第5話(1)『王城家の式典』
それから、数日の間、純は琴乃からの連絡を待った。
以前、学園内で花火をした時と同様、桜井学園長と対策を協議しているのだろう。
これまで、純が女子生徒として活動していたのは、学園の中のみだったが、今回は外に出る──入念な準備に、相当な時間をかけているらしい。
もちろん、純自身も、すでに気持ちが上ずっていた。
一応、覚悟はしていたが、やはり、考えれば考えるほど、それは容易い事では無い。
「う~ん……」
今日も朝から、自室のベッドの上で、枕に顔を突っ伏して、傍から見れば“呼吸は大丈夫なのか?”と疑うような時間、身動きせずにじっとしている。
「う~……」
再び唸り、ごろりと身体を回転させる。
「……」
純は鳳佳にまつわる、いろいろな事を思った。
この前の琴乃と夏子との会話で、鳳佳の境遇が特殊であることを強く再認識させられた。
それは、失声症や恐怖症と言った彼女自身の問題はもちろんのこと、私的な連絡ですら容易でないと言う、王城家の異常性も、純に重くのしかかった。
「……」
コンコン……
しかめっ面で、じっと天井を見つめていると、突然、静寂を破って、ノックの音がした。
「純様、少しよろしいでしょうか?」
廊下から、譲治の声がする。
「なに?」
返事を返すと、ガチャリと戸を開けて、彼が部屋に入ってきた。
「今晩の夕食は『素麺』と『天麩羅』にしようと思うのですが、どの麺がお好みかと思いまして」
『お中元』として送られてきた、様々な麺を持って、譲治が尋ねた。
「どれでもいいよ」
生返事をしながら、純の目線は天井から動かない。
譲治はフッと微笑んだ。
「なにかお悩みごとですかな?」
言われて、初めて純は譲治の方を見た。
「別に悩んでねーよ」
「では、緊張してらっしゃるのでは?」
「……」
ズバリ胸中を当てられて、純は少し驚く。
「なんでそう思うんだ?」
そう聞き返され、譲治はにこりと優しく微笑んだ。
「あなたのお父様もお若い頃、緊張すると一点を見つめて、動かなくなる癖がございましたので」
「……」
父親と自分を重ねられて、純の眉間にシワが寄る。
「何か気がかりなことがあるのですか?」
改めて、譲治が質問する。
どうしようかと一瞬迷った純は、ゆっくりと口を開いた。
「ちょっとした『式典』に出るんだよ」
「おお、左様ですか。 でしたら、お召し物の御用意を──」
「ああ、大丈夫。 知り合いに手配してもらってるから」
「承知いたしました。 ちなみに、どういった式典にお出になるのですか?」
譲治が尋ねた。
純は迷ったが、隠す事でもないか…と、素直に答えることにした。
「『王城』っていう、デカイ一族の記念式典」
瞬間──……
本当に刹那の間だが、純には譲治の瞳が、驚きに見開いたように見えた。
「ほぉ、あの『王城』一族ですか」
しかし、そう呟いた譲治は、いつもの笑顔だったので、見間違いだったかもしれない。
「知ってるのか?」
純が上半身を起こし、譲治に向き直る。
譲治は微笑んで頷いた。
「ええ、存じております。 と言っても、世間一般に知られている部分だけですが」
「それってどんなこと?」
重ねて純が尋ねると、譲治は思い出そうと顎に手を当てる。
「確か……元々は『医学』で権威のあった家系だったと記憶しております。 辿れば、その血は戦国時代まで遡り、あの太閤『徳川家』も、彼らの先祖を頼りにしていたとか」
「へぇ……」
「現在では『医学』のみならず、『政治』、『経済』、『教育』、『科学』、『芸術』など、あらゆる業界に影響力を持ち、その権力は海外にまで及ぶ、国内随一の一族です」
譲治の話を聞きながら、純は鳳佳のことを思い出した。
あの小さくて華奢な体つきや、オドオドとした態度からは、おおよそ、そんな一族の生まれであるとは想像できなかった。
「当主って、どんなヤツ?」
純が続けて尋ねる。
譲治は苦笑して、
「さぁ…、実際にお会いした事が無いので、なんとも申せませんが……『名棋士』として有名で、かなりの『切れ者』であるとは、聞いたことがございます」
と答えた。
「『切れ者』ね……」
純は腕組みをして、宙を見つめた。
「純様、お父様にご連絡をしてみてはいかがでしょう?」
突然、譲治が言った。
「はぁ? なんでアイツなんかに」
露骨に嫌な顔をする純。
「お父様なら、王城家当主にもお会いしたことがあるかも知れません」
譲治がそう提案するも、
「嫌なこった」
そう純は即答し、再び、ぱたりとベッドに倒れ込んだ。
譲治は困ったように微笑んで、小さな溜息をついた。
リーン、ゴーン……
その時──、玄関の方で呼び鈴が鳴った。
「失礼いたします」
丁寧に頭を下げ、譲治がパタパタと部屋を出ていく。
