第2話(5)
終業式の日──……
湿気の多い空気が辺りに満ち、空には重い雲が立ち込めていた。
天気予報では、時々、にわか雨があるかもしれないとのこと。
灰色がかった空の下、走る車の音、信号機が発する鳥の疑似音声、行き交う人の雑踏と話し声……
その中を、純と誠也は並んで歩いていた。
「なぁなぁ、なんで急に来る気になったんだよ?」
誠也が尋ねる。
「何だっていいだろ。 おかげで人数、集まったんだから」
純はそう言い、彼を軽くあしらった。
黒いTシャツの上に半袖の青いパーカーを羽織り、下はジーンズを履いている。
その隣の誠也は、学園のワイシャツ姿だ。
彼がいつもの制服姿なのは、部活が終わった後、直接来たからだ。
二人はしばらく歩いて、駅の近くにあるカラオケ店に辿り着いた。
店のエントランス付近に、男女数人が談笑しているのが見える。
純と誠也は、挨拶を交わして、彼らの輪の中に入った。
「うお!珍しい! 姫宮も来たのか!」
早々に、一人の男子が純に話しかけてくる。
「おう」
と、純は応えるが、その後が続かない。
それもそのはず、基本的に他人に興味のない純は、顔はなんとなくわかっても、名前を思い出せないことが多い。
(……サッカー部の…鈴木?…いや、水泳部の佐々木…だっけか?)
しばらく考えてみたが、すぐに思い出すのを諦めて、もう一人いる男子を見た。
多数の女子相手に随分と談笑している所から、かなり合コン慣れしているようだ。
顔立ちも整っていて、女子受けも良さそうに見える。
しかし、純には見覚えがない顔なうえに、相手もこちらに話し掛けてこない所から、どうやら知り合いではないらしい。
(他校の生徒か……?)
そう心の中で思いつつ、純は目線を女子のほうへ移す。
こちらに至っては、純に分かる人物は一人もいなかった。
「じゃあ、さっそく中に入ろっか! 」
笑顔でそう言い、誠也が先陣を切る。
受付を済ませ、指定の部屋のドアを開けると、カラオケ店独特の匂いが流れてくる。
ソファに座り、とりあえず純は着ていたパーカーを脱いだ。
すると──
「姫宮くん、上着こっちに貸して。 壁に掛けといてあげるから」
そう言って、向かいの席の女の子がこちらに手を差し出してきた。
肩にかかる少し茶色い彼女の髪は、くるりと毛先が丸まっている。
裾や袖にフリルの付いた、淡い緑の可愛らしいワンピースを着ていた。
「ああ。 ありがと」
純はそう言って、自分の服を渡す。
一瞬、彼と視線が触れ合うと、女の子は慌ててパーカーを受け取り、いそいそと壁のハンガーに掛け始めた。
(オレの名前を知ってるってことは、知り合いなのか?)
彼女の事を思い出そうと、純はしばらく、その女の子を凝視していた。
「オホン──」
わざとらしい咳払いに、純は思わずそちらを見る。
「──では、初対面の人もいるだろうし、無難に自己紹介でもしますか」
マイクを持って、進行役になった誠也が、純の方に目線を送る。
(ったく、オレからかよ)
怪訝な顔をして、純はマイクを手に取り、仕方なく立ちあがった。
「名前は姫宮 純。 龍嶺学園の一年──」
「──の女の子で~す!」
横から誠也が茶々を入れてくる。
女性陣の方から、クスクスという笑い声や「可愛い〜」と囁く声が聞こえた。
キッと鋭い目で、純が誠也を睨みつける。
「よろしく」
早々に自己紹介を終え、純は自分の前にいる、巻き毛の女の子にマイクを渡した。
「ありがと」
と、小さく言って、入れ替わりに立ち上がる女の子。
「冬月 火憐│《ふゆつき かれん》です。 わたしも、同じく龍嶺学園の1年生で、部活は女バスに所属しています」
彼女の言葉を聞いて、純はピンと来た。
(ああ、コイツが誠也の言ってた、冬月ってヤツか)
以前から誠也が、クラスメイトの間で『特に人気のある女子生徒』と、熱心に語っていた女の子だ。
“容姿良し、性格良し、さらに特筆すべきは、そのバスケセンス! 広い視野と電光石火の『ドライブ』は、もはや芸術品と言えよう!”
