第4話(1)『たまには夏休みらしいことを』
純が男たちに襲われてから、数日が経った。
あの日以来、バンダナの男はもちろん、謎の刑事も現れない。
特にバンダナの男の方は、逆恨みで復讐に来るかもしれない──と、
宿題は夏休み前に終わり、部活も無所属、アルバイトは学園側から禁止されている。
そんな純が毎日していることと言えば……──
部屋のベッドに寝転んで、一日中、本を読み。
夏子に引っ張られて、買い物に付き合わされては、本屋で立ち読みし。
誠也ら男友達にゲームセンターに連れて行かれては、空いているベンチで、やはり本を読んでいた。
「少しは『本』じゃなくて、『空気』を読みなさい」
白い砂浜のビーチパラソルの下、リクライニングチェアにサーフパンツ姿で寝そべっている純から、本を取り上げる夏子。
「せっかく、こうして海に来たんだから」
そういって、眼前に広がる気持ちの良いほどに青い海を指差す夏子。
花の柄がプリントされたワンピースのような水着に、長袖の白いラッシュガードを羽織っている。
純は眉間にシワを作って、日差しを遮るサングラス越しに、夏子を見た。
普段は女子と間違われる彼だが、服を着ていない晒された上半身は、元バスケ選手特有の男子らしい、軽く引き締まった身体付きをしている。
そして、その体が一滴の水にも濡れていないところから、まだ一度も海に入っていないようだ。
「別にいいだろ。 誠也だって、楽しそうじゃん」
純が波打ち際の方に目をやると、はしゃいでいる女子数名と戯れる誠也がいた。
「ホント、謎にモテるな。アイツ」
半ばあきれたように、純が呟く。
「あの子はただ単純に楽しく遊びたいだけで、妙な下心とかが一切ないから。 そういう純粋な部分が、女の子から好かれるのよ」
夏子はそう解説して、再び純に向き直ると、
「あなたも、少しは年頃の女の子と楽しむことを覚えなさい」
まるで母親か教師のような口調で言う。
「わかったわかった、そのうちな。 だから、本を返せ」
純は彼女に向かって、スッと左の掌を差し出す。
その手を見つめて、夏子が尋ねた。
「腕、治ったの?」
急な質問に、ピクリと微かに、純が反応する。
「……」
実はバンダナの男に襲われたあの日──最初の一撃を受け止めた左腕は、つい最近まで軽い痛みを帯びていた。
それでも純は医者に行かず、あの日の一件を誰にも語らなかったのだが……──
夏子は彼の細かい挙動や仕草で、怪我に気づいていたらしい。
「よくわかったな」
「症状にはね。 原因は知る由もないけど」
微笑む夏子。
純は目線をそらしつつ、
「……棚から落ちてきた本に当たったんだよ」
と言った。
それを聞いて、
「あらまぁ。 なんとも重い本だったんでしょうね」
と、まるで、お見通しと言わんばかりの夏子。
しかし、純は無言を貫いた。
「……鳳佳ちゃんとはどう? 上手くやってる?」
諦めて、夏子が話題を切り替える。
「毎日1通、ながーいメールが届くよ。 まるで報告書だ」
フッと微笑む純。
「ちゃんと、絵文字とか使って、口調に気をつけて返してる?」
パラソルの影に入りつつ、夏子が尋ねる。
「やってるよ。 オレ自体、そういうメールに慣れてないから、結構大変なんだぞ」
眉間にシワを寄せて、純が答える。
夏子は“お疲れ様”と彼を労うように笑って、
「鳳佳ちゃんは一体、向こうで何をしてるのかしらね?」
ポツリと疑問を呟いた。
「さぁな」
小さく肩を竦める純。
以前、琴乃が“研究機関に呼ばれている”と言っていたが、それ以上詳しいことは何もわからない。
鳳佳自身も、それについて触れてこないので、純の方から突っつくのも、なんとなく気が引けた。
「まぁ、それもいずれ、本人が話してくれるだろ──ほら、尋問は終わりだ。 本を返せ」
再度、純は手を差し出す。
「はい、タッチ」
途端に夏子が、その手を軽く叩いた。
「あ?」
突然のことに怪訝な顔をする純。
夏子は、いつもの笑顔で言う。
「今、『鬼ごっこ』の最中なの。 で、私が『鬼』だったんだけど」
「……はぁ?」