「……」
静寂と共に、純は自室に取り残された。
父親の話題が出たからか、不機嫌そうに目を閉じる。
「あ〜……
さっきまでは全く気にならなかったはずの暑さが、急にうっとおしく感じられた。
ゴロリと仰向けになり、冷房を入れようと手探りで、ベットの何処かにあるはずのリモコンを探す。
「う〜ん……」
しかし、なかなか手に引っかからない。
それでも頑なに目を開けず、ジリジリと辺りをまさぐり続けていると──
「……んあっ」
動きすぎて、不意にガクンと、彼の頭がベッドの端から落ちた。
一本に纏められた髪が、重力にしたがって、さらさらと垂れさがる。
コンコン……
「あ~い」
頭がベットから垂れ下がったまま、ノックに気のない返事をすると、譲治が扉の向こうから呼びかけてきた。
「純様、かき氷を御用意いたしました」
「おお、サンキュー……」
「それから、お客様です」
「あ~?」
ガチャッ
純の返事を待たず、扉が開いた。
上下逆さまになった彼の視界に、来客の姿が映る──
「あらまぁ、すごい格好」
現れたのは、かき氷の入ったガラス製の器を持ち、銀のスプーンを咥えた夏子だった。
「おい、返せよ、ソレ。 オレんだぞ」
逆さまのまま、純が不機嫌な声を出す。
「ねぇ、姫ちゃん、暇なら手伝ってよー」
露わになっている彼の額に、夏子はガラスの器を押し当てた。
「何の話だ?」
冷たさが心地よいので、純は反抗せず、そのまま彼女に尋ねる。
真っ赤なイチゴシロップのかかった氷を口へと運ぶ夏子。
「学園祭でやる劇の『台本』探し。 連絡網が回ってきたでしょ?」
「あー……」
そう言われれば、そんな内容の文書が回ってきていたような気がした。
「んなもん、演劇部の連中にでも、まかせれば──」
「あなた以外のクラス全員が既に動いてます。 それでも、あの人数を消化できるほどの台本って、なかなか無いのよ」
夏子が言葉を遮った。
純はやれやれと溜息をつく。
「ったく、よくそんな企画が通ったな」
「探してもいないあなたが言えることじゃないでしょ?」
「オレは『王城家の式典』の事で、いろいろと考えなきゃいけなくて──」
「言い訳しない」
「イテッ」
コツンと器の底で、夏子が純の額を打った。
「とにかく、衣装や道具の準備もあるから、早く決めないと大変なことになっちゃうの」
念を押す様に、彼に言う夏子。
「はいはい、わかったから、デコに皿を押しつけるのやめろ」
流石に気持ちよさを通り越したらしく、純が言った。
「んで? わざわざ、それだけを言う為にウチに来たのか?」
冷たくなった額をさすりながら、よいしょと体を起こす。
夏子は彼の問いかけに首を振った。
「いいえ、違うわ」
既に、かき氷は半分ほど無い。
「学園長から伝言をことづかったから、それも伝えようと思って」
「なんて?」
「“明日、学園の保健室に来てください”って」
「式典についての用事か?」
「多分ね。詳しくは聞いてないの」
「ふーん……」
コンコン……
再び、部屋にノックの音が響く。
「なんだ?」
純がそれに応えると。
「夏子様の分をお持ちしました」
扉を開けて、かき氷を持った譲治が部屋に入ってくる。
「久方ぶりにお会いしましたが、相変わらず、夏子様は御綺麗ですね」
ひだまりのように優しく暖かな微笑みで、譲治が夏子に言った。
「まぁ、ありがとうございます。 私の周りにいる男の人で、そんな風に褒めてくれるのは、譲治さんだけです」
にっこり笑った夏子の笑顔は譲治の方に向いているが、言葉のトゲはこちらに向いている事を、純はハッキリと感じ取った。
「よろしければ、御夕食もいかがですか? 大した『おもてなし』は、できませんが……」
譲治が夏子に言いつつ、チラリと純を見た。
「食ってけよ」
ぶっきらぼうに純は言い、夏子の分と称されたかき氷を奪って、自分の口に運ぶ。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
夏子が微笑んで答えた。
「では、準備して参りますので。 失礼致します」
丁寧にゆっくりと一礼し、譲治が部屋を出ていく。
彼の足音が去っていくのを聞きながら、夏子が尋ねた。
「鳳佳ちゃんから、なにか連絡はあった?」
「オレが式典に行くって伝えたら、えらく動揺したみたいでな。 慌てて打ったんだろ、誤字だらけのメールが来たよ」
「あらあら。 彼女、嬉しかったんじゃない?」
「どうかな。 式典を前に、緊張してるだけかもしれん」
いきなり氷を口に入れたために起きた頭痛に、純はこめかみを押さえて顔をしかめた。
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