第2話(1)『計画の始まり』

 昼間、さんさんと照っていた陽光はを潜め、空が紅から濃紺へと、変わっていく夕刻……

私立龍嶺学園のグラウンドは、様々な部活の掛け声で満ちていた。

いつも、この時間帯になれば校舎の中は、ほぼ無人となっているはずだが、今日に限っては、とある教室に、二つの人影が佇んでいた。

「それで?」

人影の一人が言葉を発する。

「……別に、それでもクソもねーよ」

アルミの窓枠に、両肘をついてもたれ掛かる、もう一人の人影がそう返した。

部屋の明かりは消えており、光源はグラウンドを照らす外のスポットライトのみ。

その光に照らされる窓際の人影。

夜の景色が映る大きな瞳。

キュッと結ばれた唇。

しなやかな長い髪は、頭の後ろで一本に纏められ、無造作に背中へと流してある。

姫宮 純は、小さく溜息をついた。

時折、もぞもぞとセーラー服の中で彼の体が動くのは、着慣れていない証拠だ。

「柄にもなく、緊張してるんでしょ?」

その様子を見て、暗がりから窓際へと近づくもう一つの影。

微笑みを携え、後腰で軽く手を組み、彼女が一歩あるく度に、長い髪が背中でさらさらと揺れる。

「『純』って名前でよかったね。 女の子でも、通用する名前だし」

言いながら、純の隣で同じようにグラウンドを眺める水瀬 夏子。

「なぁ、夏子」

未だ遠く、バックネットでノックを続けている野球部から純は目を離さない。

「うん? なぁに?」

夏子は彼に顔を向けた。

「お前はさ、最初からオレが引き受けると思ってたのか?」

一瞬、黙って、

「……半分ね」

──夏子はそう呟いた。

ここでやっと、純は目線だけで夏子を見る。

「なんだよ? その“半分”って……」

怪訝そうな彼の目に、フフッと笑い夏子は答える。

「最初に学園長から、この計画を頼まれた時、“姫ちゃん、めんどくさがりな所あるから、もしかしたら引き受けないかもな”って、ちょっとだけ思ったよ」

ここで少し言葉を切り、また、にこりと笑うと──

「でも、姫ちゃんは優しいから。 鳳佳ちゃんの話を聞いたら、結局はやるだろうなって」

純の顔を覗き込むようにして、夏子はそう言った。

「なんだそれ……」

眉間にシワを寄せて、純はまた目線を夏子からグラウンドへ戻した。

そんな彼に、夏子は追い打ちのように語りかける。

「昔から、弱い者は見過ごせない──みんなの『ヒーロー』であり、『ヒロイン』だったものね」

『ヒロイン』の部分は、夏子にとって、純を茶化したつもりだった。

しかし、彼はそんなことに気づかなかったのか、反応する気分でなかったのか──

「……そんな大層なもんじゃねーよ」

そうとしか、答えなかった。

「……」

しばらく、沈黙する二人。


──カキン!


金属バットがボールを弾き飛ばす音が、静寂に一際響いた。

遠くで談笑しながらランニングするサッカー部の声。

陸上部のハードルを片づける音も聴こえる。

「……」

「なぁ、夏子──」

唐突に、純が再び会話を切り出す。

「……」

呼びかけたは良いが、次の言葉はすぐには出てこなかった。

夏子は黙って待つ。

やがて、溜息のように彼は声を溢した。

「──できるかな? “オレ”に」

予期していなかった彼の言葉に、夏子の瞳が一瞬驚きで見開いた。

しかし、すぐにいつもの笑顔に戻ると、答えた。

「ホントに……柄じゃないわね」














 しばらくして、二人は教室を後にし、職員棟へと向かった。

渡り廊下を渡って、階段に差し掛かり、純が口を開く。

「オレなんて待ってないで、オマエは先に帰れよな」

それを聞き、夏子は自分の唇に人差し指を当てながら言う。

「く・ちょ・う。 気をつけてね?──“オレ”じゃなくて、“アタシ”でしょ?」

そう指摘されて、頬をカリカリと指で掻きながら、純は顔をしかめた。

フフッと笑みを浮かべて、夏子が答える。

「私は大丈夫。 学園長室で待ってるから、終わったら一緒に帰りましょう」

「……おう」

「“おう”、じゃなくて──」

「あー、はいはい、“うん”だな。 わかってるよ」

純がヒラヒラと手を振り、階段を登っていく。

夏子は、その後ろ姿が見えなくなるまで見送ると、階下へ姿を消した。













 夏子と別れ、一人になった純は、心の中で自分に言い聞かせていた。

(“できるかどうか”じゃない。 あの時、ああやって名乗った以上、責任持たないとな……)

