第1話(3)

「──ん……うん?……うわっ!?」

目が覚めたとき、ちょっとビビった。

部屋の電気が消えていて、辺りが真っ暗だったからだ。

ここの管理人は、高齢なじいさんで、結構いい加減だ。

「ったく、あのじいさんは……!」

生徒が残ってるかロクに確認もせず、業務を終えたに違いない。

前にもオレが本に集中しすぎて、周りが見えていなかった時、いきなり電気を消されたことがある。

「今何時だろ?──」

取り出した携帯の時計を見ると、時刻は7時30分くらい。

「──は!? 7時半ッ!?」

一気に眠気が吹き飛ぶ!

幾ら何でも寝すぎた!

図書室の鍵は内側から開けられるが、校舎自体のカギを閉められちまうと面倒なことになる!

「急げ、急げ、急げ……!」

呟きながら、机の上に広げた教科書や筆記用具を鞄にブチ込み、急いで持ち手をひっ掴んだ。

しかし──


ガッ! バサバサバサ……!


焦ったせいで、ちゃんと閉まっていなかったらしく、勢いがついて鞄が開き、派手に中身を床にぶちまけちまった。

「あー、くそッ!!」

暗い中、目を凝らして散らかった用具をかき集めると、オレは蹴破るように図書室のドアを開けて走り出した。








 暗い廊下っていうのは気味が悪い。

タッタッタッと、オレの小走りの足音だけが、やけに響きわたる。

龍嶺学園は、それなりに歴史ある古い学び舎だ。

当時からは名を変え、建物もとっくに新しく建て直されてはいるが、戦時中には避難場所として利用もされていた過去もある。

「……」

そういや昔、興味本位で読んだ心霊関係の本に、“昼間は人で賑わうが、夜になると静まり返る所に、霊たちは現れる”なんてことが書いてあったな。

だから、昼と夜とで人数の差が激しい学校や病院、公園なんかが、心霊スポットに成り易いんだとさ。

「……」

──なんで今そんなこと思い出しちまったかなぁ……

よりによって、図書室は昇降口から最も遠い位置にある。

階段を数段飛ばしで駆け下りて一階に辿り着き、あとは廊下を駆け抜けるだけだ。

「まだ昇降口開いてっかなぁ」

そう呟いて、オレは暗い廊下に飛び出した。

瞬間────


ドンッ!


突然、オレの視界が揺れた。

「!!」

同時に、右頬に痛みが走る。

完全な不意打ちに、オレは制御を失って、廊下に尻もちをついた。

「痛ってェ~~…」

ぶつかった頬をさすりながら、何が当たったのかを確認する。

幽霊──ではなかった。

暗くてよく見えないが、かろうじて相手がセーラー服を着ているのが見える。

女子生徒のようだ。

オレと同じように、驚いた表情でその場に座り込んでいる。

「あ。 わ、悪ぃ! 怪我とかしてな──」

オレが手を差し伸べて、ソイツに近付いた途端──

パッとその生徒は立ち上がって身を翻すと、瞬時に階段の方へと走り去っていった。

「……」

一瞬の出来事に、オレはただ呆然と立ち尽くした。

「な、なんなんだ、一体……」

もはや足音すら聞こえない。

あまりのことに思考が追いつかず、静寂の中で棒立ちしていると──

「う~ら~め~し~や~……」

震えた女の声がした。

それと同時に、オレの右肩にスルリと白く、細い手が乗る。


──ぎゃあぁぁ!!


