第7話(3)

 純と誠也は裏路地を抜け、商店街の入り口で待っていた夏子と、無事に合流した。

「計画通りだな」

彼女の隣にいる綾を見て、純は夏子に言う。

「いきなり電話で“先回りして捕まえろ”なんて、言うんだもん。 大変だったんだよ?」

苦笑する夏子。

彼らの会話にキョトンとした表情をする綾に、純は向き直る。

「さて──」

そう呟いて、野球帽を脱ぎ、ポスッと綾の頭に被せる。

「ひぇっ!!」

綾は小さく悲鳴をあげた。

初めて純の素顔を見た衝撃で、あんぐりと口を開け、固まる。

自分の容姿に、そっくりな人間が目の前にいるのだから、当然と言えば当然の反応だ。

「そんな顔すんな」

穴が開くほどの勢いで自分を見つめる彼女に、純は眉間にシワを寄せる。

「え…あ──」

それでも、彼女は純から目を離さない。

やれやれと首を振って、純は腕組みをすると、続ける。

「アンタが雛咲 綾だな?」













「あっ──は、はい。そうです…」

もじもじと、不安げな声を漏らす綾。

「!! 声まで一緒じゃん!」

誠也が興奮したように言った。

「えー、違わない? 姫ちゃんは、もっと低いよ」

夏子の分析に、純は呆れて溜息をつく。

「んな事はどうだっていい」

そして、スッと再び、綾を見据えた。

「オレは姫宮 純。 こっちは水瀬 夏子と白石 誠也だ」

手短に紹介を終わらせ、早々に本題へ入る。

「オマエ、なんだって、あんな輩に追われてたんだ?」

純の質問に、綾はしゅんとして、目線を地面に落とす。

「さ、最初は全然、大した事じゃなかったんです。 スーパーの近くを歩いていたら、突然声をかけられて……」

「どんな風にですか?」

夏子が優しく尋ねる。

「“おまえの事知ってるぞ”って。 あたし、てっきりファンの人が声をかけてくれたんだと思って、嬉しくて、急いで握手しようと手を差し出したんです。 そしたら──」

「殴られそうにでもなったか?」

純が綾の言葉引き継ぐも、彼女は首を振った。

「あたし、そのとき落ち着こうと思って自動販売機で買った、紙コップの熱いお茶を手に持ってたんだけど、それを全く意識していなくて──」

「……」

そんなものを持ったまま、いきなり手を差し出せば反動で中身は飛び出すだろう。

詰め寄った男に向かって、飛び散る熱いお茶……

「お前なぁ……」

呆れ声で純が溢すと、綾は慌てて弁明した。

「で、でも、アタシすぐに謝ったんです! なのにその人、“上等だ、オトコオンナ!よくもこの前は恥かかせてくれたな!”とかなんとか……、よくわかんないこと言いはじめて……」

