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✻✻✻


 少年は、地下室に閉じ込められていた。窓の代わりに格子がはめられた小さな空間だ。昔の応接室か何かの、部屋の跡を流用したものだろう。彼はこちらに背を向けて寝そべっており、表情は見えなかった。

「……おい」

 ピクリと少年の体が動く。眠っているわけではなさそうだ。

「食べ物、持ってきたぞ」

 少年は起き上がると、私の差し出した食料を奪うようにして受け取った。一瞬躊躇ったようだが、すぐさまガツガツと食べ始める。よほどお腹が空いていたようだ。眼光は鋭いものの、その表情にはあどけなさが残っていた。

「私が言っても信用できないかもしれないけど……ここの奴らは本当にお前に危害を加える気はないと思う」

 逃してくれるほど甘くもないけど、と心の中で付け足した。

「君、名前はなんて言うんだ?今のままだと呼びづらくて仕方ない」

 少年はスティック状の保存食を飲み込むと、私の質問には答えず言い放った。

「なぁ、お前スパイなのか?そのチャイナの格好、俺たちの施設で見たぜ」

 突然の言葉に、すっと頭が冷えるのを感じた。少年の瞳は好奇心で輝いている。

 私が、施設にいた?

 動揺を悟られないように振る舞いながら、頭をフル回転させた。ここで私の記憶がないことを彼に打ち明けるべきか?――否。仮にも自然派のグループに属したのだ、むやみに敵側に手の内を晒すべきではない。しかし、こいつがいつ、どういった状況で私を見たのかは聞き出す必要がある。

「……私を見た?いつ?」

 とりあえず、相手の言葉を否定しないという手に出る。ここは彼の仲間であると思わせておいたほうが有利に進むと判断した。

「俺が実験施設にいた頃だから……半年くらい前じゃねえかな。白衣着た女に抱えられていくのを見たぜ。そんな派手な格好してるから覚えてたんだ」

「……君は、V派の蜂、ってことで間違いないのか?」

 しばし躊躇うように視線を泳がせたあと、少年は言った。

「……ああそうさ。大体そんな感じ、ってところだな。お前はこっちに潜入してんのか?それとも、自然派に寝返ったのか?」

「まだ君が信頼に足る人物か判断できない」

 心臓の音がばくばくと耳元に響く。ぎりぎり『嘘は言っていない』というラインで、いつ話に破綻が生じるかわからない。

「そこは答えられないが、今のところは君の敵ではない」

「ふうん、やっぱそんな簡単には教えてくれねーか」

 少年はつまらなそうに唇を尖らせた。しかし、すぐさま表情がパッと明るくなった。

「そうだ、こういうのはどうだ?俺はとりあえずここの奴らに従って、俺の目的が達成できそうな機会を伺う。お前は俺がここのやつらに殺されねぇようにコッソリ守る。俺はお前の秘密を守る。な、悪くないだろ?」

「君の目的とは?」

「そりゃ言わねえよ、お前も秘密にしただろ」

「一応聞くが、君の目的はここの誰かを傷つけるようなものか?」

「うーん……それは違う、とだけ教えてやるよ。これは本当だ」

「そうか。ありがとう」

 ぱっと聞くとやや私にとって不利な条件だけども、そもそもハイビたちがこの少年を殺す可能性が低いことを考えると案外悪い話ではないかもしれない。そう判断した。

「いいよ。その話に乗ろう」

 これは賭けだ。その"私"は見間違いなのかもしれない。彼がどこかで裏切るかもしれない。でも、現状手がかりがここにしかないのであれば、危うい橋も渡らざるを得ない。


「ただし、名前を教えてほしい。君が本気で手を組もうとしている証として」

 一瞬の逡巡の後、少年は渋々といった様子で口を開いた。

「……ミズキ」

「ここでは君のその名前が本名だと信じるよ、ミズキ。私はチャイ子。よろしく」

 できるだけ堂々と、まるで本当に何らかの任務を負ったスパイのように手を差し出す。ミズキはニッと笑って私の手の平を叩いた。

「偉そうにすんな。俺たちは対等だ。裏切んなよ」


 そのとき、背後から誰かが階段を降りてくる音がした。

「チャイ子ちゃん?」

 ハイビだ。私はぱっとミズキから離れた。

「会議は終わったのか?」

「うん。色々あってね〜、その子はウチが預かることになったよ」

「……あの部屋に3人?」

「あは、まぁ……2人とも小さいしなんとかなるっしょ」

「俺をここから出すのか?」

 ミズキが目を丸くする。

「うん、出すよ。捕虜じゃないもん。状況を動かす鍵にはなるかもだけど!えっと……」

「ミズキ、という名前らしい」

「ええ〜っ、チャイ子ちゃん名前教えてもらえたの?そんなに仲良くなっちゃったの?すごい!」

 ハイビは私を抱き上げ、頬を擦り付けた。私は予想外のことに慌てた。

「えっ、なっ、やめろ!」

「そういうこと!今のウチらに必要なことはそういうことの延長線上にあるんだよ、ね」

 ハイビはジタバタと暴れる私をようやく降ろしすと、ミズキと向き合った。

「ミズキくん……ミズくん……うーん、ミーくん!」

「ミーくん……?」

 半ば絶望の色が滲んだ声でミズキは呟いた。しかしハイビはそんなことに構う女ではない。

「うん!ミーくん!よろしくね、私はハイビ!」

 ミズキから抗議のオーラを感じたが、私は無視を決め込んだ。

「ミーくんを今手放しちゃうとウチらも困る可能性高いからさ、しばらくうちに居てもらうんだ。もちろん手荒なマネはしないよ、自己防衛はするけどね」

 ハイビが笑って二の腕を叩いて見せた。あまり洒落にはならない気がする。

「ミーくんにとってはいろいろ複雑かもしれないけど、これからよろしくね」

 ミズキは眉間に皺を寄せたままだったが、満面の笑みをたたえるハイビから目を逸らし、フンと鼻を鳴らした。一応、状況を受け入れたようだ。ハイビが頭を撫でようと伸ばした手は綺麗に躱していたが。


「これ……大丈夫か?」

「大丈夫なのかな……」

 他のメンバーが各々のバイクで軽やかに走り抜けていってしまった後ろを、ハイビちゃん号はのんびりと追っていた。

 行きはミズキを荷物のように固定していたから3人でも問題なかったが、今回はそうはいかない。ミズキは痩せているとは言えそこそこ背が高く、私の後ろで窮屈そうに体を縮めている。かく言う私も座りが悪く安定しているとは言い難い状況だった。

 不安げな私とミズキをよそに、ハイビは自信満々に答える。

「このハイビ様にお任せなさい!」

 ハイビがハンドルから手を離して胸を叩いたと同時に、ぐらりとバイクが傾いた。思わず悲鳴を上げる。私が転げ落ちる直前に、ハイビがなんとか体勢を立て直した。

「ほ、ほんとに大丈夫だから!ね?信じて!」


 1日の情報量が多かったせいか、私は疲れていた。夕日に照らされたハイビの右手を見つめるうち、いつの間にか私は眠っていた。

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