第4話(3)
それから数日後……────
ジリジリと太陽に焼かれたアスファルトの匂いと、どこへ行っても聞こえる蝉の声。
ムッとする暑さが漂う無風状態の道を、純は歩いていた。
この所、夏子や誠也に連れ出され、なんだかんだと日に晒し続けた彼の素肌は、きれいな小麦色に焼けている。
「う〜…」
眉間にシワを寄せて、時々不快そうに制服のシャツをパタパタと揺すりながら、建ち並ぶビルや木々の作る陰の中をできるだけ歩く。
今日は、夏休み中に唯一ある登校日。
部活や生徒会に所属していない生徒も、今日だけは学園にいかなければならない。
そして、そんな日に限って、気温は最高値をマークしている。
「あ〜……もう……」
顔をしかめて再び唸りながら、ようやく、純は龍嶺学園に辿り着いた。
玄関から中に入ると、内部はエアコンが効いていて、とても涼しい。
しかし、道中で書いた汗の不快感は、なかなか消えるものではない。
気だるそうに背中を丸めて、ゾンビの様な足取りで歩く。
「よう、姫宮! 相変わらず、機嫌悪そうだな!」
男子生徒が軽快に挨拶をして、純を追い越していく。
「ほっとけ……」
純は力なくツッコむ。
「姫宮くん、おはよう! 相変わらず、カワイイね!」
すれ違う女子が手を振る。
「だから、ほっとけっての……」
やはり、弱々しくツッコミを入れる。
その他、数人の友人たちと、お決まりのやり取りを交わし、やがて教室に着いた。
「おはよう、姫ちゃん」
夏子がこちらに向かって涼しげに微笑む。
「おう」
と、返しながら、純はまじまじと彼女を眺めた。
夏子も自分と同様に、この休み期間中、いろいろな所へ出かけたはずだが、相変わらず、白い肌をしている。
純は自分の机にカバンを投げ出し、ドカッと崩れるように椅子に座った。
「登校日も例外なしに早いな、お前」
「姫ちゃんこそ、今日はいつもより早いんじゃない?」
「今、ジョージが帰ってきてるんだ」
「あら、譲治さんが? ということは、お父様も?」
「アイツは、まだロンドンだとさ」
「そうなの。……相変わらず、お忙しいのね」
「まぁ、『なんでも屋』みてーなモンだからな」
「なかなか、逢えなくて寂しい?」
「いいや、全然」
けろっとした顔で、純が両手を広げる。
そこへ、誠也がやってきた。
「おーっす」
人一倍、日焼けした肌。
毎日、トレーニングで走っているのだろう。
「ほい、姫」
「あん?」
出会っていきなり、誠也が小綺麗な便箋を差し出す。
「琴ちゃんが、“お前に”って」
『琴ちゃん』とは、誠也が琴乃を呼ぶ時の愛称だ。
「オレに?」
ビリビリと封を裂いて、純が中身を取り出す。
“ホントに可愛い純くんへ”
でかでかと冒頭にそう書いてあった。
最初の一文字目の『ホ』が、赤いハートで囲ってある。
「……」
眉間にシワを寄せて、純は先を読み進める。
“うふふ 夏休みはどうかしら?ちゃんと食べてる? 夏バテとか言ってると、大きくなれないわよ”
「余計な御世話だ」
思わず手紙にツッコミを入れる。
“今度また わたしの部屋に遊びに来てね また二人でイイコトしましょ”
「おまえ、琴ちゃんにいつも何してんだよ~」
誠也がニヤニヤしながら、声を上げる。
純は彼の脇腹を拳で叩いた。
“クラスの友達はみんな元気? 誠也くんや水瀬さんにも 体調管理はしっかりねと伝えてください”
「ちゃんと私達のことも気遣ってくれてるね」
夏子が微笑む。
“大型連休は生徒のみんなと会えなくてさみしいな”
“ね?”
