第2章

2-1

 事務所に戻ってからしばらくの間、特に大きな出来事はなく普通の「なんでも屋さん」として過ごした。

 「なんでも屋さん」と名乗るだけあって業務は多岐に渡る。様々な客がハイビの元に訪れた。重い荷物の運搬、電球の交換、落とし物の捜索……。どんな些細な依頼でもハイビが断ることはなかった。

 ミズキはというと、生意気な雰囲気に子供らしさを感じるのか、老人から大変人気だった。

 はじめの頃は終始不機嫌そうだった彼も、コンスタントに食事にありつけ孫のように可愛がられる今の環境をそこそこ気に入ったらしい。段々と明るい表情が増えていった。


「もう、ミーくん優秀!男手が増えるって本当に助かる!」

 人は増えたが、同時にそれを賄えるくらいには仕事を増やせるようになったらしく、ハイビは上機嫌だった。

「当たり前だろ、俺を誰だと思ってんだ。……とは言え俺よりもお前のほうが強いけどな……。どこで鍛えてんだ?」

「お前じゃなくてハイビちゃん!筋トレ?筋トレは今はそんなにやってないよ〜」

「……くっそー……肉食いたい!肉!肉食わないと強くなれない!」

「ウチもお肉食べたいけど高いんだよお。その分稼いでこなきゃ!ミーくん自身の手で!」

 おにぎりを両手に持ったまま、ハイビが激を飛ばす。ミズキも負けじと両手におにぎりを掴んだ。

 この二人が揃うとよく喋る。賑やかな会話をBGMに黙々と食べ進めていると、ミズキがキッとこちらを向いた。

「大体、こいつの仕事少なくねえ?しょっちゅう部屋にいるじゃん!」

「それは……」

「チャイ子ちゃんには頭使う仕事してもらってるのー力仕事だけがすごいとかないの!この前もミドリさんの電卓修理しちゃったんだよ!」

「……まあ、役割分担ってやつだな」

「なんだよヤクワリブンタンって。難しいこと言うな!」


「あらぁ、まるで兄弟みたいに仲良しね」

 

 突然の声に驚いて振り向く。ツユがそこに立っていた。

 いつ入ってきたのか全くわからない。ミズキも同様らしく目を丸くしていた。

「もう、普通に入ってきてよね!」

 ハイビは驚くことなく、頬を膨らませた。

「だって、あなたたちがどんな様子で過ごしているのか覗いてみたいじゃない」

 覆面で目元しか見えないが、ツユはニコニコと笑っていた。

「お、お前が"ツユ"?!」

「? ええ。どうして?」

「お前、施設ですっげー有名だぞ。一番綺麗で優しそうなのに、めちゃくちゃ強い奴だって」

「あ、あら……そうなの……?」

 ミズキの言葉に、ツユは少し恥ずかしそうに眉毛を下げた。

「カレクサ団の噂も流れているんだね」

「えーっ!ねえねえウチはどんな噂になってるの?」

 はしゃぐハイビを無視し、ミズキに尋ねる。

「そりゃあ、こいつらに結構やられてるからなあ。俺が言うのもなんだけど……」

「そのお話、とっても気になるから今度聞かせてもらえる?……ただ、今日はハイビに用事があって来たの。ちょっとお借りしてもいいかしら」

 口調は丁寧なままだが、一気にピリッとした空気に切り替わった。何か大きなことがあったのかもしれない。

「構いません」

「ありがとう。行きましょう、ハイビ」

「はぁい」

 ツユに連れられハイビが出ていくと、急に部屋が静かになった。これまで、部屋の中でミズキと二人きりになったことはない。何となく落ち着かないのはミズキも同様らしく、そわそわしながら食事をたいらげていた。


「ミズキ」

 突然少年の声で呼ばれ、ミズキは飛び上がった。シバだ。

 先程のツユと同じく、いつの間にか部屋に侵入していた。

「な、なんだよお前ら!黙って入ってくんな!……あ!お前、シバ……!」

「よく覚えてたな」

 確かにあのとき、ツユが一度だけシバの名前を呼んでいた。しかし、ミズキの緊張した面持ちを見ると、リーダーというだけあってシバの存在もよく知られているのかもしれない。

