第3話(9)

 純と鳳佳は、真っ暗なグラウンドを横切っていた。

今夜は新月で月明かりもなく、光源は純の手にあるハンドライトだけだ。

鳳佳の手を引いて、履きなれない下駄で、純はゆっくりと彼女を先導する。

時々、鳳佳もヨタヨタとフラつくところを見ると、彼女も下駄には慣れていないようだ。

「大丈夫?」

そう尋ねると、暗闇の中で鳳佳がコクコクと頷いているのが、なんとなしにわかった。

純は今日、顔を見るなり琴乃に言われたことを思い出す。

“──『花火』の件、学園長が鳳佳ちゃんに話したら、すごく楽しみにしていたそうよ? 頑張って、エスコートしなきゃね、純くん!”

(頑張るも何も、ただ花火するだけだっつの)

そう頭では思いつつも、いざ本人を目の前にすると、期待を裏切ってしまわないようにと少し気が焦る。

やがて、二人は目的の場所に着いた。

そこは、グラウンドの『隅』も『隅』。

野球のバックネット裏にある、本当に僅かなスペース。

小さな場所だが、純たち二人が花火をするには、申し分のない広さはある。

ここなら、校舎からも離れているし、バックネットの壁もあって、どの角度からも、人目に付く事はない。

すぐ近くに水場もあるので、花火をするには、もってこいの場所だ。

──むしろ、これだけの条件が揃っているなら、別に普段の格好をしていても、問題ないのでは?

純の脳内に、そんな疑問が浮かんだ。

(……もしかして、ただ単にオレを『浴衣姿』にしたかっただけじゃねーだろうな、琴乃のヤツ)

眉根を寄せて、そう訝しがりながら、水場でバケツに水を汲む。

蛇口を捻って水を止め、純がバックネット裏に戻ると、鳳佳は花火を手に取り、そのド派手なパッケージをじっと見つめていた。

「やったことある?」

純が戻ったことに、気がついていなかった鳳佳は、急に声をかけられて、一瞬、ビクッと震えた。

そのあと、彼の質問に対して、首を左右に振って答える。

「…!」

ふと、彼女の顔が、純の一点を見て止まった。

「ん? どうかした?」

何かおかしい所があるのかと、純は自分の格好を見直す。

そんな彼の元へ、トコトコとやってくると、鳳佳は純の浴衣の袖口を手に取った。

「…」

鳳佳の小さな手が、ぎゅっと袖を絞る。

すると、そこからポタポタと水滴が垂れた。

「あ……」

思わず、純が声を溢した。

水を汲んだときに、ちゃんと袖を押さえなかったため、濡れてしまったらしい。

浴衣に慣れていない、彼ならではのミスだった。

「あ、ありがと……アタシ、浴衣あんまり着た事なくて」

正直に認めたほうが、怪しまれないと判断し、純が言う。

しかし、鳳佳は微塵も疑ったりしていないようだった。

「……」

闇に目が慣れ、暗い中でも僅かな光で、彼女の顔が捉えられる。

小さな力で、袖を絞る鳳佳の姿は、とても可愛いらしく見えた。

(──よせよせ、変な目で観るな!)

心の中で自分を叱咤し、冷静になろうと努める。

「鳳佳、もう大丈夫だから、始めようか」

純が言うと、鳳佳は笑顔で頷き、彼の袖口を広げて直した。

「流石に花火がどんなものかは知ってるよね?」

純はできるだけ、イエスかノーで答えられる質問をする。

鳳佳は頷いて肯定した。

「火傷しないように気をつけてね」

言いながら、バリバリとパッケージを破いて、純が花火を取り出す。

琴乃の注意事項にあった通り、花火は『火花が噴出するタイプ』のものだけ。

「あと、煙も吸い込まないように」

試しに一本取り出して、純がライターで火を付ける。

一瞬、先端の焼け目が引いたかと思うと──


シュォォォ!!


