第1話(9)
次の日──
今週の終わりから、学園は夏休みへと入る。
午後なしの短縮授業の後、通過儀礼として、学園内の至る所を掃除をさせられる。
私立だから、清掃業者も入るし、本来あまり意味のない行為だが……。
『生徒が日頃世話になっている学園設備への敬意を忘れないように』──という、御題目の元、この行事が行われる。
一体、何人がそれを感じているのか、わからないけどな。
教室に戻って、自分の席に着き、担任が登場するのを待つ。
「やれやれ、やっとクーラーが使えるようになったと思ったのに、すぐ休みになっちまったら、全然意味無いじゃんな?」
そう言いながらも、笑顔なのは決まって誠也だ。
テストが終わって、部活も再開して、夏休みも近くて、浮かれているんだろう。
「お前はいいなぁ、悩みがなくて……」
机に頬杖をついて、オレが皮肉を込めたセリフを吐いたにもかかわらず、誠也は全然気にしてないようだった。
そのオレの座る机の横には、『あのセーラー服』。
一応、短い時間とはいえ、自分が着たので、洗濯してきた。
もちろん、誠也には絶対見つからないように、ヤツとは反対側に掛けてある。
「……」
今、難なくオレは誠也と喋ってる。
でも、もし、自分が喋れなかったら──それは、辛いだろうな。
オレには、“辛い”としか言えない。
どんな気持ちかなんて、実際になったことないから想像を語るしかない。
“姫宮さん。 是非あなたに、鳳佳ちゃんの『声』を取り戻す手助けをしてもらいたいの”
学園長の言葉を思い出す。
……。
「……無理だよ。オレには」
無意識にこぼれた言葉を、誠也に聞かれた。
「え? なにが無理なんだ?」
「……なんでもねぇ」
オレがそう答えた瞬間、タイミングよく担任が教室に入ってきた。
放課後──
オレは、そそくさと教室を出た。
手にはあの紙袋。
そして、向かう先は学園長室。
「いくらなんでも無理だ。女のフリなんて」
口に出して言う。
オレはハッキリ断るつもりだ。
学園長室の木の扉を前にして、一度息を吸い、ノックしようと手で拳を作り──
「……」
振り上げたところで、オレの手は止まった。
紙袋と一緒に提げている鞄──その中に入った『あのノート』。
『あの物語』が、高速で頭の中に流れ出し、記された最後の一文まで辿り着く。
その先はない。
いつまでも、そこで物語は停まっている。
次に思い出したのは、昨日のアイツの顔──
怯えた、その顔を思い出していたら、いつの間にか、オレはノックしようと出した手を降ろしていた。
ガチャッ……
オレはドアノブを回して開けた。
そして、中へ入る。
──アイツがいた。
王城 鳳佳。
アイツは図書室の窓から、暗くなった外の風景を眺めていた。
寂しそうな瞳で。
「……よう」
オレが声を掛けたところで、やっとオレの存在に気づいた。
そして、昨日と同じく驚きの表情を見せる。
オレはまた、服装を変えて、『あのノート』を片手に、夜の図書室に来ていた。
(『ノート』を返すだけ──ただ、それだけだ)
「昨日は──その、ごめん」
バレるんじゃないか?──不安になって目を逸らし、床を見つめながら、オレは言う。
「この『ノート』、アンタのなんだろ? その、返そうと思ってさ……別にただ、それだけなんだけど」
(さぁ早くしろ。 早く返すんだ、オレ)
「悪いとは思ったけど……中、読んじゃって……でもさ、すげぇ──じゃなくて、すごく面白かった。 ずっと続きが気になって……書いたヤツが気になって……実は探してたんだ、アンタを」
(話なんかしてないで、さっさと渡せよ!)
「言葉選びがすごく繊細でさ、すぐに引き込まれたよ。 文才、あると思う。誰にも見せてないのが……もったいない」
(何してるんだオレ!早く──)
「……──あ、」
ふと気がつくと──、目の前にいつの間にか、アイツは立っていた。
今にも消え入りそうな姿で、ゆっくりとオレからノートを受け取る。
あっけない。
本当に何事もなく、『ノート』は持ち主の元へ帰っていった。
(よし、終わりだ……渡せたんだ…、これで……)
「んじゃ……な」
オレは未練を振り切るように、意を決して髪とスカートを翻し、アイツに背を向けた。
ぐんッ
不意にオレの足が止まった。
「……?」
驚いて、ゆっくり後ろを振り向く。
「…」
オレのセーラー服の裾を、アイツが引きとめていた。
細かく震えた指で、精いっぱいの力を込めて──
「?」
オレが疑問符を浮かべると、もう一方の手で、見慣れたノートを突きだしてきた。
それはオレの名前、クラスと学籍番号。
そして、マスコットの落書き。
オレのノートだ。
「ああ、そうか。 アンタがこれ持ってたんだな、ありがと」
受け取った。
──ん?あれ?
「……二冊ある?」
オレのノートの下に、同じノートがもう一冊。
「え……」
──もしかして……これ、……これって!
「……!」
思わず、その場で開いてみた。
「!!」
間違いない。
間違うはずがない。
間違えようがない!
何度も読んだ、何度も想像した。
『あの小説』の──
『物語』の続きだ!
途端、オレの胸の中で、何かが弾けたように、どっと暖かいものが拡がった。
それは紛れもなく、『興奮』という感情だった。
続きが読める!──ただ、それだけで拡がっていく、オレにとっては珍しい感情。
「あの──」
顔を上げると、アイツは目の前から居なくなっていた。
どこに行ったかと見れば、すぐに見つかった。
テーブルのに向かって、何かゴソゴソとしている。
そして、小走りでオレの元に戻ってくると、何かを差し出してきた。
それは、ノートを破いて作られた、小さな紙切れ。
──そこに書いてあった言葉を……
オレは一生、忘れないだろう。
“よかったら”
たった、それだけ。
丸っこい、鉛筆の字で、そう書いてあった。
「ああ、ずっと気になってたんだ……!」
(──あれ?)
自分の声を聞いて、驚いた。
……オレ、もしかして、今──笑ってる?
口元に触れて、オレが確かめていると、アイツはまた紙に何かを書いていた。
そして、新たに渡された紙には──
“王城 鳳佳→おうじょう ほのか”
──と書かれていた。
自己紹介のつもりか。
オレは、しばらくその字を見つめ、その後、アイツの顔を見た。
揺れる瞳は、一瞬合って、すぐに逸らされた。
白い頬に、今は少し赤みが差している。
胸の前で組んだ手は、きゅっと握られており、微かに震えていた。
「オ──」
──“オレ”と言いかけて、やめる。
そして、今までウジウジと悩んでいたことは全て、とりあえず一端どこかにブッ飛ばすことにした。
「“アタシ”、姫宮 純。 よろしくね!」
笑いながら鳳佳に言うオレの声は、自分でも驚くほど、別人のように聴こえた。
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