第9話 カルミナ・ブラーナ
オレを乗せた車が警察署に向けて走る。
――終わった……
何もかもが……そのすべてが終りを迎えた……
だが、いつかこうなるだろうってことは頭のどこかでは理解していた。
そもそも、この事業は終わるはずのものだったのだ。だから何も……不思議なことなどないではない……
やり場のない憤り、やりきれない気持ちをなんとか昇華しようと試みる。
顔を上げ……フロントガラスから外の景色を見る。
前を走るパトカーに続くようにしてオレの乗った車は走行している。
「――?」
しかし、周囲の景色は見慣れない場所だった。
オレの知っている警察署へと続く道とは異なっていた。
両サイドに座る警官を盗み見るも、どちらも憮然とした態度を取るだけで、落ち着き払っていた。
――つまり、道は間違ってはいない……のか?
その時――
オレの乗った車をものすごい衝撃が襲う。車が宙に舞い、両脇に乗った警官たちと揉みくちゃになって、
ズシンっ――! と、地面に叩きつけられる衝撃があった……
…………
どうやらオレは地面にうつ伏せになっているようだ。
「う……うぅ……」
何かが燃える臭いがして、首を動かし臭いのもとを探ると、ぼんやりとした視界に黒煙が巻き上がる様子が映る。
視界がぼやけているのは、眼鏡がなくなっているからだ。
何が起きたのか状況を確認するため起き上がろうとすると、体の節々が痛んだ。
無理に立ち上がろうとはせずどうにか座る状態まで持っていく。体勢を変える際に自分の手がなにかに触れた。幸いにもそれはオレの眼鏡だった。
レンズは傷つきフレームも歪んでいるようで、いつもの視界を取り戻すことはできなかったが、掛けないよりかは幾分ましになった。
周囲の状況を確認する。
ごうごうと炎を上げて燃えているのは転覆したパトカーだった。
それから、地面に仰向けになっている人を見つけた。その服には見覚えがある。ディバインキャッスルのコンシェルジュが着用する制服だ。
それでもう、その人が誰なのかわかった。
「森園さん、か……」
痛みに堪えながら、四つん這いで彼女に近づいていく……
一体何が起きたというのか……?
ディバインキャッスルを出て、麓の駐車場に着いた後、オレはパトカーに乗せられて警察署に向かっていたはずだ。そのとき森園さんは別のパトカーに乗って前を走っていた。
森園さんのところにたどり着いた。しかし、彼女の姿を見てオレは言葉を失った。
彼女は死んでいた――
パトカーから投げ出されて体を強く打って死んだ……わけではないことを彼女の状況が物語っていた。
森園さんは額から血を流し目を見開いて死んでいた。額の傷はまるで銃で撃たれたような状態だった。
――ばかな!?
この国ではそんなに簡単に拳銃を入手することはできない。あるとすれば警察――だったとしても、警察が森園さんを殺す理由がわからない。
――警察じゃないとすれば、森園さんを撃ったやつは近くにいるってことにならないか?
オレは周囲を確認する。
周囲は何もない開けた場所で、地面は舗装されていない砂利を均しただけの場所。炎上しているパトカーも一台のみで、オレが乗っていたと思われる方のパトカーは転覆したままの状態だった。
少なくとも、目に見える範囲にオレと一緒に車に乗っていた警官の姿は見当たらなかった。その代わり……と言ってはなんだが、転覆したパトカーを覗き込んでいる女がいた。
その女は車内を確認し終えるとすっと立ち上がり、こちらに顔を向けた。
黒髪のショート。赤いワンピースに黒のジャケットで、黒のタイツに赤いヒール。ゴシック系を思わせるその姿には見覚えがあった。その印象的な格好は忘れたくても忘れられない。
彼女は初めて会ったときとまったく同じ格好をしていた。
――ああ……そうか……
――そうなんだ……
女がこちらに近づいてくる。
「久しぶりだね」
状況にそぐわない気さくな感じで話しかけてくる。
オレは言葉を返さなかった。
「私がここにいる理由……理解してるっぽいね」
そう言って彼女はオレに向かって手を差し伸べた
起こしてくれようとして、手を差し伸べてくれているのかと思ったがそうではなかった。
その手には銃が握られていた。
そして、その銃口は今まさにオレの額を捉えていた。
…………
オレがディバインキャッスル担当の後任となった段階ですでにこの事業は火の車だった。
手を変え品を変え、あれやこれやと企画を立てても鳴かず飛ばず、終わりの時が刻一刻と迫っていた。オレが後任になったのはそのタイミングでだ。
おそらく、オレに責任を取らせる形でこの事業をたたむ算段だったのだろう。
悔しかった。
これまで頑張ってこの会社のために尽くしてきた仕打ちがこれかと。
その悔しさをバネに、オレは何が何でもこの事業を盛り返してやると誓った。
――が、事業というのは気合だけでどうにかなるものではない。もはや打つ手なしかと諦めかけていたそのとき、オレの前に一人の女が現れたのだ。
黒のショートヘアに真っ赤なルージュ。赤いワンピースに黒の革ジャケット。黒のタイツに真紅のヒール。上から下までを赤と黒でコーディネートした20前後の女。