……なーんて、声をオレが上げることはなかった。

なんせ、女の声には聴き覚えがあったし、その覚えのある人物は、如何にもこんなことしそうな人物だったからだ。

「バレバレなんだよ」

オレは肩に乗った手を払い落す。

「んもー、純くんたら、面白くないなぁ」

口を尖らせて、廊下の暗がりから登場したのは、白衣に身を包んだ女。

菊池琴乃きくちことの──この学園の“自称”美人女医だ。

「なんでお前がこんなところにいるんだよ?」

この問いに、琴乃はチャラリと鍵の束を見せた。

「今日はわたしが鍵当番なの。 で、テスト週間だし、誰か残ってるんじゃないかなって少し待ってたら──」

なるほど。オレの声が聞こえたのか。

まぁでも、琴乃が当番だったのはラッキーだった。

他の教師だったら、小言の一つや二つあっただろうし、ましてやメンドくさい体育教師に当たったら、怒鳴り散らされたかも知れん。

「さぁ、校門まで送って行ってあげるわね」

「いや、昇降口開けてくれりゃいいよ。 一人で出るから」

「そんな冷たいこと言わないでよー。 もう誰も残ってないし、二人で手を繋いだって見られたりしないから、大丈夫よ」

なにが大丈夫だ!

って……ん?

「残ってるのオレだけか?」

オレが眉根を寄せて聞くと、琴乃はコクリと頷く。

「そうよ。 もう全棟確認したから、間違いないわ」

「でもオレ、さっきどっかの女子とぶつかって……」

そう反論するも、琴乃は首をかしげる。

「変ねぇ? 校舎はもう30分前には施錠されてるから、誰も中には入れないはずだし。 その後、あたしが見回った時、確かに一階には誰もいなかったはずだけど?」

「……」

──そんなバカな。

じゃあ、さっき、オレがぶつかったアイツは──

──アイツは……?

「……」

そう思った途端、なんだかゾワリと鳥肌が立つ。

「フフ。 怖くなっちゃった?」

オレの両頬に手を添えて、琴乃が言った。

「バーカ」

眉間にシワを寄せて、オレが毒づくと、琴乃は微笑んだまま言う。

「やっぱり純くんは可愛いわ。 あんまり可愛すぎると、いつかお持ち帰りしちゃうわよ?」

…………今、違う意味で、また鳥肌が立ったわ。

「さぁ、そろそろ本当に行きましょう」

そう言って琴乃が歩きだす。

「あれ? 昇降口から出してくれるんじゃないのか?」

「そっちからだと、校門まで遠いでしょ? 職員用玄関ならまだ開いてるし、裏門が近いわ」

先を歩く琴乃について歩き、まずは下駄箱で靴を取り出すと、そのあと職員用玄関から外に出る。

「結局、見送るのかよ」

「裏門までね」

青白い月明かりが照らす校庭を二人並んで歩きながら、少しの間、会話する。




「明日から期末テスト?」

「おう」

「また1位は取れそ?」

「そんなもん、やる前からわかるか」

「それもそうか」



「ところで、今、身長何センチだっけ?」

「……嫌味かそれ?」

「養護教諭としての質問よ」

「ぜってー、言わねェ」

「体重は?」

「それも言わん!」

「じゃあ、次の身体測定、楽しみにしてるわね」

「うぐ……」




「また女の子と思われて、町で声掛けられたんですって?」

「……相変わらず地獄耳だな」

「情報通って言ってちょうだい。 気をつけてね。絡まれ慣れてるにしても、危ないのに変わりはないんだから」

「夏子に言わせると、オレが絡まれるのは髪形が問題なんだそうだ。 だから、短く切れってよ」

「確かにその髪形、どう見てもポニーテールだものね。 水瀬さんの言うことも一理あるわ。 わたしは好きだから切ってほしくないけど」

「いいのかよ? 一応、教員が校則無視を促すようなこと言って」

「あら、それもそうね。 ってことで、これオフレコにしといて」

「……アンタらしいな」




 ため息混じりにオレがそう言ったところで、ちょうど裏門にたどり着いた。

「じゃあ、気をつけてね」

「おう」

オレは背を向けながら、ひらひらと手を振る。

「わたしが襲うまえに、襲われちゃダメよ」

そんなセリフを吐いて、琴乃がこっちに投げキスしてくる。

オレはヒョイと首を傾けて、それを避けた。

琴乃はフフッと笑うと、校舎に向かって去っていく。

「やれやれだ……」

特段なにかした訳ではないんだが、なんだか疲れたな。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る