誠也の評価を思い出しながら、純は彼女を眺めた。
火憐は、『今日は部活の繋がりで、誠也に呼ばれた』という経緯を話しているところだった。
(言われてみれば、廊下で何度か、すれ違った気がするな)
校内では制服姿な上、校則もあって、髪型も今より落ち着いているので、全くわからなかった。
「えっと、趣味は音楽を聴くことで……──あ!『聴く』のが好きなだけで、『歌う』のは下手ですから、今日はご容赦のほどを……」
苦笑まじりに、モジモジと言いながら、自分のことを語る火憐を見て、ぼんやりと純は考え込んだ。
(しかし、女って変わるなぁ。 違う服装や髪形にしただけで、まるで別人みたいだ)
最後に火憐は小さく一礼し、次の者にマイクを渡すと、周りからの拍手を受けながら、ソファに座った。
次に自己紹介を始めたのは、エントランスで純が思い出せず終いだった男子だ。
「こんにちは、えっと、おれは陸上部の──」
彼が話し始めたが、純はすぐに上の空になってしまった。
(服装や髪型を飾って、誰かと仲良くなりに行く……か──)
ふと、鳳佳と会っているときのことを思い出す。
(ある意味で、アレもそうなるのかな……)
思わず苦笑いが溢れた。
今回、純が急に合コンに出ようと思い立ったのは、鳳佳がきっかけだった。
“たくさんお友達 作ってきてね”
彼女の何気ない一言が、なんとなく純には重く聞こえた。
“したくてもできない”彼女と、“しようともしない”自分に、何か後ろめたい気持ちを感じた。
もちろん、鳳佳はそんなつもりで投げかけたのではないことぐらい、重々わかっている。
しかし、結果として、気がつけば純は誠也に参加の連絡をしていた。
(まぁ、鳳佳との話のネタになるかも知れないし。 案外、何か『失声症』や『対人恐怖症』に対する、ヒントがあるかも知れないしな)
少しでも前向きに考えようと、純が心の中でそう呟いたとき──
「珍しいねぇ、姫宮くん──」
「──!」
いきなり耳元で声を掛けられ、ハッと我に返った。
いつの間にか、向かいに居たはずの火憐が、純の隣にいた。
「──合コンなんて、嫌いそうなキャラなのに。 もしかして、実はよく参加してるの?」
すでに誠也が皆の前で歌っており、それに合わせた手拍子やタンバリンの音で、会場はすっかり騒音の│
「違う。 今日はどうしてもって、誠也に頼まれたからだよ」
純が火憐の耳元で、そう返す。
この環境下で会話しようとすると、自然と相手の耳に自分の寄せるようにして、話さねばならない。
すると、彼女の髪から、ふわりと甘い匂いが漂ってきた。
「!」
少しだけ、心臓が揺れる。
おもむろに、純は聞いてみた。
「香水でも付けてるのか?」
この質問に、火憐は首を振る。
「ううん、付けてないよ。 なんで?」
「いや、別になんでもない」
誤魔化す純。
時々、夏子と一緒に居るときにも感じる。
そんなときに、やはり自分と違う異性なんだと、いつも意識する。
「冬月は、普段から参加してんのか?」
純は再び尋ねた。
「わたしも“どうしても”って頼まれただけだよ。 最近は、部活とか忙しいから、なかなか行く機会がないし」
少しだけ目線を逸らして、火憐が答える。
それを聞いて、純は小首を傾げた。
「その割に今日、部活の後に来たんだな」
このセリフに、火憐が目を丸くする。
「……え?」
「だってさ──」
純は目線で、彼女の持ってきた荷物を指した。
そこには、鞄の口から飛び出した、紺色のナイロン紐が見えている。
