第2話(2)
「──さぁ、そろそろ行こっか」
真っ暗になった外の景色を見ながら、純は大きく伸びをした。
「いつも、こんな時間まで図書室に?」
彼の質問に、コクリと頷く鳳佳。
「何して過ごしてたの?」
再び、メモと鉛筆。
今日だけで大量のメモが、テーブルのそこら中に散らばっている。
“本を読んだり 小説を書いたり ときには寝ちゃってたり”
後半を書きながら、鳳佳は恥ずかしそうに微笑んだ。
「それじゃあ、図書室以外は行ったことがないのか」
純の呟きに、鳳佳がこくりと頷く。
実際、夜の校内を一人で出歩くのは、あまり気持ちのいいものではないだろう。
「──じゃあさ、今度、学園内のいろんな所に行ってみない?」
彼の発言に、目をぱちぱちさせる鳳佳。
「この学園広いし、せっかく自由に動けるなら、体育館とか理科室とか音楽室とか、いろいろ見てみるといいよ」
座り続けで固まった背筋を伸ばしながら純が言うと、鳳佳は微笑んでメモに書いた。
“行きたい”
「よし、決まり」
純は胸を張って、ニッと笑った。
二人は図書室の電気を消して、階段を下り始めた。
「こんな遅くなって大丈夫? なんなら、家まで送るけど」
言われて鳳佳は、ポケットからスマートフォンを出す。
両手で素早く操作しながら、こちらに見せてきたのはメモ機能の画面。
“お迎えが来るから大丈夫 ありがとう”
即座に携帯を筆談に流用できるあたり、流石に慣れているようだ。
「そっか」
純は微笑んで、そう返す。
やがて、一階に辿り着いた。
もちろん、廊下の電気は消えている。
出入り口の鍵も閉まっているだろう。
「さて、と。 とりあえず、学園長室に行けばいいか」
純がそう言うと──
「う~ら~め~し~や~」
突然、震えた女性の声がした。
純は全く微動だにしなかったが、いきなりのことに飛び上がった鳳佳が、咄嗟に彼の腕にしがみついた。
「同じネタを繰り返すな」
純が声の主──菊池 琴乃に、冷ややかな目線を浴びせる。
「鳳佳ちゃんをびっくりさせようと思ったのよ。 あらあら、効果テキメンのようね」
悪戯っ子のような笑顔で、琴乃が隠れていた暗がりから出てくる。
「ごめんねぇ、鳳佳ちゃん」
純の背後で涙目になって縮こまっている鳳佳を、琴乃は嬉しそうに眺めた後、
「姫宮さん、学園長がお呼びです。 鳳佳ちゃんはわたしが、責任をもって車まで送り届けるわ」
「……大丈夫なんだろうな?」
ジトッとした目で純が見ても、琴乃は気にしていないようだ。
「まかせといて~」
鳳佳の腰に手を回して、ピースサインをする。
その隣で、ぺこりと鳳佳が純に頭を下げた。
「それじゃ、またね。鳳佳」
別れを言いながら微笑んで、手を振る。
歩き出した二人を見送って、残された純は学園長室へ向かった。
コンコン……
学園長室の扉をノックする。
「どうぞ」
中からの返事を聞いて、純はドアノブを回した。
「こんばんは、姫宮さん」
温和な笑顔を浮かべる桜井学園長。
「どーも」
男子らしい口調と態度に戻り、溜息をつきつつ、首の関節をグキグキと鳴らす純。
「どうぞ、お座りになって」
学園長は彼に夏子の隣の席をすすめた。
「おつかれさま」
いつもの微笑みで、夏子が労いの言葉を掛ける。
「今日はどうでしたか? 鳳佳ちゃんは……」
少しワクワクしたような口調で、桜井学園長が聞く。
「まだ全然慣れてないから、正直、いちいち冷や汗が出る」
言いながら、純は椅子に深く腰掛けた。
「おしゃべりはできましたか?」
続け様に学園長が尋ねる。
純は首を振って答えた。
「声はまだ出せないみたいだ。 相変わらず筆談で会話した」