何よりも特徴的だったのは、開けているのか閉じているのかわからないくらいに細いキツネ目。
その女は佐伯と名乗った。
「このままでいいの?」
訳知り顔で……いや、おそらく彼女はこちらの事情をすべて把握していたのだろう。
「どうせ終りを迎えるならダメもとでやってみない?」
だからこそ、この場所をクスリの取引場所に使わせてくれと言ってきたのだ。
クスリ――
当然合法なものではないことはすぐに理解した。だから最初はやんわりと拒絶の意を示した。
しかし、ここを使う代わりにと提示された迷惑料は破格だった。
重要なのはその金があればこの事業はかつての栄華を取り戻すことも可能だということだ。
もとより、このままではこの事業は終りを迎えるのだから……
気づけばオレはその女の提案に乗っていた。
――――
それからディバインキャッスル事業をオレの一存という体でガラリと変えた。その裏にはもちろん佐伯の指示があった。
ディバインキャッスルの場所を人里離れた山の上に移築し。完全予約制でコンシェルジュを含めて最大14人までしか同時に宿泊することができないようにした。
派手な企画運営は廃止し、企画は必要最低限にとどめ、普段は一週間をただ場内で適当に過ごさせるものへと変貌を遂げ、ただただ、クスリの取引場所として便利なように変わっていった。
ここへ来る客は余り楽しくはないだろうな、と思いながら変わりゆく城を見ていた。だが結果的に少人数ずつしか来ることのできない場所という希少性が人を惹きつける要因となった。
事業再興を果たしたオレはディバインキャッスル事業の管理運営の指揮を一手に引き受けることとなった。
こうなると、佐伯の指示でクスリの売り手と買い手の客とを同じ週にディバインキャッスルへ向かうように調整するのも格段に楽になった。
すべてが順調だった。
自分が愛してやまない会社に貢献できる喜びを実感していた。しかも、終わりを迎えようとしていた事業を回復させたことで、社内でのオレの評価はうなぎ登りだった。
満足していた――!
充実していた――!
その日が来るまでは……
…………
「ふざっけるなぁぁぁぁあああっっ!!!」
あまりの怒りに我を忘れ、森園かな子の顔を蹴り上げた。
「誰がこんなクソみたいな女をっ!! 貴様のせいで! 貴様のせいでオレはっ!! オレはあああぁぁっっ!!」
怒りに任せ森園を痛めつける。
「オレがこの事業を再生させるのにどれだけの犠牲を払ったと思っているんだ!! ええっ!! このままだとオレはぁぁあああっっ――!! あの女に――ッ!!!!」
この女のせいでオレがこれまで積み上げてきたものがすべて無に帰することが許せなかった。
そしてそれ以上にオレが懸念したのは、このことを知ったあの女がどういう手段に訴えてくるかわからないことだった。
…………
結論から言えば、探偵の推理は間違えていた。
牛山太郎を殺したのは森園で間違いはない。だが、江藤巳佳を殺したのもまた彼女だった。
その理由まではオレにはわからないが、オレはその瞬間を見ていた。
開け放たれた部屋の扉の向こう。
まさかまた新たな被害者がでたのかと部屋を覗き込んだら、今まさに森園が江藤さんの頭にカメラを叩きつけている瞬間だった。
これまで何度か彼女とディバインキャッスルに来たことはあるが、物静かで真面目な女性という印象しかなかった。そんな彼女がこのような奇行に走るなんて想像だにしていなかった。
江藤さんを殺した森園は肩を震わせ笑っているように見えた。
――この女はどうかしている。 ――狂っている。
それが、その光景を見た瞬間の率直な感想。
探偵の推理は間違っていたが、それを訂正しようとは思わなかった。
それは無意味だからだ。
こんな事件が起きてしまってはもうディバインキャッスルはお終いだ。誰が犯人かということに意味はない。誰が犯人であっても終わってしまうことに変わりはないのだから――
…………
「あの城はこっちとしても結構重宝してたんだよねぇ。でもまさかこんなことになるなんてさ……」
佐伯はやれやれと首を左右に振ってみせた後、再度銃口をオレに向ける。
「ほんと、残念だよ。……でも、ま、こうならなくても近々処分することは決まってたんだけどさ」
「決まって……いた……?」
「そそ。こっちの状況もいろいろ変わっちゃってさ。アセンブル関連の事業を全部手放すことになってね。それで、私自ら後始末ってわけ」
「後始末……ははっ……」
どのみちオレはこうなる運命だったのかと思うと、乾いた笑みが漏れた。
「だからさ、アセンブルのことを知っている人間は全員もれなく消すことになったんだよ」
彼女目がゆっくりと開かれる。
――!?
オレと佐伯の視線がかち合った瞬間、その瞳から目を離せなくなっていた。
まるでルビーのように真っ赤な瞳。
逸らしたくても逸らせない。それだけじゃない。体がまったく動かせなくなっていた。
佐伯が真っ赤唇をニヤリと歪ませる。
発砲音――
それがオレの耳に届いた最後の音……
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