第2話 ピカデリー 前編
その日、僕は所長室に呼び出された。
正確にはそこは社長室で、そこにいるのは社長なのだが、社長が社員全員に自分を所長と呼ばせその場所を所長室と呼称させた。
所長いわく、「そのほうが探偵っぽいでしょ?」とのことだった。
「例のものが届いたよ」
そう言って、所長は一枚の紙をヒラヒラと振った。
「もしかして、ディバインキャッスルのチケットですか?」
「ああ、そうだよ」
左右に振っていたそれを僕に差し出す。
「いよいよなんですね……」
ディバインキャッスル――
そこに行けばアセンブルに関する情報が得られるかも知れないと思うと、つい武者震いしてしまう。
「そういうわけだから。有益な情報を持って帰ってくることを祈っているよ。あ、それと、何か怪しそうなものがあったら持って帰ってきても大丈夫だから。警察の許可も得てる」
所長がニッコリと笑顔を作った。
首肯して所長室を後にする。
それから数日後、僕はディバインキャッスルへと赴くこととなった。
……………………
子どもの頃の夢はプロのマジシャンになることだった。
夢を実現すべく、日々手品教室に通い訓練を重ねていた。
その教室を開いている先生は業界内でもそれなりに名の知れた人で、特に“すりかえ”と呼ばれる技を得意としていた。その技に関しては全国一とまで言われていた。
そんな稀代のマジシャンの教えを請うている僕は絶対にプロのマジシャンになれるのだと信じて疑わなかった。そこに通っているほかの子たちも皆そうだっただろう。
だが……そんな僕の思いは打ち砕かれることになった。
先生が行方をくらませた――
何があったのかはわからない。
ただ、いなくなったという事実だけがそこにあった。
当然、先生の教室は運営を続けられなくなり、僕を含めた全員が野に放たれた。
その後、ほかのスクールに通ってみたりもしたけれど、そこの先生の教え方が以前とは全然違って、うまく馴染めなくて……スクールをやめた。
それから独学でマジックの練習を続けてみたけど目に見える成果は得られなくて……その後、マジックから距離をおいた生活を続けるようになっていた。
マジックをやめてからは学校の勉強に励んだ。
いい大学に入って一流の企業に就職して――って、人生はそううまくいくものではない。
入学したのはそれなりの中堅大学。
就職した会社は興信所。しかも一芸入社だ。
履歴書の特技欄に手品と書いたら、面接官たちの前で手品をやらされた。ちょっとした簡単なものを演じてみせただけで即採用になった。
芸は身を助くとはよく言ったもので、まさかこんな形で手品が役に立つとは思ってもいなかった。
興信所で働くようになって親しい友人ができた。
小柄でよく気の利く同期の女性だ。
ある時、飲みの席で『どうしてこの興信所に入ろうと思ったのか?』という話題になった。
僕は特に理由などなく、自分の頭でも入れそうだったからと答えた。結果的に一芸入社だったことも教えた。
すると彼女は大層驚いていた。
僕が考えているほどこの会社に入るのは簡単なことではないと、それを軽々と言ってのけるあなたはすごいねと。
一方で僕も彼女の答えを聞いて天地がひっくり返るんじゃないかってくらい盛大に驚いた。
彼女の答えはこうだ。
「人を捜しているの。ここに就職すれば捜しやすくなるんじゃないかって思って」
そう言って彼女ははにかんだ。
つまり彼女は職権乱用することを前提にここに入社したわけだ。
ちなみに僕が驚いた理由はそこじゃない。
問題は彼女が捜そうとしている人だ。
彼女は行方不明になった祖父を捜していると言った。
そして、その人物は僕が子どもの頃に師と仰いでいたその人だった――
…………
名字でも一緒ならば、気づけたかもしれないが、先生は彼女の母方の祖父に当たる人物で名字が違っていた。だから気が付かなかった。
運命……というやつだろうか。
そういったものはあまり信じてはいないが、このときばかりはそれを信じてもいいと思った。
ただ問題なのは、先生が行方をくらましたのは僕が10歳にも満たなかった頃の話で、それは今から15年以上も前の話だということ。
そんなにも前にいなくなった人を捜し出すのは至難の業だろう。
そもそも、もうこの世には……
そういった辛い現実を突きつけるのは簡単だ。だが、やってもみないのに結論づけるのは違う気もした。
それに、僕自身、先生に会えるのならもう一度会ってみたいと思った。
だから僕は協力を申し出た。
彼女が依頼人で、僕が請負人。
そうすることでこちらとしても動きやすくなるし。なんと言っても経費が使える。
――まぁ、その分依頼料が掛かるわけだけど、社から出る給料がそのまま社に戻るだけだと考えればそこまで問題じゃないように思える。
僕の提案を聞いた彼女は涙を流して喜んだ。そんな彼女を優しく抱きしめてあげた。
…………
先生の捜索。それは雲をつかむような話だった。
まず第一に手がかりがなさすぎた。
