第2話(3)
学園は明日が終業式で、いよいよ夏休みになる。
このところ鳴き始めた蝉たちの声は、日に日に大きくなって、そのうちに、昼夜関係なく合唱し始めるだろう。
もはや、授業は無いに等しく、教師たちも内容を進めたりはせず、“さっさと夏季休暇課題を済ませるように”と、授業時間中に宿題を自学させる方針に出た。
その方が彼らにとっても、楽なのだろう。
もちろん、言う通りにするのは生徒の半分──いや、3分の1程度で、ほとんどの生徒たちは、来たる長期休暇について、ワイワイと雑談を盛り上げては、幾度も教師に注意されていた。
どこの教室も、そのような流れであり、純のクラスであっても、それは例外ではない。
「なぁ、姫〜」
誠也が、机に広げた数学の問題集を次々に解いていく、純に話しかけた。
「あんだよ?」
気の無い生返事をする純。
その間も、彼の手は止まらない。
「明日、終業式の後って、空いてるか?」
誠也のこのセリフに、純は一度手を止め、チラリと横目で彼を見ると、
「……お前が言う用件次第でな」
と言って、問題集に目を戻す。
誠也は笑顔で答えた。
「合コンがあるんだけ──」
「パス」
居合切りのような速さと、日本刀のような切れ味で、純は誠也の話を打ち切る。
「なぁーんでだよぅ〜!」
のっしと、純の肩に腕を掛ける誠也。
「可愛いコ、たくさん来るんだぜ? 隣のクラスの冬月とか、他校のコとかもさ~」
「あー、もう!のしかかんな! だいたいオレが気にしてんのは、
しかめっ面で、誠也の腕を外しにかかる純。
「気になるのは
言いながら近付いてきたのは、英語の問題集とシャープペンシルを持った夏子だ。
「どれだよ?……ああこれか、簡単じゃねぇか──」
彼女の問題集を自分の机に置いて、純が解き始める。
「後ろの『節』が前の『もの』を説明してるのは、わかんだろ? つーことは、この空欄の中に入るのは『関係詞』で、『先行詞』が無いから、入るのは関係代名詞の『what』だけだ」
言いながら、純が夏子の問題集の枠に『what』と書き込む。
「あー、なるほど」
指で顎をつまんで、夏子が呟いた。
「なぁ、なんでヤローが気になるんだよ?」
誠也がしつこく尋ねると、純ではなく、夏子が答えた。
「この前の合コンで集まった男たちが、姫ちゃんを『女の子』だと勘違いして、口説きにかかったからよね」
それを聞いて若干、引き気味に驚く誠也。
「……マジかよ」
「ああ、マジだよ。 文句あるか?」
キッと誠也を睨みつける純。
「でも、あれは姫ちゃんが悪いのよ? カラオケで女性アーティストの曲を、本気で歌ったりするから──」
「お前が歌えって言ったんじゃねぇか!」
「だって、あなた、ずっと黙ってるばっかりで、なんにも歌わないんだもの。 ──ねぇ、ついでに、こっちも教えて」
夏子が違う問題を指差す。
「そもそもオレは合コンが、嫌いなんだよ! あのときだって、お前が無理やり……──それ、訳が間違ってるぞ。 『Last』の意味、もう一回、調べなおせ」
「でも、結局は女の子に一番連絡先を聞かれてたのは、あなただったじゃない。 ──ねぇ誠也、辞書貸して」
「フン!全員断ってやったわ! ──あ、シャー芯切れた。 おい!誠也、芯よこせ!」
「もー、かわいそうに……、今回はそんなことしちゃダメよ? 女の子は繊細なんだから。 ──へぇ~、『Last』って“続く”なんて意味があるんだ、知らなかった。 ありがと、誠也」
「“今回は”って、オレは行かねぇよ! ──なんだ誠也、お前『2B』なんて濃い芯、使ってんのかよ」
三限目の授業中。
「なぁ、姫。 行こーぜ!」
「あ~もう、しつこい!」
シッシッと手で誠也を払い除ける純。
周りには、積まれた跳び箱を勢いよく飛び越えていく生徒や、敷かれたマットの上で側転や逆立ちをしている生徒もいる。
その間を体育教師が巡回し、一人ひとりのこなす技を見て、リストに点数を付けていた。
「次、姫宮!」
名前を呼ばれて、純は誠也から離れる。
「お、姫宮がやるぞ!」
壁際で、おしゃべりをしていた生徒達が、純の方を見る。
スタート位置について、積み上げられた跳び箱を見つめる純。
それを取り囲むギャラリーが、「いけー!純!」「魅せろ!姫宮!」と、野次を上げる。
やがて、一瞬、シンと辺りが静まり返った。
瞬間──。
疾風の如く、純の身体が動く。
助走をつけて、ダンッと踏み台を一蹴りすると、ふわりと彼の身体が浮き上がり、天蓋に両手を着いた。
倒立したまま身体を横に回して、くるりと向きを変え、バネのように腕で跳び箱を押し、空中で一度、宙返りすると、ブレることなく、ストッと着地を決めた。
「マジかよ、体操選手みてぇ!」
「むしろ、体操部に来い!コノヤロー!」
「なんでテメェ、帰宅部なんだ!!」
湧き上がる歓声に、べーっと舌を出し、純が誠也の所へ戻る。
「お前、時々、重力無視してるよな」
「んなワケあるか」
「それで、合コンだけど──」
「だ・か・ら、行かない!」
「そこをなんとか頼むって! お前が来ると女子の食いつきがいいんだよぅ」
「知ったことか! とにかく行かない!」
「今度、なんかおごるからさ!」
そんな押し問答をしていると、
「白石!お前の番だぞ!さっさとせんか!!」
体育教師に呼ばれ、慌てて誠也が離れていった。
残された純は、アリーナを見まわしてみる。
(鳳佳のヤツ、ここにも来たことねぇだろうな)
今は昼間で明るいが、夜の暗く広いアリーナは、学園内でも、一際おどろおどろしいに違いない。
女子一人、平気で来られる所ではないだろう。
「……」
無言で純が考え込んでいると、突然、バーン!と大きな衝突音がして、その後に生徒の大爆笑が響いた。
ハッとなって、純が我に返ると、崩れた跳び箱の山に誠也が埋もれている。
どうやら、純の真似をして、みんなを沸かせようと試み、失敗したらしい。
照れ笑いしながら、跳び箱の下から這い出しているの見ると、怪我はしてないようだ。
「やれやれ」
呆れ顔で首を振りながら、純は頭を抱えた。
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