第7話(2)

 少女は逃げていた。




「ハァ…ハァ…ハァ…!」

息遣いと自身の足音が鳴り響く路地裏。

いつの間にか灯りは減り、人もいなくなった。

ひょんな選択で入りこんだ通路は、賑わう商店街と反対方向へ伸びていた。

しかし、自分の後ろには、追いかけてくる男達がいる。

引き返す訳にはいかない。

適当に道を辿れば、いずれ商店街に戻れるだろう──その考えが甘かった。

道はどんどん狭くなり、特徴を失っていく。

挙句の果てには、夢中になって走りすぎ、自分が今どの方向に走っているのかも、解からなくなってしまった。

「……!」

T字路に差し掛かる。

右と左、立ち止まって確かめるが、どちらの先も、暗い闇にしか通じていない。


「いたぞ!!」


背後から声が聞こえ、そっちを振り向いた拍子に、被っていた野球帽キャップが、フワリと地面に落ちた。

拾っている暇はない。

一本に纏めた長髪をなびかせ、彼女は再び走り出す。

「チィ……!」

舌打ちして、男達が彼女に追従していく。

「……」

その様子を少し離れた暗がりから、静かに見ていた人影があった。

影は、彼女が落としていった帽子を拾い上げ、おもむろに携帯を取り出すと、通話先に静かに呟いた。

「ヤツがいたぞ。 先回りして捕まえろ。 場所は──」

影は通話を続けながら、少女と男達が消えた方向とは、別の道へと姿を消した。










 少女──……雛咲 綾は、走り続けていた。

「ハァ…ハァ…ハァ…!!」

荒い息遣いが限界を告げている。

“もう走れない”と、心臓が叫んでいる。

「ハァ…ハァ……あっ!」

転がっていた小石に爪先が当たり、躓いた拍子にガクッと膝が震えた。

ヨタヨタとバランスを崩し、思わず暗い路地裏にしゃがみ込む。

「ハァ…ハァ…」

吹き出る額の汗を拭いながら、なぜこんな状況に陥ってしまったのかと、自分の不運な境遇に思いを巡らせていた、その時──


──……!


突如、背後の暗闇から、白い手が音も無く伸びてきて、彼女の口元を覆った。

「ん~~ッ!!」

驚きの声を上げるも、しっかりと口を塞がれている為、全く周りに響かない。

「〜〜ッ!!」

恐怖に苛まれながら、彼女が涙目でジタバタともがいていると──

「しーっ」

耳元で、優しい囁き声がした。

「落ち着いてください」

「──……?」

“あれ?”と疑問符を浮かべて、足掻くのをやめる。

「大丈夫。 あなたを助けに来たの」

ゆっくりと綾が背後を確認すると、そこには髪の長い、自分の知らない女の子が微笑んで立っていた。

「……」

初対面だが、なぜだろう──彼女の微笑みには、気持ちを安心させる『何か』があった。

そのまま、その少女は、見落としそうなほど細い袋小路に綾を引き寄せ、匿ってくれた。

しかし、いくらこんな場所でも、いずれは見つかってしまうだろう。

もう、相手は目と鼻の先にいるのだ。

綾がそう不安に思った瞬間──……


「いたぞーっ!! こっちだ!!」


男の声が、から聞こえた。

「……??」

なぜ?

自分はここにいるのに……?

彼らは一体、何を見つけたのか……?

「ふぅ、もう大丈夫」

相変わらず、穏やかな笑みで言う女の子。


一体、なにが大丈夫なのか……?










「おい!そっちに入ったぞ!」

「ははっ!バーカ! その先は行き止まりだ!」

男達は喜々として、逃げ込んだ『獲物』を追いつめていた。

案の定、少し行った先の狭い袋小路の壁を前にして、彼女は立ち尽くしている。

「ざんねんでちゅね~!!」

挑発するように男は言い、『獲物』の被っている野球帽を、掌で“よしよし”と撫でた。

「……あれ?」

そこで、男はあることを思い出していた。

──目の前にいる彼女は、野球帽キャップを被っている。

「? おまえ、さっき途中で落として──」


ゴキンッ!!


路地裏に鈍い音が響き渡った。

『獲物』の側に立っていた男が、まるで車にでも撥ねられたかのように吹き飛んで、路地の壁に弱々しく倒れかかる。

「……??」

周りにいた男の仲間達は、全く状況が飲み込めていなかった。

彼のこめかみには、側撃雷の如く、鋭く疾いハイキックが飛んできていたのだ。

「……」

男を一瞬で蹴り飛ばした『獲物』が、帽子のつばの下からこちらを覗く。

その瞳には、先程までは見られなかった、烈火のような怒りが渦巻いていた。

「な、な、なんで、いきなり──」

彼女のいきなりの豹変ぶりに、よろよろと後退りする男たち。

その彼らの怯んだ一瞬を、彼女は見逃さなかった。

ダッ!と、突然駆けだした『獲物』は、一気に間合いを詰め、設置されていたエアコンの室外機を踏み台にすると、ふわりと宙に舞い、そのまま近くにいた男の顎を蹴り抜いた。


バキッ!!


「あがぁっ!!」

「う、嘘だろ?! うぐっ!!」

さらに、その後ろで呆気に取られた男の│鳩尾みぞおちに、正拳突きが連続して二発、ズドン!と突き刺さる。

「あ……ぐ…う…」

痛みでまともに呼吸が出来なくなり、パクパクと金魚のように喘ぎながら、男はゆっくりと地面に跪いた。

『獲物』は、残る一人を睨む。

ひぃっ!と叫んで、彼は逃げ出した。

それを桁外れのスピードで追いかけ、追いつく直前に、ダンッ!と強く地面を踏みきると、路地の壁に向かって跳ぶ。

「う、うわぁぁぁ!!」

逃げる男は叫び声をあげた。

後ろを振り向いた彼が見たのは、『獲物』が二、三歩、姿だった。

「ッ!!」

勢いをつけて、逃げる男の後頭部を三角蹴りで射抜く──


ドカッ!!


男の身体が衝撃に震え、その後、バタリと地面に倒れる。

「う~…」

「あ……あが……」

それぞれ攻撃を受けた箇所を押さえ、激痛に呻く男たちに向かって、ゾッとするほど低い声で、『獲物』は吐き捨てた。

「二度とオレに近づくな」

野球帽を脱ぎ、一本に纏めた髪をサッと靡かせて──姫宮 純は、袋小路を去る。

「お見事」

パチパチと拍手しながら、どこからか誠也が現れた。

「見てたなら手伝えよ」

不機嫌そうに純が言うと、誠也は肩を竦める。

「あんな狭い路地で仲間がいたら、逆に足手まといだろ? おまえだって、それを利用して勝ったんじゃねぇか」

にっと笑いながら、倒れている男たちを一瞥する。

純は、もう一度男たちを見て、誠也に言った。

「人が来たら面倒なことになる──さっさと行くぞ」

「おう」

二人は小走りで、その場を後にした。




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