 シバから攻撃的な様子は伺えないが、表情は読み取れない。彼の来訪の目的が見当もつかなかった。

 シバは唐突にミズキに問いかけた。

「お前が何故今こうやって平穏無事に過ごせているか分かるか」

「……知らねーよ。こっちがびっくりしてんだから」

「ハイビがお前を受け入れると決めたからだ。それだけだ。それはチャイ子も同じこと」

 シバが灰色の瞳を私に向ける。やはり彼ら姉弟は目元がよく似ていた。意図的なのだろうが、無機質で、感情の伝わってこない瞳。

「つまり、他のメンバーはまだまだお前らを信用していないということだ。特に敵側からやつってきたミズキ、お前はな」

「ああ、そうだろうな」

 ミズキは口の端を持ち上げて見せた。そうこなくちゃ、とも言いたげな挑戦的な笑みだった。

 

 と、そこで急にシバが頭を抱え始めた。

「そうなんだよ。そうなのに……」

「……あの、お茶飲みますか」

 彼から発されるあまりの苦労人のオーラに、私はついお茶を差し出してしまった。

 シバは床にドカッと座り込み、素直にお茶を飲むと大きなため息をついた。

「ハイビはお前らを信じる、次の作戦にお前らも加えると言って聞かん」

「はぁ?」

「ハイビ的には、ハイビ的にはだな、まずチャイ子は記憶を失くしているただの困っている人。ミズキは何らかの事情でV派に属していで、心からV派に賛成しているわけではない人、として認識している」

「……ふーん」

 あながち外れてもいないためか、ミズキは誤魔化すようにそっぽを向いた。その様子を、シバはじっと見ていた。

「確かにハイビの勘はかなりの確率で当たるんだ。さっきも言ったが、だからといって全面的にお前らを信じることはできない。……そこでとりあえず、ここしばらくの間2人を見張らせてもらった」

「あっ!なんか変な感じすると思ってたらお前らだったのか!」

 シバは怒って立ち上がったミズキを指差した。ミズキの肩が小さく揺れた。

「まず、お前がすんなり俺たちに従ったことに不審に思ったんだよ。普通、Vあいつらがスパイを放ったのかと思うだろ。それがどうだ、めちゃくちゃ真面目に働いているじゃないか」

 後ろから、ミズキの耳が赤くなっていくのが分かった。

 私はシバの言葉に頷いていた。そうなのだ。ミズキは本当に良く働いていた。確かに生意気ではあるものの、老人や小さな子供には優しく、心根がまっすぐであるのを感じた。最初に襲いかかろうとしてきたことが信じられないほどだ。

「何かを記録する様子は……あぁ、仕事の手順をメモしていることはあるが……それ以外は無いし、外部との接触も今のところは見られない。帰りたそうな様子も無い。2人共だ」

 シバはお茶を一気に飲み干した。

「もしかしたらフリかもしれん。だが、信じてみる価値はあると俺は思った。だから仲間として受け入れるための最終テストとして……」

 シバが床に資料を広げた。大きな地図と書類数枚だ。私はシバの顔を見上げた。

「これは……」

「今度、俺たちのターゲットが移送されるとの情報が入った。……ターゲットが何であるかは、ミズキ、お前にはまだ教えられない」

 ミズキが頷く。彼の目は地図に釘付けだった。

「こんなチャンスはなかなか無い。ここで奪還を試みる。2人にはこれに加わってもらう」

「これ、施設の南側通路らへんの地図だよな?どうやってこれを……」

「まぁ、優秀な頭脳班ブレーンがいるのさ」

「ふーん……すげぇな」

 私は少々驚いた。この地図にはほとんどテキストが載っていない。元々自分がいた場所だとはいえ、図を見ただけでそれがどこか分かるほどの間、ミズキは施設で過ごしていたのだろうか。

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