音を立てて、勢いよく白銀の閃光が吹き出した。

「…!」

滝のように零れ落ちる火花に、鳳佳は驚愕して、瞳を丸くする。

まるで、映画でも観入るかのように、空中に消えていく火花を見つめていた。

(口が開きっぱなしだぜ、鳳佳)

彼女の様子を見て、純はフッと笑う。

やがて炎は三色の変化を遂げて、静かに鎮火した。

辺りに漂う、火薬の匂い。

「消えたら、このままバケツに入れちゃえばいいから」

いいながら、純がまだ燻っている先端を、水の中に突っ込んだ。

水面に触れた瞬間、ジュッという小気味いい音がする。

一連の出来事に感化されて、鳳佳がパチパチと拍手した。

純は別に何も特別なことはしていない。

しかし、初めて見る鳳佳からすれば、それは相当に心を動かすようなことだったらしい。

(初めて、か──……)

バスケだって、花火だって。

鳳佳の人生には、どれほどの意味も成さないことかもしれない。

でも、たとえそうであっても──

彼女がこんな顔をするのなら、いろいろなことを教えてやりたい。

それが、いつも素晴らしい『物語』を見せてくれる鳳佳へ、せめてものお返しになれば、それでいい。

「はい、ここ持って。 力は入れなくても、大丈夫だから」

緊張しつつ、花火を持つ鳳佳の右手に、純は手を添えてやる。

火が灯り、流星雨のように迸しる光に、また鳳佳は夢中になり、純はその横顔を見つめていた。

























 最後に残された、『線香花火』も、儚げな光を伴って、静かに地面へと落ちた。

バケツいっぱいになった燃殻を前に、純は立ち上がる。

「よし、戻ろうか」

それに倣って、鳳佳も立ち上がった。

タイミングを見計らい、純が言う。

「海外──気をつけて、行ってきてね」

「!」

鳳佳が、はっと顔をあげた。

「…」

そして、バケツから一本、花火の残骸を引き抜くと、カリカリと地面に文字を書き始める。

純はライトで、鳳佳の書いた文字を照らした。

“知ってたの?”

彼女の問いに、コクリと純は頷く。

「学園長に聞いた。 夏休み期間中は向こうで過ごすって」

それを聞いて、鳳佳が少し顔を曇らせる。

“黙ってて ごめんなさい”

「別に怒ってないよ。 ただ、普通に言ってくれればよかったのに」

純のこの言葉に、鳳佳はしばらく黙って、また書き始めた。

“なかなか言い出せなくて”

寂しげに微笑んで、鳳佳が字を綴り続ける。

“ここ数日 純ちゃんと過ごしてきた時間が あたし とっても楽しかったから”

「……」

“なんだか もうそれが夢のように 消えて無くなっちゃう気がして”

地面に刻まれる、鳳佳の文字を見て、純は溜息をついた。

「バーカ」

咄嗟に、いつものクセで出た言葉だった。

驚いてこっちを見る鳳佳に対して、純は一枚の紙を差し出す。

「これ、アタシの連絡先!」

「…」

一瞬、茫然としながらも、ゆっくりと鳳佳が紙を受け取る。

純はフッと微笑んで、言った。

「これでもう無くならないでしょ? アタシと鳳佳の『関係』。 向こうに行っても、いつでも良い、どんな事でも連絡しな。 アタシ、待ってるから……」

彼の言葉の途中から、鳳佳の頬には、大粒の涙が流れていた。

コクコクと頷き、片手に持った紙を見つめ、零れる涙を、もう片方の手で拭った。

「──ったく」

そう呟いて、純はガシガシと頭を掻いた。

鳳佳はきっと、思ったのだろう。

海外に渡って、次に自分が戻って来たとき──純が再び会ってくれる保証はない。

『夏休み』というブランクが、この関係に終焉をもたらすのでは──と。

ずっと友達という関係に薄かった彼女は、とても心配で不安だったのだろう

だから、純に言えなかった。

そして、言えないことが、さらに彼女を苦しめた。

「……バーカ」

また、純が呟いた。

今度は小さな声で。




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