第7話(4)

「ただいま」

ガチャリと玄関の扉を開け、帰宅を知らせる純。

すぐにキッチンの方からパタパタと足音がし、譲治が出てきた。

「おかえりなさいませ、純様。 夕食はもう少しで用意できますので」

「ああ、それがさ、ジョージ」

純は靴を脱ぎながら、譲治を呼び止める。

「なんでございましょう?」

優しく微笑んで、譲治は次の言葉を待つ。

「急で申し訳ないんだけど、泊まり込みで学園祭について話し合うために、今クラスメイトが来てるんだ」

「おや、左様ですか」

譲治の視線が玄関の扉の方へ向く。

「入れよ」

純がそう言うと、ガチャッと音がして、ゆっくりと扉が開いた。

「あっ…その…えっと…」

家の中に入り、ドアノブを掴んでいた左手を、おずおずと放す綾。

「お、お、おじゃまします!」

ぺこりと譲治に向かって、頭を下げる。

「これはこれは、御丁寧に」

譲治も、丁寧なお辞儀で返した。

「わたくし、当『姫宮家』の主人あるじに仕えております、小林 譲治と申します」

そう自己紹介しながら、譲治は綾に左手を差し出す。

「ひ、雛咲 綾です。 姫宮クンには、その、いつも、おせ、お世話に……」

握手に応えながら、綾がごにょごにょと呟いた。

そんな彼女の姿に、純は頭を抱える。

「挨拶はもういいから、ついてこい」

綾に向けて、顎でこちらに来るように指し示す。

あたふたと靴を脱ごうとする綾を見つつ、譲治が呟く。

「となると、夕食の量を変えねばなりませんね」

それを聞いて、

「あ、そうだ。後で誠也と夏子も来るから……」

純が口籠る。

譲治は笑顔で頷いた。

「かしこまりました、心配には及びません。 それより、後で、お部屋に何かお飲み物をお持ちいたしましょうか?」

「いや、大丈夫だ。 晩飯ができたら呼んでくれ」

「承知しました」

もう一度、頭を下げて、譲治はキッチンに消えて行く。

残された二人は、玄関近くの階段を上がって、すぐ右側にある純の自室へ入った。

「さっきのおじいさんて、もしかして執事?」

「違ぇよ」

綾の質問に、短く返答する純。

「突然、アタシみたいな女子が泊まるって言っても、何も聞かないんだね」

続けて綾がそう尋ねると、

「アイツの事だから、既にいろいろ察してるだろうけどな。 その上で、聞く必要のある事以外は聞かないヤツなのさ」

と純が答える。

「ていうか、ジョージのことはいいんだよ。 とりあえず、ココに座れ」

机の前から椅子を引いて、チョイチョイと指差す純。

綾はそれに従って座ったあと、純はベッドに腰を下ろした。

「まずは、事の成り行きを説明しろ」

腕を組み、まっすぐに綾を見据える。

一方、見つめられた綾は、まるで面接試験でも受けているかのように、体を緊張させた。

背筋をピンと伸ばし、握った拳を膝の上に置いて、目線は宙を漂っている。

数秒間、言葉を選んでいた彼女は、何かを決心したように、ゆっくりと口を開いた。

「今回この町に来たのは、ちょっとした撮影の仕事だったんだけど──」

彼女の言葉に、純はマネージャーが持っていた綾の写真を思い出した。

「ああ、アレか。 つか、こんなとこで、グラビアの撮影なんかするのか?」

怪訝な顔で、そう尋ねる。

「?」

一瞬、キョトンとした顔をする綾。

しかし、見る見るうちに顔が赤くなっていく。

そして──…


「いやぁぁぁぁっ!!」


ガタン!と、勢いよく椅子をはね飛ばし、急に綾は立ち上がった。

「も、も、も、もしかして…! あ、あの、あの写真、見たのッ?!」

あまりの勢いに面食らって、純は無意識にコクコクと頷いた。

綾は泣きそうな目で、自分の胸を抱く用に腕を交差し、声を上げる。

「違うの! アレはマネージャーが勝手に受けてきた仕事で! アタシは最後まで嫌だって言ったのに、“知名度を上げる為にどうしても”って言うから──」

「わかった!わかったから!落ちつけって!」

顔を真っ赤して綾が喚きたてるので、両掌を向けて彼女を鎮めようとする純。

言われて、ようやく口を噤んだ彼女は、幾分落ち着きを取り戻し、椅子に腰を下ろそうとした。

ところが、椅子はさっきの勢いで、綾の思っている位置から大きく移動している──

「きゃあっ!」

気づかず座ろうとした綾は、そのまま後ろ向きに倒れた。

「……今までよく生きてこれたな」

呆れた表情で呟く純。

体を起こしながら、綾は説明を続けた。

「今、出演してるアニメの原作の舞台が、この町をモデルにしているの。 今回はそのアニメの特典映像を撮りに来ただけ」