「──アレ、ウチの学園のジャージ袋だろ?」
彼のいう通り、見えているのは、龍嶺学園の運動着を入れておく袋の紐だ。
「……ま、まぁね」
火憐は曖昧に頷く。
「部活が終わってから、わざわざ私服に着替えて来るなんて、よっぽど今回、会いたいヤツがいたんだな」
「……う、うん」
純は知る由もないが、実は鞄にはドライヤーと、ヘアアイロンも入っている。
彼女は、部室でシャワーを浴びたあと、髪を乾かし、整えて来ていた。
「……」
何も返すことができず、しばらく二人の間に沈黙が漂う。
そんなことにも気づかずに、純が再び口を開いた。
「あのさ、ちょっと変な事、聞いてもいいか?」
「えっ!?」
今までの会話の流れから、火憐は緊張で身構えた。
“誰に会いたくて、そんな格好したんだ?”
もしも、そう、尋ねられたら──
「な、なに?」
火憐が聞き返す。
純は一瞬、どう聞いたらいいか迷った様子を見せるも、すぐに尋ねた。
「こうして男と話すのって緊張するか?」
「……」
想像した質問ではなかった。
小さくため息をついて、
「いきなり、変な質問するね」
と言った。
「だから、“変なこと聞いていいか?”って事前に聞いたじゃねーか」
怪訝な顔をする純。
火憐は気を取り直し、続けた。
「そりゃまぁ、小さい頃は緊張してた時もあっただろうけど。 今はもう特に意識してないなぁ」
この答えに、純はうんうんと頷く。
「まぁ、そうだよな」
こうして、ほぼ初対面の火憐と話すことに、純も何か意識している訳ではない。
遥か昔は、意識していた時期もあった気がするが──
「でも、どうして、急にそんなこと聞いたの?」
火憐の質問に、純はしばらく考えて、
「『男と話ができない』って、とある女子から相談を受けててさ」
と返した。
一瞬、間をおいて、火憐は、
「それって、彼女?」
と聞いた。
純は眉間にシワを寄せて、
「いや、だから『男』と喋れねーんだっつの。 なんでそうなるんだよ」
と返す。
「姫宮くんが相談に乗る女の子なんて、彼女くらいかなって思っただけー」
気のせいか、少しトゲのある火憐の声。
しかし、純は何も返さず、一人押し黙った。
「……」
また何かを考え込んでいるようだ。
そんな真剣な純の横顔を見て、火憐は何かを思いついたような表情を浮かべると、再び彼の耳元で、
「そういう子、どうしたらいいか教えてあげようか?」
と言った。
瞬間、純が弾かれたように反応し、火憐に詰め寄る。
「え!マジで? なんか良い方法があるのかよ?!」
あまりの勢いだったので、火憐は少し驚いた。
「き、効くかどうかは、知らないよっ?」
慌ててそう弁明する。
しかし、純は相変わらず真剣な表情を崩さない。
「心当たりあるならなんでも良いんだ、教えてくれ!」
「え、えっと、じゃあ、ひとつだけ、あたしの『お願い』きいてくれる?」
少し上目遣いになって、火憐が尋ねる。
「……」
この手の『お願い』に、純は良い思い出がない。
いつもそう言う事を言ってくるのが、決まって誠也や夏子だからだ。
「なんだよ?」
と、眉間にシワを寄せて聞き返した純の鼻先に、ズイッとマイクが差し出された。
「一緒に歌って?」
にっこりと笑って、火憐が言う。
「……」
(まぁ、
心の中でそう呟いて、純は火憐からマイクを受け取った。
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