やがて、図書室に辿り着く。

部屋の明かりは点いていない。

まだ来ていないようだ。

「……」


ガチャリ……


一人、無言でドアノブを回し、中に入る。

シーンと静まり返った、暗い室内。

置いてある本が発する独特の匂い。

窓の外で、もう完全な夜になりつつある、紫紺の空に目を向ける。

昨日、鳳佳はあそこに立っていたが、今日は居ない。


──パチッ


壁にあるスイッチを押すと、“カランカラン”とグロウランプが点滅して、蛍光灯が点いた。

ゆっくりと室内を進み、ドサッと鞄を床に置くと、純はテーブルの上に腰を下ろした。


“──こら!”


途端、彼の頭の中に、夏子が現れる。

“今のあなたは女の子でしょう? 机に座ったりしないのっ!”

「へいへい」

独り言を呟いて、テーブルからピョンと飛び降り、椅子にきちんと座る。

「……」

数秒、何もしないで座っていたが、しばらくすると、おもむろに鞄の中から、鳳佳から渡された『小説ノート』を取り出す。

開いた中は、びっしりと綺麗な英字が羅列しており、純の瞳が、スルスルとそれを追い始める。

「…………」

だんだんと、彼が文章に集中していくのが見て取れる。

目の焦点が、文字以外を捉えなくなって、周りへの意識が薄れていく。

本を読むときの癖なのだろう、人差し指で軽く唇に触れる独特のポーズのまま、純は身動きしなくなった。

室内は再び無人だった頃の静けさを取り戻し、聴こえるのはカチッカチッと時を刻む秒針の音と、時々、純がページをめくる音だけ。

その状態が十分程続き、やがて、図書室の外からパタパタと足音が響き始めた。

もちろん、集中し切っている純には、それが聞こえていない。

足音の主人あるじが図書室に辿り着き、ドアを開けて中に入った。

すぐにその目が、椅子に座ってノートを読んでいる、純を捉える。

「!」

一瞬、彼がいることに気づき、驚いたまま立ち止まる。

そして、おずおずと、ゆっくり彼の背後へ近づいて行く。

「…」

しかし、純は相変わらず気付かない。

「…」

そのまま数分が経過──

「…」

まだ気付かない……数分経過──

「…」

気付かない。さらに数分……──

「…」

どうしようかと、流石にオロオロし始める。

ここに来てから、こんな調子で、もう十分は過ぎてしまった。

とりあえず、ただ立っていてのは疲れるので、持っている手提げを置いて、彼の隣に座ろうと椅子を引いた瞬間──


ギギギギ!


「うわぁぁぁっ!!」

椅子の足が床を引っ掻く音で、純の体が飛び上がった。

彼の反応リアクションに、椅子を引いた本人も驚く。

ここで、やっと誰かが来たことに気づいた純は、振り返って音の正体──

王城 鳳佳を視認し、ホッと胸をなでおろす。

「な、なんだ、鳳佳か……。 脅かすなって──」

──と、自然に出てしまった、男口調に慌てて口を閉じる。

「だ、だいじょうぶ?」

なんとか微笑みを作り、驚きで涙目になって床に座り込んでいる鳳佳に、手を差し伸べる。

しかし、鳳佳はそのまま動かない。

「…」

俯いているので、前髪で目線が見えず、表情はわからない。

(……マズい)

純の中で緊張が走った。

もしかして、今の一言で、自分が男だとバレたのだろうか……?


“男の人に見られていると意識するだけで、酷く怯えてしまう”


昨夜の桜井学園長の言葉が、脳裏に蘇える。

(ダメ……か?)