それでも調査は続けた。
だが、この依頼の優先度は低い。会社である以上金になる依頼を優先するのは当然で、彼女の依頼は遅々として進まなかった。
そんな苛立ちから互いに衝突することもあった。
だけど捜査を打ち切ることだけはしなかった。
彼女にとってはおじいさん。僕にとっては師匠に当たるその人は互いとって大きな存在だったからだ。
そして――
進展があったのは捜索を開始してから10年後のことだった……
…………
先生は無残な形で発見された。
場所はホテルの一室。その部屋で何者かに殺されていた。部屋には4人の遺体があって、先生を除く3人は現役の警察官だった。
ここで何があったのかは謎だ。
だが、僕らにそれを知るすべはない。
彼女は先生の孫ということで警察からいろいろと事情を聞かれていた。逆に何があったのかを聞いたりもしていたが、当たり障りのない範囲の情報しか教えてもらえず、事件の全貌を教えてもらうことはできなかったそうだ。
――もしかすると、警察ですらその全貌をつかめていない可能性もあるが……
そして、先生が遺体となって発見されてから、1週間ほど経った頃、彼女は何も言わずに会社を辞めた。
心にポッカリと穴が空いたような状態になっていた。
仕事に身が入らず、ミスが目立つようになっていた。ほかの社員たちが気を使ってくれてはいたが、その理由が僕が彼女にフラれたからだと勘違いしてのものだった。
僕と彼女は決してそういった関係ではなかった。
ただ、できることなら生きて先生と会わせてあげたかったし、僕も生きて会いたかった。
少なくとも、音信不通だった約25年間はちゃんと生きていたのだから……
…………
このままダラダラと仕事を続けていては、会社のためにも自分のためにもならない。
僕もいっそこの仕事を辞めるべきか――
自分の気持がそんな思考に傾きかけていたある日、僕は所長室に呼び出された。
「彼が先程言っていた……?」
部屋に入るなり、所長室にいた見知らぬ男性が僕を一瞥して言った。
「ああ、そうだよ」
所長が自慢げに言う。
「あまり顔色がよくないように見える。とても仕事を任せられるとは思えないが?」
男は何の遠慮もなく言った。だが事実だ。反論の余地はない。
「あの? 要件は? 僕に任せられないと言うならこのまま下がりますが……」
「ああっ! 待った! 待った待った!!」
所長が慌てて手を伸ばし、こっちに来いと手招きする。
「実はのぅ――」
所長室にいる男は警察関係者だった。そして、僕がここに呼び出された理由は警察への協力だった。
僕が働いているこの興信所は、警察や政治家、官僚などから依頼が来ることも珍しくない。だから、警察への協力と聞かされてもさして驚きはしなかった。
依頼の内容はこうだった。
ディバインキャッスルと呼ばれる施設が麻薬の取引所に使用されている疑いがあり、そこへ行って何か情報を掴んでこい。その代わりに、彼女のおじいさんが殺された事件に関する情報を提供してやろうというものだった。
本来は、彼女に協力を依頼するはずだったそうなのだが、彼女はもうこの会社を辞めている。そこで、僕にお鉢が回ってきたということだ。
所長は、僕と彼女のおじいさんがどういう関係にあるのかを知っているので、当然の選択と言えた。
「質問いいですか?」
「答えられる範囲でなら答える」
「警察の人間が行けばいいのではないですか?」
「それは無理だ」
なぜ? ――という僕の質問に対して警察は答える。
「警察に内通者がいる。すると当然、警察を動かせばそのことが伝わるだろう?」
どうやら結構複雑な事情がありそうだった。
しかも取引に使われている場所が場所なだけに、客として潜入するのも一苦労だろう。
また、そこへ行くための費用のことを考えると、やっとの思いで潜入できたとしても、結果何も得られませんでしたでは莫大な損失を出すだけだ。
――無論、僕が成果を得られなかった場合も同じ額の損失が出るわけだが……
「大役ですね」
「そうだ。だからこそ見返りは弾む」
「なるほど。……いいですよ。やりましょう」
何か得られるかはわからないが、やらなければ何も得られない。
それに、今抱えている仕事よりもやりがいがある。
「うんうん。君ならそう言ってくれると思ったよ。――いやぁ、元気が戻ってよかったよかった!」
所長が気持ち悪いくらいの笑みを湛えていた。所長は所長なりに僕を気遣ってくれていたみたいだ。
「ひとつだけ注意してほしいことがある」
「なんでしょう?」
「ディバインキャッスル内では絶対に『アセンブル』という言葉を口に出すな」
「どういう意味ですか?」
「それについては今から説明する。話せる範囲で、だがな」
警官の顔がより一層厳しくなり、室内が緊張に包まれる。
こうして、僕とアセンブルの戦いが始まった――
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