第1話(8)

「『失声症』……」

オレは無意識に呟いていた。

「そのとおり──」

桜井学園長が頷く。

「──彼女は声を失った。 親しい者──例えば、家族であっても──声を出しての会話ができない。 私や養護教諭の琴乃先生と話すときも、彼女は『筆談』で済ませてるの」

「……」

そりゃ、だいぶ重度だな。

それを聞いて、オレはもう一つ思い出した。

「じゃあ、あの時、図書室でアイツがテーブルの上から取ろうとしたのは──」

テーブルの上の缶に入っていた──

「『貸し出し用紙を書く鉛筆』。 おそらく彼女は、あなたとも筆談しようとしたんでしょう」

琴乃が言う。

桜井園学園長は、再び話し始めた。

「彼女がこの学園に通い出したのは、彼女のお婆様の提案なの。 お婆様は私の古くからの親友でね、孫が『失声症』に苦しんでいるのを、本当に心配しておられた」

視線を落とし、表情を曇らせる学園長。

「特に男の人の前では、顕著に症状が出て、男性に見られていると意識するだけで、酷く怯えてしまうの」

なるほど。

厳しい爺さんが原因の『男性恐怖症』か。

オレにをさせたのは、その為だな。

学園長は続ける。

「同じ年代の子供達と学生生活を過ごしていけば、男性に怯える事もなくなって、いつか『声』も取り戻せるんじゃないか──お婆様の考えに賛同して、私は『特別待遇生』として、彼女をこの学園に入学させました。でもね──」

──現実はそこまで甘くなかった。

話の雰囲気から、オレには察しがついていた。

「昼間の学校は人が多すぎて、彼女にとっては恐怖の坩堝るつぼ。 せめて、学校の雰囲気に、少しでも慣れさせようと、みんなの帰った後で、校舎を自由に使用する許可を与えました」

ここで再び、学園長は目線をオレからそむけ、暗くなった窓の外を見つめた。

「──でも、それも失敗だったかしらね。 彼女に、誰も居ない寂しい校舎を、たった一人で彷徨わせて……まるで、幽霊のような気分を味わわせてしまったわ」

「学園長……」

琴乃が桜井学園長の肩に手を乗せる。

しばらく、重苦しい雰囲気が漂う。

次に口を開いたのは、夏子だった。

「そこでね、姫ちゃんに協力してもらいたいの」

オレの顔を覗き込んで、そう言う。

「オレ?」

聞き返すと、夏子は頷いた。

続いて、琴乃が切り出す。

「鳳佳ちゃんは、あなたに怯えなかった。 それどころか、初対面のあなたと会話をしようと試みている。 彼女と同じく、優秀な生徒であるあなたなら、きっと──」

おいおいおい。

待て待て待て……!

この流れ、もしかして!──

「姫宮さん。 是非あなたに、鳳佳ちゃんの『声』を取り戻す手助けをしてもらいたいの」

桜井学園長が、今日出会ってから、一番真剣な目をした。

それは縋るような目だったと言ってもいい。

「ちょ、ちょっと待てって!」

思わず、オレは身を仰け反らせる。

両手を合わせて、琴乃が言う。

「服装と口調を変えて、あの図書室で彼女と話をする『だけ』で良い。 毎日、一時間だけでいいの」

そう一部分を強調する。

「聞けば、姫宮さんも本が大好きだそうね。 鳳佳ちゃんも、小さな頃から本を読んでいたわ。きっと、話も合うはず」

前のめりになる桜井学園長。

まるで“無茶苦茶なことを言っているのは、百も承知!”といった表情をしている。

それでも、縋れるのなら『藁』であろうと、『蜘蛛の糸』であろうと掴む勢いだ。

「姫ちゃん……」

極めつけに、夏子が呟きながらオレの手を握ってきた。

──……。

頭の中で、いろいろなことが反芻する。

『王城家という家系』、『男性恐怖症』、『失声症』。

そして、──怯えるアイツの姿。

…………

……

「──……オレには無理だよ」

オレは誰とも目を合わせず、俯いて小さくそう答えた。

こうとしか言えない自分が、少しだけ嫌になる。

でも、仕方ないだろ?

女のフリなんて。

もしもボロが出たらどうする?

それ以前に、アイツと話が合うのかすら、まだわからないじゃねぇか。

飛び級?

首席?

博士号?

冗談じゃない。

『本好き』だって、きっとオレとはレベルが違う。

「……!」

そのとき、オレは肝心なことを思い出した。

このところ、毎日、寝ても覚めても、気にしていたこと。

「桜井学園長……」

「なにかしら?」

学園長は、小首を傾げて聞き返した。

オレは続けて尋ねる。

「『あのノート』──あの小説はアイツが書いたものだって事に、アンタは気づいてたんだな?」

この問いに、桜井学園長は頷いた。

「夏子ちゃんから、その話を聞いたとき、“もしかして”と思ったわ。 でも、彼女に物語を創る趣味があったのは、実際にノートを見るまで知らなかったの」

そして、偶然にもそのノートを拾ったヤツは、つい最近、街で女と間違われ声を掛けられた男と同一人物だと知って、アイツと引き会わせる計画を思いついたって訳か。

「本当にごめんなさい。 何も告げずに、試すような真似をして」

深々と頭を下げる桜井学園長。


そんな姿を見ると、責める気も無くなるな。















──────

────

──……


 学園長と別れ、オレと夏子は前と同じように職員用出口から、琴乃に送られていた。

「どうだった? 初めての『女の子体験』は?」

琴乃がにんまりとした顔でオレに聞いてきた。

言い方が無意味にエロいぞ。

ただ、服を着ただけじゃねぇか。

「まぁ、冗談はさておき──」

琴乃の顔が、少し寂しそうな表情になる。

──いや、申し訳なさそうというか。

懇願するようにも見える。

「──鳳佳ちゃんの事、もう一度よく考えてみてあげて。 純くんなら、きっと上手く成し遂げられると思うから」

「……」

いつになく、真剣な顔で言う琴乃。

オレは何も返すことができなかった。

琴乃はフッといつもの笑顔に戻ると、片手を上げて小さく振った。

「それじゃあね。 純くん、水瀬さん、さようなら」

夏子が琴乃にお辞儀をする。

オレは後ろ手に、弱々しく琴乃に手を振った。










「姫ちゃん──」

夏子がポツリと、月明かりの照らす校門で呟いた。

「私も、信じてるよ。 姫ちゃんならきっと……」

“きっと……”なんなのか。

その先を夏子は言わなかった。

途中で言葉を呑み込むなんて、コイツにしちゃ珍しい。

「……」

オレはふと、後ろを振り返って、学園の校舎を見上げた。

図書室の明かりが点いている。

あの日──、図書室から駆け出したオレは、アイツと階段下でぶつかった。

でも、在学中の生徒であるオレに特別扱いされているアイツの存在を悟らせるわけにはいかない。

だから、あの時、琴乃はオレに嘘をついたんだ。

そして、裏門まで見送った。

妙な勘ぐりを起こして、オレが校内を調べたりしないように。

──“誰も居ない寂しい校舎を、たった一人で彷徨わせて……まるで、幽霊のような気分を味わわせてしまった──”

桜井学園長の言葉が蘇える。


……どんな感じだろう。



一人、誰もいない校舎で過ごすというのは。



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