純が手を引っ込めようとしたとき──


「……!」


まるで羽毛が触れるかのような力で、鳳佳の手が純の指を掴んだ。

一瞬、間があいて、純は彼女に気づかれないように、安堵のため息をつく。

「ごめんね、おどかしちゃって」

手を引いて、彼女を立たせつつ、純は謝った。

鳳佳は、ふるふると首を横に振り、テーブルの缶に入っていた鉛筆と、置いてあった白紙のメモに、何か書き始めた。

見てみると、

“こっちこそ ごめんなさい 邪魔しちゃったかな?”

と書いてある。

「大丈夫だよ。 もう何度も読んだから」

にっと笑って、純はノートを差し出す。

彼の発言に、鳳佳は瞳を丸くした後、またメモに書き付ける。

“何度も読んだの?”

「お──」

“おう”と、返事をしそうになって、夏子の笑顔が浮かんだ純は、口を閉じて言い直した。

「──うん、読み直さないと気が済まなくてね。 やっぱり、鳳佳は才能あるよ」

そう言われた瞬間、ぽっと顔を赤くして、目を逸らしながら、鳳佳はまた書き始める。

“そんなことないよ”

「そんなことあるって。 アタシ、続きが気になって、数ヶ月アンタの事を探し回ったんだからね?」

椅子に腰かけ、笑いながら純は言った。

鳳佳も隣に座ると、返してもらったノートを大切そうに鞄にしまう。

「また続き書けたら、すぐ見せてよ。 アタシ、楽しみに待ってるから」

以外にも、自然と会話ができる辺り、夏子と特訓した成果はちゃんと出ているなぁと、純は自分自身に感心していた。

その間にも、鳳佳はまた紙の上で、鉛筆を走らせる。

“姫宮さんは──”と書いているのが見えて、純は口を挟んだ。

「アタシのこと、『純』て呼んでよ。 名字で呼ばれるの、あんまり好きじゃないんだ」

そう言われて、鳳佳はしばらく考え込む。

“普段はお友達に なんて呼ばれてるの?”

鳳佳からの質問に、

「えっ……そ、それは──」

えーっと……と、今度は純が目線を逸らした。

自分への呼び方こそ、いろいろあるが、親しい者に呼ばれているあだ名と言えば──

「“姫”って、呼ばれてる……かな」

そう答えるのには、かなりの抵抗はあった。

しかし事実、夏子や誠也はそう呼んでくるし、それに倣って他のクラスメイトも、そう呼ぶ者は多い──嫌がる本人の意思に反して。

「…」

しかし、そんな彼の気持ちなどいざ知らず、答えを聞いた鳳佳は眼を丸くして、

“すごく似合ってるね”

と書いた。

途端、純はブンブンと音がしそうなくらい、首と手を振る。

「いやいやいや!似合ってなんかない!──ん? いや、今は似合っていても、別におかしくないのか?」

一人で、あたふたと混乱する純に、頭の上でハテナマークを浮かべる鳳佳。

「な、なんでもないよ! それよりさ、“姫”じゃなくて、どうせなら違う呼び方にしようよ!」

話を逸らそうと、必死に話題を振る。

鳳佳は、うーんと考え始めた。

「……」

1分が経過。

「……」

3分経過。

「──あ、あのさ……。 そんなに難しく考えなくても、鳳佳が一番呼びやすいヤツで良いよ」

5分経過したところで、純が助け舟を出す。

それを聞いて、鳳佳が迷いながら書いたのは──

“じゃあ 『純ちゃん』で”

(ストレートに“ちゃん”付けかよ!?)

心の中で頭を抱えつつ、鳳佳の方を見る。

“ダメ?”と小首を傾げて、困った顔をしている鳳佳を見ると、“嫌だ”とは言いにくい。

「いいよ」

気づけば、口が勝手に了承していた。

それを聞いた鳳佳は、嬉しそうに微笑んで再び何か書き始める。

“純ちゃんは どうやってあたしの事を知ったの?”

