第3話(8)
虎賀美高校から出ると、純は一度、自宅に戻って着替えを済ませ、『ある物』を買いに、再び家を出た。
その後、大きな袋を携えて、日の沈み始めた、龍嶺学園の校門をくぐる。
時刻は既に夕刻。
夏休み期間中、部活動に来ている生徒達も、そろそろ帰路に着き始める。
校門から次々と生徒が出て行く頃、学園長室には純と夏子、そして、女医の琴乃が集まっていた。
「姫ちゃん、どう? キツくない?」
夏子が尋ねる。
「ああ」
そう応える純の周りを、女性二人が、どこか楽しそうに動き回っていた。
「良かったわ、サイズが合っていて」
純の背後で、帯を結びながら、夏子が言った。
「セーラー服、浴衣──次は何かしらね?」
ウフフと微笑みながら、琴乃が言う。
純は思わず眉間にシワを寄せた。
そう。
今、純は『浴衣姿』だった。
蒼い布地に、薄紫とピンクの鮮やかな朝顔の柄。
それを留めている帯は黄色。
黒く長い髪も綺麗に纏めて、髪飾りで後ろに結ってある。
夏子と琴乃は、二人掛かりで──心底楽しそうに──彼の身の回りを整え、着飾った。
ちなみに、浴衣は夏子の物だ。
「いつか姫ちゃんに着せてあげたかったから、一つ夢が叶ったわ」
「……よかったな」
嬉しそうな夏子に、不機嫌な声を出す純。
「仕方ないわよね。 まさか、制服のままで、やるわけにはいかないもの」
琴乃が傍らに置かれた袋に目を向ける。
それは、純が昼間に買ってきた物──『花火』だった。
昨夜、アリーナでバスケットボールをやった時──
鳳佳はボールにすら、触ったことがないと言っていた。
そこで、純は思った。
(他にも、あるかもしれない)
自分には当たり前でも、鳳佳がやった事のないもの……。
そして、ふと思い至ったのが、夏の風物詩『花火』だった。
純はすぐに桜井学園長に、この思いつきを相談してみた。
「確かに……。『打ち上げ花火』なら、何かしらのセレモニーなどで、見たことがあるかも知れませんが、『手持ち花火』は、ないかも知れません」
桜井学園長は、しばらく考え込む。
「明日の夜、学園内の片隅でいいから、アイツと花火をやらせてもらえないか?」
さらりと言う純に、
「言うほどそれは簡単なことじゃないのよ、姫宮くん……」
と、苦笑して返したのは、琴乃だった。
「確かに鳳佳ちゃんは、特殊な待遇を受けている生徒ではあるけれど、むしろ、そういう『待遇』を快く想わない学園関係者もいる。 だから、余計な揉め事を避けるために、鳳佳ちゃんの存在は、知らされていない人がほとんどなの。 あの体育の先生みたいにね」
純の脳裏に、厳しい表情で、こちらに迫ってきた体育教師の姿が浮かぶ。
琴乃は続けて言った。
「花火となると、当然、人目を引くし、痕跡も残りやすいから……」
「まぁ、そうか……」
彼女の説明に納得しながら、純は小さく溜息をついた。
それに気づいて、桜井学園長は温厚な笑顔を見せると、純の手を取り、両手で包む。
「大丈夫よ、姫宮さん。許可します」
「え、でも──」
「元々、あなたに鳳佳ちゃんの事を頼んでいるのは、こちらです。 我々がサポートをするのは当然のこと。 その件につきましては、菊池先生と、何か良い方法を考えます。 そのかわり、こちらの指示には、必ず従ってくださいね?」
そう言って微笑む桜井学園長に、純も大きく頷いた。
そして、その結果──
「浴衣がその『良い方法』なのか?」
眉間にシワを寄せて、ひらひらと袖を揺らしながら、純が尋ねる。
「この前、体育の先生と遭遇した時と同じよ。 もし、学園関係者に見られても、男子生徒である『姫宮 純』とは、誰も思わないでしょ? 鳳佳ちゃんの方は、こっちで、後から隠蔽工作するわ」
隠蔽工作──。
(『見つかったら、隠す』っつーことは、学園関係者には、むしろ『特別待遇反対派』のが多いってことか……)
たとえ、鳳佳の存在を知っている者であっても、良い顔をしないから隠す──という事だろう。
そもそも、純はこれまで、鳳佳に直接関わっている学園関係者を、桜井学園長と琴乃しか見ていない。
もしかすると、そう言った事情で、教員をアテにできないからこそ、学園長は学生である純を頼ったのかも知れない。
「はい、おしまい」
そんな風に考えている純の背中を、夏子がポン!と、軽く叩いた。
「私、ここで待ってるから。 終わったら、一緒に帰りましょうね」
「おう」
夏子の微笑みに返答をして、琴乃と一緒に、純は学園長室を出た。
廊下を歩きつつ、琴乃が注意事項を伝える。
暗くて見辛いだろうが、周囲になるべく気を使うこと。
音の出る花火や、打ち上げるタイプの花火は当然NG。
ゴミや灰、下駄の足跡など、痕跡はなるべく消して、後に残さないこと。
「それから、時間! タイムリミットは一時間後よ? 何があっても、この時間には終わりにしてね。 もし間に合わなかったら──」
琴乃がニヤリと笑って、一度言葉を切る。
「間に合わなかったら?」
純が続きを尋ねると、琴乃は彼の耳元で囁いた。
「──二人とも、あたしの家に『強制連行』しちゃうからね?」
耳をくすぐる、彼女の吐息に、純は鳥肌を立てた。
「絶対間に合わせる!」
遠くから、カランコロンと、下駄の音が聴こえてくる。
校門を越えて、中に入ってきたのは、鳳佳と学園長だ。
純は手に持っていたライトで、二人を照らした。
「こんばんは。 鳳佳、学園長」
彼が挨拶をすると、学園長は純を下から上まで眺め、感嘆の声を上げる。
「あらまぁ、可愛らしい浴衣姿だこと。 よくお似合いですよ、姫宮さん」
「…どーも」
純は引きつりながらも、笑顔で返した。
学園長の隣にいる鳳佳も、同じく浴衣姿。
白の下地に、見事な『紅い蝶』の柄。
柄に合わせて、帯も紅色で、とても上品だ。
「アンタも似合ってるよ、鳳佳」
純がそう褒めると、鳳佳は真っ赤になりながら、もじもじと浴衣の袖を握りしめて、コクコクと頷き、“ありがとう”の意思を示した。
「それでは、二人とも、くれぐれも火傷だけは気をつけて下さいね」
桜井学園長が、鳳佳を送り出す。
そしてそのまま、純に向かって、丁寧に頭を下げると、
「よろしくお願いします」
と言った。
純は無言で頷き、それを返事にした。
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