第5話(2)
「おーい。 来たぞ」
次の日、純と夏子は学園の保健室を訪れた。
部屋の中では、既に琴乃と桜井学園長が楽しげに談笑しており、彼らの姿を目にすると、
「あら、早かったですね」
そう丁寧な口調で言いながら、いつものように白衣を纏った琴乃が立ち上がった。
「連絡が遅くなってしまって、ごめんなさいね。 いろいろと用意に時間がかかってしまって」
桜井学園長が純に向かって頭を下げる。
「それで、今日は一体なにを?」
純が尋ねると、学園長は隣にいる琴乃の方に目線を送った。
「姫宮くん。 ちょっとあそこへ入ってもらえる?」
言いながら琴乃が指し示したのは、この部屋から一枚ドアを挟んで繋がる『保健準備室』──健康診断などで、素肌を晒すような測定を行う時に使用される、外とは隔絶された個室だ。
「……何するつもりだよ」
眉間にシワを寄せて純が尋ねると、「フフフ…」と笑い声を残して、琴乃が先に準備室へ入っていく。
「はぁ〜…」
深く溜め息をついて、純も準備室の方へ歩き始める。
一度、夏子の方を見てみると、“いってらっしゃい”と言わんばかりに、彼女がこちらに手を振っているのが見えた。
「はぁ~……」
再び大きな溜め息をついて、仕方なく純は中へと入った。
パタン──と、準備室のドアが閉まる。
しばらくすると、向こう側から保健室に向かって、小さく微かに、純と琴乃の会話が聴こえてきた。
「な、なんだそれ! オ、オレは嫌だぞ、そんな──」
「文句言わなーい。 ほら、ここまで来たんだから、もう覚悟を決めなさい」
「あっ……おい、待てって!……せ、せめて、自分でやるから──」
「もー、いつもしてあげてるんだから、今更恥ずかしくないでしょ?」
「…………」
「……はい、これでよし。 じゃあ、次はこっちを──」
「わかってるよ、そう急かすなって。 ………────これでいいか?」
「うん。 なんとか入ったわね……よし、それじゃ行くわよ?」
「!! うぁっ……くっ……待て、琴乃……そんな、いきなり……」
「うふふ、ごめんなさい……こんなのハジメテだから……」
「だからって、いくらなんでも締めぎだろ……」
「ほらほら、じっとしてて……次は痛くしないから……」
「……これ、本当に大丈夫なんだろうな」
「あと、本番はコレ──忘れず、必ずつけなきゃダメよ」
「え!ソレつけんのかよ! 別に無しで良いだろ!」
「ダメよ。 コレがあるのとないのとでは、女の子として、デキるかデキないかの分かれ道なんだから!……ほら、大人しくして……」
「──わかったよ……」
「あら、意外とちっちゃいのね」
「ほっとけ」
──……数分後。
満足そうな笑みを浮かべた琴乃が、準備室から出てきた。
「では、……ご覧ください!」
桜井学園長と夏子に言いながら、ジャーン!と言わんばかりに、琴乃が純を連れ出す。
「おい、引っ張るなって……!」
少しやつれた様子で、純が現れた──が、彼の格好は準備室に入る前と大きく様変わりしていた。
学園指定のジャージを着ていたが、今は肩を露出した『優雅な黒いドレス』を纏っている。
いつも無造作に縛ってある長髪も、丁寧に整えて背中へと綺麗に流してある。
磁石で付けられる『
長いスカートの下は黒いエナメルの『ハイヒール』が覗いていた。
「まぁまぁまぁ、綺麗ねえ〜。 正直、思っていた以上に似合っているわよ」
桜井学園長が、笑顔でパチパチと称賛の拍手を送る。
「すごい……。 ホントに、『お姫様』みたい」
流石の夏子も、この変貌ぶりには心底驚いた様だ。
あまりに彼女たちが興奮気味に褒めるので、純は言い返すタイミングを失い、俯くことで、上気した顔をなんとか誤魔化そうとした。
「髪を下ろしたのね」
サラサラと揺らめく純の髪を撫でながら夏子がそう言うと、彼は不機嫌そうに顔をしかめた。
