第3話(10)

「じゃあね、鳳佳」

純がひらひらと手を振る。

泣き腫らして目は赤いが、鳳佳は笑顔で応えた。

学園長に付き添われ、彼女が校門を抜けて去っていく。

その間に、何度もこちらをふり返っては、こちらに手を振ってきた。

「わかった、わかった、もういいから」

純は呆れたように微笑み、そう呟く。

遠ざかる鳳佳の手には、しっかりと──しかし、大事そうに──純からもらった、紙が握られていた。

純が今日やろうとしていた目的は花火だけでなく、渡航前の鳳佳に自分の連絡先を渡す事でもあった。

「さて、と…」

あとは、自分たちの行った事の痕跡を消すために、純はバックネット裏へ戻らねばならない。

「あ〜、蒸しあっちぃ~」

そういいながら、胸元を緩めて、パタパタと内部に空気を送っていると──

「コラ、はしたない。 女の子なら、もっと恥じらいを持ちなさい?」

花火をしていた場所に、誰かが居る。

「もう、営業時間は終了なんだからいいんだよ」

純は扇ぐのをやめず、手伝いにきた夏子に言った。

「さぁ、片付けましょ」

そう言って、夏子が両手でバケツを持ち上げる。

「ちょっと待った──」

彼女を呼び止め、純がスッと何かを差し出した。

『線香花火』だ。

「──ふたつ余った。 残しといても、しゃーないから、付き合えよ」

そういう、純の目線は、どこか別の方を向いていた。

夏子はしばらく、彼を眺めて、その手から一本、受け取った。

「勝負しましょうか? どっちが長く燃えていられるか」

微笑んで言う夏子。

「負けた方が、飲み物おごりな?」

純は手元に残った、もう一本を握りしめた。

二人は向かい合って、しゃがみ込むと、額を寄せて、花火を垂らした。

ライターで、同時に火を点ける。

フフッと夏子が微笑んだ。

「小さい頃は毎年やってたよね、花火」

「誠也と三人でな」

「覚えてる? あの子、打ち上げ花火を間違えて逆向きにセットしちゃって──」

「前髪が焦げたときか。 人の話を聞かないで、勝手にやり始めるから、ああなるんだ」

「フフフ。 あー、なんか懐かしいな……」

辺りにバチバチと花火が弾ける微かな音が響く。

空中で消えていく閃光を見ながら、純は鳳佳のことを思い出していた。

吹き出る色とりどりの火花に感動していた、彼女の瞳。

連絡先を渡した時、静かに涙を流していた姿。

そして、別れ際、何度もこちらに手を振っていた笑顔。

「──なにか気になることでもあるの?」

突然、夏子がそう尋ねた。

「別に──」

純はそう言って、一度は誤魔化そうとしたが、夏子に対して、それは意味を成さないことだと思い出し、言い直した。

「──いや……実は、今日、鳳佳にオレの連絡先を渡したんだ」

真剣な表情で、続ける。

これからは、もっと鳳佳と近い距離でやりとりすることになるだろう。

それは、彼女を取り巻く、特殊な関係の一つに足を踏み入れることを意味する。

「でも、ふと思ってさ。 アイツと全然違う『世界』に住んでるオレが、果たして容易に絡んで良いもんなのかな?って……」

純がポツリとそう溢すと、それを遮るように、夏子が言った。

「彼女、今日楽しんでた?」

その勢いに、純は少し面食らいつつも、

「……まぁ、たぶん」

と答えた。

続けて、夏子は言う。

「なら、それで十分じゃない?」

にっこりと、いつもの笑顔で夏子が笑う。

「さっきの話──小さいころ私と誠也と三人で遊んだの、楽しかったでしょ?」

「…ああ」

いつもは照れ隠しで否定するようなセリフを吐くが、珍しく純が肯定した。

「私も楽しかったわ。 たぶん、誠也もね」

「……」

「それだけじゃダメかなぁ? 確かに、鳳佳ちゃんは特殊な家の生まれで考慮しなきゃいけない部分もこれから出てくるかもしれない。 でも、とりあえず今は『一緒にいて、楽しい』関係──それじゃダメ?」

