第2話(7)

「…」


カチ……カチ……カチ……


時を刻む秒針の音が、室内に響いている。

小さく聴こえるのは、紙に文字を記す鉛筆の音。

さらに小さく、ほんの微かな息遣いも聴こえる。

「…」

鳳佳は一人、図書室の椅子に座って、机に広げたノートに向かっていた。

彼女の持つ鉛筆が、流れるようにアルファベットを綴る。

「…」

集中した瞳が、何者も寄せ付けない雰囲気を醸し出す。

やがて、記した文字がページの最後の行まで行き着いた。

カタン、と鉛筆を置き、肩の力を抜いて、ふぅっと息を吐き出す。

丁度、その時……


ガチャッ──


図書室のドアが開き、入り口から誰かがヒョコッと顔を出した。

「鳳佳? いる?」

現れたのは、龍嶺学園の運動着ジャージを着ている純だった。

突然の彼の登場に、鳳佳は瞳を丸くする。

「こんばんは」

言いながら、彼女の側へ近く純。

再び鳳佳は鉛筆を取り、メモ用紙を一枚、手繰り寄せる。

“どうしたの? 今日は確か ゴウコンの日じゃなかった?”

「うん、その帰り道に学園の方を見たら、明かりが点いてたから、もしかして……と思ってね。 小説書いてる真っ最中だった?」

ノートに視線を移して、純が尋ねる。

“読む?”

鳳佳の言葉に、純は微笑む。

「ありがと。 でも今日はちょっと、他のコトやって見ない?」

頭の上にハテナを浮かべて小首を傾げる鳳佳に、純はジャージと、室内用シューズを差し出した。

「これ、学園長が用意してたんだけど、機会がなくてずっと渡せてなかったんだって」

おずおずとそれを受け取る鳳佳。

純は彼女に言った。

「今日はアタシと一緒に、体育館で遊ぼう」












図書室を後にして、二人は暗い廊下を歩いていた。

純は自分の隣を歩く鳳佳の様子を見る。

用意されていただけあって、流石に服のサイズはピッタリだった。

おかしな違和感は全くない。

普段、純が体育の授業で見ている女子と相違なく見える。

それも当然といえば当然のことなのだが。

鳳佳の特殊な素性と境遇を知る純には、なんだか不思議な印象を受けた。

服のサイズといえば、急遽、学園に来た純が今着ているのは、火憐からの借り物──すなわち、女子の物だったがサイズ的な問題はなかった。

(それはそれで悲しいな……)

ジャージの袖を見ながら、純が複雑な表情を浮かべる。

再び視線を鳳佳に戻す。

「…」

彼女は少し不安げに、キョロキョロと辺りを見回していた。

「この辺りに来たことは?」

純の質問に、鳳佳は首を振る。

「まぁ、そりゃやっぱりないよね」

純はうんうんと頷く。

この龍嶺学園は、多々ある細かい建物を除いて、大きく三つに分類される。

一つは、生徒達の教室がある『学生棟』。

そして、職員室や図書室などがある『教員棟』。

最後に体育の実習や集会などが開かれる『体育館アリーナ』。

なかでもこのアリーナは二階建で、一階は剣道部や柔道部などが使う『武道場』になっている。

今、純と鳳佳が歩いているのは、学生棟からアリーナへ続く連絡通路。

夜は電気が付いていないと、この辺りは、ほぼ真っ暗だ。

とても一人で行きたい場所とはいえない。

やがて、二人はアリーナに辿り着いた。

「よっと…!」

純が鉄製の引き戸に手をかけ、ガラゴロと重い音を立てながら開けた。

ひらけた空間の気圧と、一層強まる静寂が、鼓膜を押す。

入口のすぐ横にあるスイッチを入れると、見上げるほど高い天井に電灯が次々と瞬いた。

「よし、次は──」

言いながら、純はアリーナにある舞台とは逆の倉庫の方へと向かう。

鳳佳は黙って、彼の後ろに付いて歩いた。

予め預かった鍵で、純が倉庫を開ける。

「鳳佳はここで待ってて」

そう言い残し、闇の中へ、彼が消えていく。

「…」

しばらく、その場で鳳佳が待っていると──

「さぁ、鳳佳。 アタシと勝負だ」

ダム!ダム!と、何かが床を打つ特徴的な音が聞こえた。

暗がりから現れた純を見て、鳳佳は瞳を丸くする。

彼が抱えていたのは、茶色に黒い筋が入った──『バスケットボール』だった。










 話は、数時間前に戻る──


カラオケで、純が火憐と一緒に歌っデュエットした直後のことだ。

「約束だ。 その『心当たり』とやらを教えてくれ」

純は腕組みして、火憐をまじまじと見つめた。

言われて、火憐は得意げに人差し指を伸ばし、言う。

「姫宮くんもちょっと考えたら、すぐにわかると思うよ。 要は、『自然と声が出る』ような事をすれば良いんでしょ?」

「そうだけど、そんな上手いもんなんかあるのか?」

眉根を寄せて、純が考える。

「ふっふーん!」

自分が純よりも優位にあることが嬉しいのか、ニヤニヤしながら火憐がヒントを出す。

「あるよ。 ほら、思わず声が出ちゃう時ってどんなとき?」

「えっーと…」

「ほらほら、考えて考えて!」

楽しげに火憐が急かす。

「んなこと言ったって、わかんねぇから聞いてんのに……」

眉間にシワを寄せて、純が不機嫌そうに呟く。

「ふふ、じゃあ降参?」

問いながら小首を傾げて、火憐が尋ねた。

「……ああ、降参だ」

目を閉じて、諦めたように両手を上げる純。

それを満足げに眺めて、火憐が答える。

「『バスケ』よ。 バスケ!」

「………へ?」

思いもよらぬ答えに、純は一瞬ポカンとした。

火憐は人差し指を伸ばして言う。

「ほら、『スポーツ』ってそうじゃん。 応援してる時も、やってる時も、声を出すものでしょ?」

「……」

「決まれば“やった!”、ミスれば“しまった!”って、夢中になればなるほど、白熱すればするほど、『スポーツ』って無意識に声が出るものじゃない?」

「──なるほど……」

言われてみれば、至極単純なことだった。

特に『チーム・スポーツ』においては、声を掛け合うのは基本中の基本だ。

個人の競技であっても、自分を奮い立たせる為に、声を上げることはある。

火憐の言うこと聞くと、あながち間違っていないような気がした。

「どうかな?」

にこっと笑顔で締めくくる火憐。

純は一人、小さく呟いた。

「バスケ…ね…」




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