一瞬、何の話をしているのかわからず、純の思考が停止する。
「──たった今、姫ちゃんに交代しました」
「はぁ?!」
やっと、脳が意味を理解した。
「ほらほら」
夏子は呆けている純の腕を引いて、無理やり立たせると、サッと彼の掛けているサングラスを奪い取る。
「ちょ、おい…待っ──」
「はい! レッツ、ゴー!」
両手で彼の背中を押し、手を振る。
「5分以内に誰かを捕まえないと、全員にアイスおごる事になっちゃうから、頑張ってねー!」
「なんだそれ!!」
慌てて海へと駆けだしていく純。
その後ろ姿を見送ると、夏子はさっきまで純が寝ていたリクライニングチェアに寝転がり、彼のサングラスをかけ、さらには奪いとった本を開いて、読み始めた。
結果として、純は最後まで鬼のまま終了した。
もちろん、本気を出せば、運動能力で劣る女子を捕まえることはできた。
しかし、流石にそれは気が咎める。
そうなると、狙うは男子の誠也だが、彼もバカではない。
持てる体力をフル活用して、沖に逃げ、陸に逃げ──必死に逃げ回った。
いかに純であっても、相手が悪い。
ましてや、誠也は現役バリバリのバスケ部選手だ──そうそう捕まえられない。
なんとかして、あと一歩のところまで迫ったが……残念ながら、タイムリミットが来てしまった。
「ちゃんと『空気』読めるじゃない」
帰りのバスの中、隣に座った夏子がクスクスと笑う。
純は眉間にシワを寄せて言った。
「ほっとけ!」
街中でバスを降りて、純、誠也、夏子の三人は自宅の方へと歩く。
「いやー、楽しかったな! 今年は海に行けて良かった! 次はみんなでキャンプ行こうぜ!」
「誠也の宿題の進行状況によっては、キャンプは来年になりそうね」
浮かれる誠也に、微笑んだ夏子が水を差す。
「ぐ…、ひ、姫! 明日、暇か?」
「オレは手伝わんぞ」
冷たく言い返しながら、純はチラリと携帯を見た。
着信もメールもなし。
(今日は遅いな……。いつもなら『定時連絡』があるはずなんだが)
その隣で、やれやれと誠也が首を振る。
「やっぱり部活と学業の両立は永遠の課題か……」
「それは、ちゃんと両立ができてから言いましょう」
夏子が微笑んでツッコミを入れていると、いつも三人が別れる十字路に差し掛かった。
「んじゃな、姫、夏子」
「またね、二人とも」
「おう、じゃあな」
別れを告げて、それぞれ、夕暮れの道を歩いていく。
「はぁ、疲れたなぁ……。 飯作るのめんどくせー……」
だらだらと一人愚痴をこぼしつつ、しばらくして、純はとある庭付きの一軒家に純は辿り着いた。
ここが彼の自宅だ。
「あー、だりぃー……」
玄関の鍵を開けようと、扉の前でゴソゴソとポケットを探る。
しかし、──
ガチャン……
純がドアノブに触れるまでもなく、ひとりでに扉が開いた。
ふと、視線を持ち上げると、
「おかえりなさいませ、坊ちゃま」
そこには、白と黒が合わさって、銀色に見える髪を丁寧に整えた、背の高い老紳士が立っていた。
彼は暖かい微笑みを携え、黒のスーツに白いエプロンという、なんとも、ちぐはぐな格好をしている。
純は、突然の現れた彼の出迎えに、驚く素振りもせず、口を開いた。
「なんだ、帰ってきたのか」
「はい、坊ちゃま。 この
相変わらず、紳士的で丁寧な態度を崩さず、深々と頭を下げる譲治。
「そんなの、別にいいよ──」
敷居を跨ぎ、家の中に入りながら純が言った。
「──ってか、その“坊ちゃま”やめろって、何度も言ってんだろ。
純の言葉に、
「わたくしが、やりたいのでございます。 幼き頃から、『執事』に憧れておりましたので」
と、純から荷物を受け取って、譲治が笑顔を見せる。
「ああ、純様。 お風呂を沸かしておきました」
「おお、サンキュー」
「それから、夕食もご用意しております」
「……マジで助かるよ」
執事同然の譲治の働きに、溜息交じりに感謝しながら、純は風呂場へと向かった。
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