彼の言葉に、少し残念そうな顔を見せながらも、桜井学園長は優しく微笑む。
「今はそれで十分です。 必要最低限のことしか話さなかった、かつての彼女からすれば、信じられないくらいの変化ですもの」
「そんなに酷かったのか」
神妙な顔で純が聞くと、学園長は目線をテーブル上にある、麦茶入りのグラスに落とした。
「私が初めて会ったとき、それはもう悲惨な状態でした。 お婆様と手をつないで、虚ろな目をして、決して目線を合わせず、何を聞いても、ただただ頷くだけ──まるでお人形のようでしたわ」
「……」
なんとなく、純にもその姿は想像できた。
彼女と接する時間の端々に、そういった部分の欠片のようなものを垣間見ていたからだ。
「……じゃあ、今はそれなりに人間味を取り戻したんだな」
純の答えに、学園長は大きく頷く。
「それも本当にここ最近のことです。 具体的には、あなたに『例のノート』が渡った、あの日からね。 自分の『秘密』が、どこかに行って、オロオロして……知らない人に、突然“面白い”と言われて……。 あの子は再び、誰かと関わろうと勇気を出した」
「……」
「本当にあなたが引き受けてくれてよかった。 ありがとう」
丁寧に頭を下げる桜井学園長。
「いや、まぁ……別に、オレはただ……小説の続きが読みたかっただけだし」
ぽりぽりと頬を掻く純の姿に、桜井学園長と夏子は、顔を見合せて笑った。
「姫ちゃんにずっと聞きたかったんだけど」
「……何を?」
学園からの帰り道。
服を着替え、ワイシャツ姿に戻った純に、夏子が切り出す。
「今回の件を急に引き受けた、『本当の理由』はなんなの?」
横を歩きながら、純の顔を覗き込む夏子。
「別に本当も何も、さっき学園長に言った通りだよ。 小説の続きが読みたかったからだ」
言いながら目線をそらし、純は肩の鞄を掛けなおす。
「それと?」
夏子が追撃する。
「いや、それとって言われても……」
「……」
「……」
無言で競り合う二人。
折れたのは、純の方だった。
「──まぁ、それと、さ」
諦めたように瞼を伏せ、口を開く。
「最初、オレは怯えるアイツの姿を見て、“これは無理だ”って思ったんだ。 “あんな風に怖がるようじゃ、手の施しようがない”って」
「うん」
「だけど、次に会ったとき……アイツはオレを引きとめた。 震える手で、懸命に」
「……」
「オレは“無理だ”って思ったけど、アイツは違った」
「……」
「“やってみよう”と手を伸ばした──学園長の言う通り、『人と関わる勇気』を振り絞ってみせたんだ」
「……」
「そんな姿を見せられたら……もう、ほっておけねぇだろ」
眉間に皺を寄せて、純が夜空を仰ぐ。
「……そっか」
それを聞いて、夏子は微笑む。
しばらく、二人は無言で外灯の照らす道を歩いた。
「それで、今日はどんなお話をしたの?」
再び夏子が尋ねた。
「別に普通の話だよ。 本の話とか、学園生活の話とか──……ああ、そう言えば、お前の話題も出たな」
「あら、私が? それは光栄ね」
「近いうちに会わせるって、約束したから」
「ホントに? 嬉しいわ、楽しみにしておくね。 口調のほうはどうだった?」
「かなりしんどい」
「フフフ、あれだけ練習したのにね」
「誠也に隠れてな」
「いつかあの子の前で間違って『女の子口調』が出たら、さぞかし驚くでしょうね」
「う……。 気をつけるよ」
「フフフ」
夏の夜の独特の香りが漂う中、青白い月明かりがアスファルトに二人の陰影を描き、その影はやがて、並んだまま、ゆっくりと道の向こうへと消えていった。
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