なるほど。

確かに、当然の疑問か。

「さっきも言った通り、アンタの『小説ノート』を拾ったのが発端だよ。 あまりにも面白い内容だったから、友達と一緒に、作者を探してたんだ」

それは、なんだかもう随分と前のことのように感じた。

まさか今になって、このような状況になろうとは、あの時、誰が予測できただろう。

「そのとき、ひょんな事で桜井学園長から鳳佳の事を聞いて──」

記憶が、あの時にフィードバックする。

鳳佳と初めて、この図書室で出会ったとき──

「──あ、その……あの時はゴメンね。 アタシ、突然、掴みかかったりして……」

たどたどしく、純が謝ると、鳳佳は書きはじめた。

“こっちこそ ごめんなさい 喋れなかったり 突然飛び出していっちゃったり”

その文を見て、純は少し真剣な眼をする。

「……学園長に聞いたよ。 鳳佳は小さい頃から、いろいろと大変だったって」

言われて、鳳佳はゆっくりと頷いた。

「男──というか、人と関わるのが怖い?」

純のこの言葉に、鳳佳がまた頷く。

「じゃあ、どうして、オ──アタシと、次に会ったとき、『小説』の続きを見せてくれたの?」

「…」

しばらく、鉛筆を握ったまま、鳳佳は動かなかった。

そして、ゆっくりと、

“わからない”

とだけ、書いた。

(ただの気まぐれ……か?)

純は頭の中で呟く。

その間に、鳳佳が続きを書いた。

“ただ──”

「ただ?」

“おもしろいと言ってくれたから”

「……」

思わず、キョトンとする純。

「……それだけ?」

そう尋ねると、頷きながら鳳佳が綴る。

“そんなこと 初めて言われたから”

「……」

“初めて誰かに 認めてもらえたから”

この言葉に、純は眉根を寄せる。

「でも、鳳佳は海外で『博士号』持ってるくらい、頭が良いんでしょ? “認めてもらう”なんて、簡単なことなんじゃ……?」

彼の疑問に、少し寂しそうに鳳佳は微笑んだ。

“あたしの功績や 研究を認めてくれた人はいる”

「……」

“でも あたし自身のことを 認めてくれた人はいない”

「……」

“あたしは喋れないから 書くことでしか 自分を表現できないから”

「……」

“その表現を認められた時 すごく嬉しかった”

「……そっか」

純はそう呟いた。

二人はしばらく黙り込み、また純が口を開く。

「そういえば、どうして英語で書いてるの?」

すると、すぐ、鳳佳は鉛筆を取り返事を書いた。

“誰にも見せるつもりはなかったの ただの現実逃避だったし 日本に居るうちは英語で書いておけば そうそう読める人もいないだろうって”

(なるほどね。 運悪く、拾ったオレには読めちまったワケだ)

心の中で呟く純。

「物語はいつから?」

“書きはじめたのは3年前くらい”

「どんなのものを書いてるの?」

“いろいろ 思いついた物語を 自由に”

「へぇ~、ぜひ読んでみたいな」

純が無意識に零した、この言葉を聞いて、また鳳佳は顔を赤くした。

“それはダメ”

そう綴る。

「え!! なんで!?」

思わず純は声をあげた。

“恥ずかしいから”

「いやいや、絶対大丈夫だって!鳳佳が書いたんなら!」

“でも”

「ほら、ファンになった作家の作品って、他のも全部読みたくなるじゃん?」

“書き始めのころは 文章がまだ稚拙で ミスとかも多いし”

「そんなの誰だってそうだってば!気にしないよ! 頼む!気になるもん!」

両手を合わせて、純は頭を下げた。

しばらく悩んだ末、鳳佳が答えを書く。

“じゃあ 気が向いたら”

「やった!絶対な!」

にっと笑って、純は言い、口調が男子っぽくなり始めているのに気付くと、慌てて気を引き締めた。

しかし、当の鳳佳は一向に気づいていないようだ。

“今度はあたしが 純ちゃんにいろいろ聞いてもいい?”

上目でこちらを伺いつつ、小首を傾げる鳳佳。

どこまで答えられるか不安もあるが、拒むわけにもいかない。

「いいよ」

純は答えた。

“どうして この学園に入学したの?”

「ああ、まぁ、それは──」

少しだけ言い淀む純。

人差し指で、頬を掻きながら答える。

「二人の幼馴染がいたから──かな」

変にごまかせば、ボロが出そうだ。

ここは、本心を語るしかない。

そして、その本心は──とてもではないが、当の二人には言えないものだ。

“どんな人たち?”