転んだ痛みに“イタタ…”と顔をしかめながら、椅子を引き戻し、ちゃんと座りなおす。

純は疑問を口にする。

「声優なのに『グラビア』や『撮影』の仕事なんて回ってくんのか?」

それを聞いて、綾は肩を竦める。

「今のご時世、普通だよ。 『声優は顔を出さない』ってイメージは、完全に前時代の考え方なの」

「ふーん」

その手の事情を全く知らない純は、“そんなもんなのか”と思っただけだった。

「……でもね、ホントはアタシだって、できることなら『顔出し』したくないんだ」

少し悲しそうにそう言った後、綾は語り始めた。

「小さい頃に童話のアニメを見たの。 怖~い『魔女』の出てくるお話」

興奮気味な彼女の声に、純は黙って耳を傾けた。

「ホントにすごい怖くて、よく両親が寝ようとしないアタシに向かって、“早く寝ないと魔女がくるよ”なんて脅しては、布団の中で、ガタガタ震えてた──」

当時を思い出したのか、恥ずかしそうに笑う綾。

「──でもね、中学生になったとき、その『魔女』役の声優さんが、別の作品ですごく優しい『お母さん』を演じてることを知ったの!」

彼女の声にさらに熱が篭る。

「あまりの凄さに、鳥肌立てて感動したなぁ……。 とても同一人物とは思えなかったから……」

「それが『声優』に憧れた理由か」

純が尋ねると、綾は大きく、コクリと頷いた。

「うん。 実写と違って、声優は『性別』も『年齢』も関係なく、それこそ、『人間以外』のものにだってなれる。 素顔を見せず、何にでもなれるなんて、カッコよくない?」

興奮して語る綾を、純は黙って眺めていた。

「今までは、ずっとモデルやグラビアの仕事ばかりだったけど、最近、ふとメインキャラクターの仕事が入ってきて──」

フッと微笑む。

「嬉しかったの。 やっとやりたいことができる──やっと、あの人と『同じ場所』に立てるって」

しかし、ここで、綾は表情を曇らせた。

「でもその作品の監督さんに──ちょっと、いろいろ言われちゃってね……」

一度、口を閉じる綾。

次の言葉を慎重に選んでいるようだ。

しかし、最終的に伝えるのを諦めたらしい。

目を閉じて、はぁっと深く溜息をつくと、

「アタシ、この仕事に向いてないのかも」

そう言葉を絞り出した。

そんな彼女の様子をみて、純は眉間にシワを寄せ、目線を逸らした。

「向き不向きについては、よくわかんねーけど──」

組んでいた腕を解いて、ベッドに後ろ手を付くことで体を支える。

「──オマエの憧れって、所詮はそんなもんなんだな」

別に怒鳴られた訳ではないのに、まるで彼に一喝されたかのように、綾は顔をしかめて俯いた。

(自分の実力の無さを監督に指摘されて、ショックを受けて突発的に飛び出したって感じか──ったく、中学生じゃあるまいし……)

純はイライラと目を閉じる。

「ウチに泊めておけるのは今日だけだ。 明日には、仕事に戻れよ」

「……うん」

弱々しい返事とともに、小さく頷く綾。

しばらく、二人の間を静寂が満たしたが、まもなく玄関口が賑やかになった。

夏子と誠也がやって来たようだ。

階段を上がってくる音がする。

コンコンというノックの後、

「純様、お客様です」

譲治の声。

「おう」

純は戸を開き、綾を残して、廊下で二人と落ち合う。

「どうだった?」

早々に純が尋ねると、

「幸い今日の仕事に支障はなかったそうよ。 説得するのは骨が折れたけど、条件付きで外泊の許可も貰えたわ」

夏子が微笑む。

「条件付き?」

純は怪訝な顔をした。

「マネージャーさんがね、綾さんが『どうして突然、現場を逃げ出したのか』を私たちに聞き出してほしいんだって」

夏子が答える。

それに対して、誠也がさらに付け加えた。

「仕事に関して何か思うところがあったんだろうけど、もしそうなら仕事に関係の無い、第三者のおれたちの方が、彼女からワケを聞き出しやすいんじゃないかってさ」

彼の言葉に、純は眉間にシワを寄せると言った。

「それなら、もう聞き出した。 取るに足らねー理由だったけどな」

純は、つい先ほど彼女から聞いた話を二人に話した。

「──……なるほどな」

誠也が腕組みをして、頷く。

「……」

対する夏子は、無言のままだった。

一瞬、その無言が純は気になったが、特に追求しなかった。

「アイツにも伝えたけど、明日には仕事とやらに戻ってもらうよ」

「……そうね。 今日の『お泊まり会』で、綾さんの気分が少しでも、晴れたら良いけど」

純の言葉に、夏子は微笑んでそう言った。




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