。 オレは『オレ』のままで、舞台に立っていたから、恥ずかしいと感じたのか)

「アナタの思ってる以上に、人間って騙されやすい。 ましてや、これはストーリーの付いた『お芝居』──舞台を見ている観客は、アナタを『姫宮 純』ではなく、『登場人物の一人』として、観てる。 演技が良ければ良いほど、アナタの姿は観客の意識から消えて無くなる」

「……そうだな」

純が呟く。

そんな彼に、綾は悪戯っぽく微笑んだ。

「それに元々、女の子っぽい外見だしね」

「一言余計なんだよ、オマエ!」

純が眉根を寄せる。

あははと笑って、再び綾が真剣な表情を見せる。

「とにかく、集中! “恥ずかしい”と思った瞬間、観客には『アナタ』が垣間見える。 いかに、最後まで観客を騙し通せるか──さぁ、さっきのカンジで、アタシに向かって言ってごらん」

「ああ……」

「もっともっと集中して! アタシに『伝えるんだ』って気持ちだけを強く意識して!」

「おう」

軽く深呼吸して、状態を整える純。

「いくよ? 3・2・1……ハイ!」




綾の指導は、遅くまで続いた。




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