「……」

過去に純は、この商店街で、声をかけてきた何人かの男とトラブルを起こしたことがある。

中には、彼の自己防衛によって、手酷く跳ね除けられた者もいた。

夏子と誠也が、それぞれじっと純を見つめる。

「……オレのせいかよ!?」

視線に耐えかねて、純が叫んだ。

「──とにかく、オレたちはアンタのマネージャーとやらに、アンタを連れて来るよう頼まれてんだ。 おとなしく付いて来てもらうぜ」

腕を組み直して、くいっと顎でマネージャーが待つ公園の方を指す純。

「姫ちゃん、そのセリフ、なんか悪者みたいだよ」

夏子がクスクスと笑う。

「変なちゃちゃ入れんな!」

キーッと純が彼女に反応する隣で、

「あの、聞いてもいいかな?」

優しい口調で、綾に話しかける誠也。

「おれ達、マネージャーからも逃げたって聞いたんだけど、それはどうして?」

「……それは」

誠也の質問に、なぜか口籠る綾。

そして──……

「ごめんなさい! アタシ、もうあそこには戻れないんですっ!」

そう言うと、踵を返し、ダッ!とその場から走り出してしまった。

呆気にとられて、彼女を見送る三人。

「……これってどういうことだ?」

誠也が純と夏子に向き直る。

「さぁ……。 でも、放っておくわけにもいかないでしょ」

夏子が言う。

「めんどくせーなぁ」

純はガシガシと髪を掻き、溜息をついた。

「とにかく、追いかけようぜ」

誠也が彼女の後に続いて、走り出そうとすると、

「待てよ。 別に追わなくても問題ない」

腕組みして純が止める。

「なんでだよ?」

「あのバカが今入ってった先は袋小路だ。 ここで待ってりゃ、そのうち戻ってくる」









 数分後、トボトボとした足取りで、綾は戻ってきた。

「オマエ、逃げるのは良いけど、こんな所に一人でどうするつもりなんだ? 飯は?泊まる所は?」

腰に手をつけて、純が聞く。

痛いところを突かれて、綾はギクリとした表情を浮かべた。

「それは……」

目線を下げ、押し黙る。

突発的に飛び出してきた身の彼女に、何か考えがあるとは思えない。

「──ったく……」

瞼を伏せて、純は呆れたように呟くと、

「……オレん家に来い。 一日だけなら、飯と寝床くらい確保してやる」

眉間のシワは消えていないが、先程までの険しい声色は幾分、穏やかになった。

「え……! ほ、ほんとに?」

パッと顔を輝かせる綾。

「本当は私の家に泊めてあげられたら良いのだけど」

夏子が申し訳なさそうに微笑む。

「なんなら、おれん家でもいいよ?」

自分を指差して、誠也が言うが、

「お前ん家には、親がいるだろうが」

純がツッコミを入れる。

彼のセリフに、首を傾げる綾。

「アナタの家には、両親いないの?」

「『家庭の事情』でな。 同居人が一人いるけど、何も言わずとも理解してくれるヤツだから、そこは問題ない」

さらりと答える純。

「じゃあ、おれと夏子は今からマネージャーの所に行って、事情を説明してくる」

誠也がそう提案する。

「大丈夫ですよ。 うまく伝えておきますから」

不安げにこっちを見つめる綾に気づき、彼女にウインクする夏子。

「終わったら、オレの家でコイツの話を聞くから、集合な」

純が二人にそう伝えると、

「了解」

返事をしながら、夏子と誠也は踵を返して、去って行った。

「大丈夫かな?……あの二人」

思わず綾が呟く。

「心配すんな。 誠也も口は達者だが、それ以上に夏子の『交渉能力』はハンパじゃない。 その辺の大人なんぞ、掌の上で『転がす』どころか、『ジャグリング』するレベルだ」

「えぇ……」

純の言葉に、綾は困惑の声を上げる。

「さぁ、さっさと行くぞ」

纏めた長髪を翻し、純が先導して歩き始める。

「あ、あ!待ってよう!」

その後ろを慌てて綾は追いかけた。














 自宅に向かう道中、純は大きな溜息をついていた。

(やれやれ、ただでさえ忙しいのに、なんでこんなことに……)

そう思いながら、チラリと背後を見る。

目線を地面に落とし、暗い表情で、おずおずと自分の後ろをついてくる綾。

突如、男達に追い回されたのがショックだったのもあるだろうが、今もなお落ち込んでいるのは、それとは別の理由がありそうだ。

その理由に、これ以上深入りするのも面倒なことになりそうだが、ここまで来ると、それが一体何なのか、気にならないと言えば嘘になる。

(なんだか、ここ最近、いろんな事によく巻き込まれるなぁ……)

純は頭の中で、それらを指折り数えてみた。

(勘違いでバカ男にナンパされて、ひょんなことで女装するハメになって、バンダナのクソヤローに闇討ちもされたし、参加した式典で大男にブン殴られて──)

思い出すたびに、どんどんと、げんなりしていく純。

(あー、謎の警官に問答されたこともあったし、サラサラヘアーの優男にしつこく目ェつけられたりもしたっけ?)

「あの──」

突然、綾が話しかけてきたので、純はハッと我に帰る。

「さっきの話なんだけど……」

「なんだよ?」

顔だけを綾の方に向けて、歩き続ける純。

「その……、両親がいないって話」

遠慮がちに言葉を紡ぐ綾。

「……それが?」

ぶっきらぼうに、純は返答した。

「あ! 別に答えたくなければ、答えなくていいの! 個人的なことに首を突っ込もうと聞いてるんじゃなくて──」

彼の態度に、慌てて綾が弁明する。

「──ただ、迷惑なんじゃないかなって……。 突然、押し掛けてちゃって」

言い淀む彼女に、純は表情を変えず口を開いた。

「心配すんな。 さっきも言った通り、同居人が一人いて、飯の支度なんかもソイツがやってくれてるから、オマエが来る事で、オレの労力が増えたりするワケじゃない」

「そう…なんだ」

「アンタは?」

「え?」

「アンタだって、売り出し中のアイドルなんだろ? 知らない人間の家に転がり込んで、仕事に支障はないのか?」

「……」

目線を逸らし、綾は黙りこくった。

純は数秒待ってみたが、彼女は何も言わない。

「別に、答えたくないならいい。 オレだって首を突っ込もうと聞いてる訳じゃない」

「……ごめん…なさい。 いろいろと複雑で、なにをどう話せばいいか」

「だから、別にいいって」

その後、再び二人は無言に戻った。

「……」

ただ、さっきとは違う、二人の表情。

「……」

無言で歩く純。

その眉間には、うっすらとシワが刻まれている。

そして、それは後ろを歩く綾も同じだった。

しかし、彼女の表情は純のような嫌悪ではなく、不安の色を帯びている。

「……」

互いに思う事は違えど、その顔形は鏡に映っているように、そっくりだった。




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