「──ね?じゃねぇよ」
“学園のマドンナ”
「自分で言うな!」
“いつも優しい校医より”
純は読み終わると、さっさと手紙を机の中に放り込む。
「なんだ、このバカバカしい手紙は!」
「もしかして、暑中見舞いかな? 姫ちゃん、返事書いたら?」
「書くか!!」
「いいじゃない、どうせ宿題も終わってて、暇なんでしょ?」
純に言い、そのまま夏子は誠也に視線を向ける。
「誠也は終わってる?」
すると、誠也は眼を細め、難しそうな表情をして、
「──部活が忙しくてな」
と、いつぞや聞いたことのある言い訳をする。
“やっぱり”と言いたげな二人に向かって、誠也は必死に弁明する。
「お、お前らは帰宅部だから、終わってるかもしれねぇけどよ。 俺たちバスケ部は夏休み前から、ずーっと忙しいんだぞ!」
腕組みして、うんうんと持論に頷く誠也。
思わず純は鼻でせせら笑うと、
「オレだって、夏休み前は毎日遅くまで、学園に残ってたっつの!」
と、何気なしに言い返した。
瞬間──……
当然のように、誠也が反応した。
「何だそれ? なんかやってたのか?」
純の顔が青ざめる。
「あ──」
「夏休み前に忙しくなるようなこと、お前にあったっけ?」
誠也が首を傾げて、追い打ちをかける。
「い、いや──」
うろたえる純に、助け船を出したのは、夏子だった。
「私が生徒会と学級会の仕事を手伝わせちゃったのよね」
純にだけ見えるように、ウインクする夏子。
「──あ、ああ」
「夏休み開けたら、すぐに学園祭もあるし。 仕事多くて参っちゃうわ」
そう言って微笑みながら、溜息をついてみせる。
「ふ~ん、そうか、もうそんな時期だな」
どうやら、誠也は信じてくれたようだ。
さらに、時間も純に味方し、タイミングのいい所で予鈴を知らせる鐘が鳴った。
夏子と誠也が、自分の席へと戻っていく。
去り際、夏子は微笑みながら、唇にそっと人差し指を添えた。
「……」
“気をつけなさい”と言っているらしい。
「わぁってるよ」
うるさそうに、小さく呟く純。
この夏休みの間中、鳳佳の事で相談があると、決まって夏子と連絡を取っていた。
その慣れのせいで、夏子がいると、つい鳳佳の存在を隠している事を忘れてしまう。
夏子も事あるごとに、鳳佳の話題を純に尋ねるので、なおさらだ。
「やれやれ。 みんな興味津々だな」
溜息をつきながら、純は琴乃からの手紙を引っ張り出して見つめた。
アリーナで行われた集会が終わり、ガヤガヤと生徒達が教室に戻っていく。
騒々しい渡り廊下では、女医の琴乃がすれ違う生徒達に手を振って、挨拶を返している。
段々減っていく人の波の中──
「『報告』なんてないぞ」
──眉間にシワを寄せて、いつの間にか琴乃の隣に純が立っていた。
「ふふ、流石、純くん。
琴乃が言うと、純はポケットから、今朝受け取った手紙を取り出し、ひらひらと振って見せる。
「暗号もなにも、文頭の一文字目を縦読みすると、『報告お願いね』になるだけじゃねぇか」
「誠也くんが中身を見ても、わからないようにしたかったの。 彼、いつもあなたと一緒にいるし」
琴乃はそう言って、微笑む。
「あなただって、それを察したから、こうして一人で来てくれたんでしょう?」
「……」
実際、その通りだったが、純は何も言わなかった。
「それで? 『報告』って、一体、何を聞きたいんだ」
腕組みして、尋ねる純。
「鳳佳ちゃんに自分の連絡先を渡したでしょう? 私たちには何も言わずに」
琴乃が言った。
そういえば、純は琴乃にも学園長にも、そのことを伝えていなかった。
と言うよりは、伝える必要もないと思っていた。
「ああ、渡した」
「どんな話をしてるの?」
「別にとりとめのない内容だよ」
「そう」
「なんだよ? なんかあったのか?」
