第4話(2)

「そういえば、お前が帰ってるなら、アイツ・・・は?」

長い髪を下ろし、風呂上りのさっぱりした姿で、夕食の席に着いた純が譲治に尋ねる。

「純様、御自分のお父様のことを“アイツ”呼ばわりしてはいけません」

困った顔をして、純を諌める譲治。

「アイツは“アイツ”で十分なんだよ」

眉間にシワを寄せ、サラダの中の青豆をフォークで突き刺す純。

そんな彼を見ながら小さく苦笑し、譲治は答えた。

「旦那様はまだ、お仕事中で、今は『ロンドン』に御滞在です。 こちらで、ちょっとした諸用があったのですが、多忙であられた為、代わりとして、わたくしが帰国しました」

「ふーん」

「純様にお会いできないのが、“残念だ”と旦那様はおっしゃっておられましたよ」

譲治がそう言うと、

「はっ。 アイツがそんなこと言う日が来たら、オレは『美少女コンテスト』にでも出てやる」

冷たく鼻で笑いながら、冗談めかして、純が答える。

しかし、そう言いながらも、彼の目は笑っていなかった。

「御友人方は、お元気ですか?」

譲治が話題を変える。

「元気だよ、夏子も誠也も。 今日も一緒に海に行ってきたところだ」

純が言うと、

「それは何よりです」

うんうんと頷いて、譲治は優しく微笑んだ。

その時──


「……!」


部屋着のポケットの中で、純の携帯電話が震えた。

おそらく、鳳佳からのメールだ。

「他に、近頃何か変わったことや、困ったことはございませんか?」

偶然のタイミングで、譲治がそう尋ねてきた。

「……」

一瞬、純は迷った。

ここ数ヶ月の間にあった、いろいろな出来事──

彼に話すべきか……

「……──いや」

純は手に持ったフォークの先を見つめて答えた。

「特に何も変わってない」

彼の言葉に、譲治はにこりと微笑んだ。

「左様ですか、それは良かった」









 自室に戻った純は携帯を取り出した。

やはり、メールは鳳佳からだった。


“今日は朝から雨です でもあんまり天気は関係ありません 今朝いろいろとトラブルがあって ずっと部屋に篭りっきりだから──”


「返事が遅かったのはそのせいか……」

一体、何のトラブルだろうか?──少し気になりながら、純は読み進める。

“そっちは晴れていますか? 夏休みだし 純ちゃんは海水浴とか行くのかな?”

「まさに今日行ってきたよ」

“あたしは一度も海に行ったことがありません 飛行機や車から見たことはあるけれど”

「そっか」

“海水ってしょっぱいんだよね? そう思うと地球の表面の約8割を覆う水が 真水じゃなくて味がついてるなんて ちょっと不思議”

鳳佳の文面に、純はフッと笑った。

「そんな疑問、持ったこともなかったよ」

物語を手掛ける者の感性か。

もしくは、天才と称される彼女の知識の源は、こういった部分にあるのかもしれない。

はたまた、純真無垢な彼女ならではの、単純な発想か。

その後も、鳳佳の話題は『海水の塩分濃度が地球温暖化に大きく関係している事』を説きはじめ、やがて、『北極にいる白熊の生態系と絶滅危機』の話にまで差し掛かり、まるで論文のように長い内容に、純は苦笑した。


コンコン……


集中してメールを読んでいた純は、ノックの音で我に帰った。

「なに?」

返事をすると、扉の向こうから譲治の声がする。

「純様、明日の御予定を伺ってもよろしいでしょうか?」

「あー……、特に何もないな」

「承知しました。 朝食は和食と洋食、どちらになさいましょう?」

「んー、じゃあ、洋食で」

「かしこまりました。 何かございましたら、わたくしは下の自室におりますので」

そう言い残し、譲治が離れていく足音がする。

ふと、純は携帯に目を戻した。

「……」

鳳佳の居る所は今、夜だろうか?

食事や睡眠は摂れているだろうか?

「……」

傍にいてくれる人は、いるだろうか?




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る