昔を思い出したのか、純の瞳が少し優しくなる。

「……ダメじゃない」

ポツリと呟く彼に、夏子は微笑んで言った。

「難しく考えすぎ」

「……スマン」

またも珍しく、純が謝る。

自分で思っていた以上に、純の中で鳳佳の家のことが引っ掛かっていたらしい。

だから、この夏子の言葉は、純をだいぶ楽にしてくれた。

「素直でよろしい」

夏子が微笑む。

二人の持つ閃光花火も、ピークを過ぎた。

四方に飛び散る光の粒が、次第に小さくなっていく。

夏子の方に至っては、すでに火種が落ちるのも、時間の問題だ。

「……サンキューな」

「浴衣のことなら気にしないで」

「いや、それも含めてさ」

「?」

「なんでもねぇよ」

純の方の花火も、そろそろ潮時らしい。

「ねぇ、姫ちゃん──」

自分の花火から目を逸らさずに、少し真剣な目で夏子が言った。

「ん?」

「浴衣の御礼の代わりと言ったらなんだけど、一つお願いしていい?」

「なんだよ?」

純が聞き返すと、ザリッと砂の音がして、しゃがんだまま、夏子がこちらに近づいてくる。


「目を閉じて」


手を伸ばして、そっと純の頬に触れる夏子。

その手から、女性独特の甘い香りがする。

「!!? バ、バカ……なにを──!」

自分の火種を揺らさないように、純は仰け反って彼女と距離を取ろうとする。

「お願い。 私に感謝してるんでしょ? それならいうこと聞いてよ」

どこか甘い夏子の声。

「ちょ…待て…って──」

動揺する彼の言葉を無視して、ゆっくりと夏子は顔を近づける。


「──!」


純は思わず息を止めて、ギュッと目を瞑った。


「──ふぅっ…」


……。


「……?」

「はい。 もう開けてもいいわよ」

夏子に言われて、純は恐る恐る目を開ける。

そこには、満足そうな夏子の笑顔が見えた。

「??」

別に何もされてないよな……と、純が目線を自分の花火に戻すと──

「あっ!!」

先端にあったはずの『火種』が無い。

細く弱々しい煙りだけが立ち上っている。

「テメェ、吹いただろ!」

眉間にシワを寄せて、純が言うと、

「あら? なんのことかしら?」

変わらぬ笑顔で、夏子が返した。

「目を閉じさせたのは、お前じゃねーか!」

さらに純が反論すると、

「私は“閉じて”って『お願い』しただけよ? それを聞いて閉じてくれたのは、姫ちゃんの方でしょう?」

飄々と答える夏子。

負けじと、純が続ける。

「『あんなこと』されそうになったら、誰だって目ェ閉じるに、決まってんだろ!!」

顔を紅くしながら怒る彼に、夏子はキョトンとした表情を作った。

「『あんなこと』? あら、姫ちゃん、いったい私に何をされると思ったの?」

この質問に、純は口籠る。

「ぐっ…」

恥ずかしさから目線をそらす彼に、

「私の、勝・ち・ね」

そう夏子が微笑んだとき、ポトリ…と、彼女の閃光花火が落ちた。
















 結果に納得がいかないが、負けてしまったことに変わりはない。

純は校舎近くの自動販売機で、夏子に飲み物を買った。

「ほらよ」

「ありがとう」

自分も何か飲もうと、再度小銭を出し、商品を眺めていると、 

「心は決まったってことよね?」

夏子が聞いてきた。

「なにが?」

ボタンを押しながら、純が聞き返す。

「前に電話で、鳳佳ちゃんの事、『様子を見て決める』って言ってたじゃない? 今日、連絡先を渡したのは、心を決めたってことじゃないの?」

冷たい缶を両手の中で、コロコロと回す夏子。

純は答えずに、自販機から缶コーヒーを取り出そうと、しゃがみ込む。

その時、自分の着ている浴衣から、煙の匂いがした。

「……」

花火の最中、楽しそうに笑っていた鳳佳の姿が、脳裏にフラッシュバックする。

無意識にフッと微笑む純。

その表情が、彼の背後の立っていた夏子にも、少しだけ見えた。

そして、それだけで、今さっきの質問は愚問だったと、夏子は理解した。

「……行きましょうか」

「おう」

缶を取り、立ち上がった時には、純の表情はいつものように戻っていた。




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