純が聞き返すと、彼女の口調が少しだけ真剣になった。
「別に純くんに悪気はなかったのはわかってるんだけど。 連絡先を渡す前に、一応、相談してほしかったな」
そう困ったように微笑む琴乃。
「何でだよ?」
怪訝な顔で、純は尋ねる。
「言ったでしょう? 彼女は『王城家』で普通の人とは違うんだから。 本来であれば、気軽に連絡先を渡しては、いけない相手なのよ」
琴乃の回答に、純は少し驚いた。
「別にただなんでもないメールをしてるだけだぞ?」
狼狽る彼に、琴乃は相変わらず困った様に笑う。
どう説明しようか、迷っているようだ。
「今は詳しく話せないけど、とにかく、ダメなの。 おそらく、あなたとのやりとりも『検閲』されてると思うから、気をつけてね」
さらりと彼女は言ったが、純はビクッと体を震わせた。
「誰かに見られてんのかよ!」
「だ・か・ら、相談してほしかったの」
琴乃の両手が、純の頬を優しく包む。
「それも、彼女の身を『護る』一環なのよ。 優秀な彼女は、優秀すぎるが故の境遇にあることを、これからは忘れないで」
ムニムニと純の頬をいじりながら、琴乃が言った。
そして、再び少し真剣な目で、彼の顔を見つめる。
「彼女は今、急激に変化してるの。 あなたの登場でね」
なぜか少しだけ、純はギクリとした。
「今までどうやっても変わらなかった彼女を、あなたはいとも簡単に変えて見せた」
「それがいけにゃかったのか?」
頬を引っ張られて、おかしな口調になりながらも、挑みかかるように純が返す。
フッと、微笑む琴乃。
「とんでもない──」
しかし、すぐにまた真剣な表情に戻る。
「──でも、全てが良い事ばかりじゃない」
なぜか、段々と琴乃の声が小声になっていく。
「……?」
純は眉間にシワを作って、疑問符を浮かべた。
琴乃は無視して続ける。
まるで、囁く様に。
「投げ入れた石によって、水面には波が立つ。 でも、その波によって、今まで濡れなかったものも、濡れるようになるの──」
「はぁ?? にゃんの
相変わらず、まともな口調で喋れない。
しかし、今度の琴乃は微笑まなかった。
「覚えておいて、純くん。 波が立てば、水面に浮かんでいた『落ち葉』は動くし、『
──何だろう。
様子がおかしい。
純は形容し難い、奇妙な恐怖を覚えた。
思わず、彼女の手を振りほどいて、眉間にシワを寄せる。
「待て待て! 何言ってんのか、全然わかんねぇよ。 一人で話しするなって──」
「なにより一番、影響を受けるのは──」
「おい、琴乃──」
キーン…コーン……
予鈴が鳴った。
不意を突かれて、ビクッと純の身体が震える。
一瞬、チャイムの音色を流している壁のスピーカーに目が行き、次に琴乃へ視線を戻した時──彼女はいつもの笑顔になっていた。
「……なんなんだよ?」
純が呟く様に聞くと、その笑顔のまま琴乃は続けた。
「近いうちに、鳳佳ちゃんが帰ってくるわ」
「……休みの間は、
彼の疑問に、
「本人の意向で、急遽予定が変わったの」
琴乃は、そう答えた。
「本人の意向?」
さらに尋ねたが、
「さぁ、もう教室に戻らなきゃ。 学級会が始まるわよ」
琴乃は純の両肩を掴み、くるりと背を向かせる。
「なんだよ! 結局、何が言いたいんだ?」
無理やり反転させられながら、文句を言う純。
「すぐにわかるわよ──。あなたにも」
背後から、彼の耳元で琴乃が囁いた。
──ゾワリと鳥肌が立ったのは、耳をくすぐる彼女の吐息のせいか?
もう一度振り返ると、話はおしまいと言わんばかりに、琴乃が手を振っていたので、純は仕方なく教室へと向かうしか無かった。
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