「部屋に入るなり、琴乃が勝手にほどきやがったんだよ」
「いつもやってあげてるのに、今日に限って恥ずかしがっちゃって」
ウフフと笑う琴乃。
「胸に何か入れてるの?」
今度は桜井学園長が尋ねると、純ではなく、琴乃が答えた。
「いくら姫宮くんの容姿が限りなく女性に近くても、流石にバストはありませんので、『詰め物』で再現してみました。──どう苦しくない?」
後半、純の方を向いて琴乃が聞く。
「最初、いきなり締め付けてきた時よりは、だいぶマシになったよ」
首の後ろにあるドレスの紐の締まり具合を確かめる純。
「あと、さっきも言ったけど、当日は忘れず爪に『マニキュア』をつけること」
琴乃がポケットから小瓶を取り出して、軽く振ってみせる。
「こんなの、無くても同じだろ……」
呆れたように言い、手を広げて、自分の指をしげしげと見つめる純。
普段と違い、指先の爪が、今は『パールホワイト』に輝いている。
「それをつけるだけで、おしゃれな『デキる女の子』になるのよ。 あなたなんて特に、手がちっちゃくて可愛いから、大人っぽい『黒』のドレスと対象的な『白』で、清楚な可愛らしさが表現されて、それが『武器』になるの」
妖艶な口調で言いつつ、ウインクして見せる琴乃。
「いるか! ンなもん!」
純は眉間にシワを寄せた。
一通りの衣装に関する注意事項を聞いた後、純は身の振り方をある程度、試してみた。
ドレスのスカートは、以前に着た浴衣よりも自由度があり、そこまで苦にならなかった。
また、周りの女性たちが特に驚いたのが、純がほとんどハイヒールに戸惑わなかったことだった。
「一応、気を遣ってヒールは高くないものを用意したのだけれど、余計な心配だったみたいね」
感心したように、琴乃が呟く。
「こんなもん、朝飯前だよ」
言いながら、片足でくるりと踵を返し、腰に手を当て、しっかりと立って見せる純。
挑戦的なその表情が、雑誌の表紙を飾るモデルのように見えた。
「……さて、これで衣装の方は問題なさそうだから、最後にもう一つ重要な注意点を言っておくわね」
和気藹々としていた桜井学園長の目が、真剣味を帯びる。
「当日は、菊池先生と一緒に行動してください」
「? アンタと行くんじゃないのか?」
疑問符を浮かべて、純が尋ねる。
てっきり、純は学園長に同伴して行くものだと思っていた。
「もちろん、私も招待されていますが、諸々の事情で、あなたと一緒にはいられないの。 ごめんなさいね」
申し訳なさそうに、学園長が言う。
「会場には多くの人が来ます、仮にもあなたは身分を偽って行くのだから、不意のトラブルに巻き込まれない為にも、菊池先生からなるべく離れないでね」
「わかった」
純がそう頷くと、桜井学園長は彼の手を両手で包むように取り、真っ直ぐに見つめた。
「姫宮さん。 もう聞き飽きちゃったかもしれないけれど、あなたには、本当に感謝しています。 当日が、どのような結果になっても、私たちはあなたを決して責めたりしません」
「……」
握られた手を伝って、桜井学園長が小さく震えているのを、純は感じ取った。
気丈に振る舞いつつも、内心では不安なのだろう。
できることなら、鳳佳に参加をやめさせたいのかもしれない。
もちろん、そんなことを彼女ができるはずもないが……
「……」
何故かここで、純は以前、渡り廊下で琴乃から聞かされた、あの話を思い出していた。
──水に投げ入れられた石の話。
水は『鳳佳』、石は『
そして、それらの影響を受け、動かされる水面の『木葉』とは──もしかして、学園長のような立場の人たちを指すのだろうか。
そう思った瞬間、純は心の中に、何か言いようのない重いものが、ズシンとのしかかるのを感じた。
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