「どんな人──って……うーん、変な奴らだよ。 でも、なんだかんだ、ずっと一緒にいたからね」

純の声が、少しずつ小さくなっていく。

「もう、ほとんど身内みたいな関係だよ。 だから、いざ中学卒業を控えたときに、アイツらと違う高校に行くのは、なんか嫌だなと思って」

当時を思い出し、少しだけ目線を落とす。

「周りの教師とかは、“もっと上の学校に行け”って言ってきたんだけど、アタシは嫌だった。 別に一人になるのが嫌だったとかじゃなく、なんとなく、アイツらと離れるのは、なんだか、『いけない事』のような気がしたんだ」

うまくは言えないが、当時、実際にそう感じていた。

「一人は、女の子でさ。 なんでもこなせて、妙に鋭くて、隠し事できない奴で。 鳳佳を探すのも、率先して手伝ってくれたんだよ」

鳳佳は黙って聞き、こくこくと頷いている。

「もう一人は男。 コイツがまたバカでさ。 一緒にいると、いろいろな面倒ごとを引っ張ってくるんだけど、なんか、ほっておけなくてね。 小さい頃から、いろんなことを一緒にやったよ」

ぶっきら棒だが、いつもは見せない微笑みを浮かべて語る彼に、鳳佳は綴る。

“いい人たちなんだね”

純はフッと笑った。

「たぶんね」

そして、声をいつもの調子に戻す。

「いつか会わせるよ。 男の方は今は無理でも。 女の方──夏子なら大丈夫。 鳳佳も、すぐに仲良くなれるよ」

彼の言葉に、鳳佳はコクンと頷いた。

“うん、ありがとう”

「……」

再び、二人は沈黙する。

不思議と、嫌な雰囲気ではなかった。

鳳佳は、次の質問を考えているようだ。

その間、純は幼馴染の二人を思い出していた。

(鳳佳の前だからか、慣れない服装だからか、らしくねぇ事を喋ってるな、オレ……)

湧き上がってきた恥ずかしさを、頭を振って払いのける。

やがて、鳳佳が質問を書き始めた。

“純ちゃんは 本が好きなんだね”

「まぁね。 小さいころから、何かを読むのが好きだったかな」

“初めて読んだ本は?”

この質問に、純は苦笑する。

「覚えてない。 なんせ、物心がついた時には、絵本も自分一人で読むようなヤツだったから」

それを聞いて、鳳佳が瞳を丸くする。

“すごい”

「別に、すごくないよ。 覚えがあるので言えば、小学生になる時に読んだ、推理小説かなぁ。 三つ子の姉妹が出てくる話なんだけど……」

言いながら、頬を指で掻く。

「多分、鳳佳は知らないと思う。 小学校低学年向けの本だったし」

そう純が言うと、鳳佳はサラサラと鉛筆を走らせた。

“そんなことないよ”

「え?」

“あたし その本 持ってる”

「ホントに!?」

“あのシリーズ大好き ぜんぶ読んだよ”

「そうなの? そっかぁ。 話が通じてよかった〜……」

このセリフに、鳳佳がハテナマークを浮かべて、首を傾げる。

「いや、鳳佳って、もっと難しい本しか読まないんじゃないかと思ってたから、正直、話が合うかなって」

純の言葉に、“そんなことないよ”と言うように、鳳佳が両手を振って、否定する仕草を見せる。

「そっかそっか、よかったよ」

純の中で、またひとつ、鳳佳への不安が解消されたような気がした。

当初思った事だが、本の趣味やレベルが、彼女とまるっきり合わない事を彼はとても恐れていた。

しかし、思ったような『ズレ』は無いようだ。

それとも、単に鳳佳がその範囲すら、カバーしているからかもしれない。

(まぁ、なんにしても共通の話題があるなら、会話がしやすくて助かるな……)

ホッとした気持ちで、純は会話を続ける。

それこそが、桜井学園長や琴乃、夏子から託された、彼の『役目』だからだ。

「じゃあ、あれはどう? えっと──」





それからしばらく──

図書室の中では、純の話し声と、鳳佳の筆の音が響いていた。




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