1-3

「離せよ!」 

 捕らえられた少年は大いに暴れていた。しかし、ロープが頑丈なのかハイビの縛り方が上手いのか、一向に緩む気配はない。

「だからあ、大人しくしてればこんなことしなかったのに。今からもシバいたり殺したりはしないからそこは安心して」

「うるせえ!絶対ぶっ殺すからな!」

 少年は思いきりハイビを睨みつけた。ハイビはニコニコ笑うだけだ。そして、その手にはガムテープが握られていた。

「ただ、ちょっと騒がれると困るわけよ。というわけで……ごめん!今だけ許して!」

 えいっ、とハイビは少年の口をガムテープで塞いだ。もはや、少年は唸り声をあげることしかできなかった。

「物騒なシーン見せちゃってごめんねぇ。でも、本当に、こういうヤバイ仕事ばっかりってわけじゃないので!今回やむを得ないだけなので!」

 そう言い訳しつつ、ハイビは少年を軽々とバイクまで運ぶ。そして、彼女とハンドルの間に少年を固定した。

「……お前、強いんだな」

「いやいや、護身のためだから……暴力反対だし、ハイビちゃんは!」

「ふーん」

 そんなわけねえだろ、と言わんばかりに少年が呻いた。


 3人を乗せたバイクが再び走り出す。時折、雲間から差し込む陽射しが私達をやわらかく照らした。

「チャイ子ちゃんは眠くないの?夜明けよりだいぶ前から起きてるけど」

「そういえば眠くないな」

 言われてみれば不思議だ。空腹はあるが、全くといっていいほど眠気がない。目が覚めるまでずっと眠っていたのだろうか。

「そっかー。なら良かった。暗い時間じゃないとできないことが結構あるからさ、メチャ早く寝てメチャ早く起きるサイクルなんだよね、ウチら。それがしんどかったらどうしようかと思って」

「みんなそうやって暮らしているのか?」

「うん。夕方くらいにはみんな寝ちゃうと思う」

 まるで草食動物のような適応の仕方だな。

 とてもじゃないが口には出せない台詞が胸に浮かんだ。


 そのとき、今走っている道が来た道とは異なることに気づいた。事務所の周囲は高い建物ばかりの繁華街だったが、今はだんだんと周りの建物の高さが低くなっていき雰囲気が寂れていっている。

「なあ、これ、事務所に向かっているのか?」

「ちがいまーす!着いてからのお楽しみっ」

 ハイビはそれ以上何も言わなかった。私は彼女から詳細を聞き出すことを辞め、再び景色に目をやった。少年も抵抗を諦めたのか、何も映っていないような瞳で流れゆく街並みを眺めていた。


 さらに走ると、大きな川の跡が現れた。土手や河原の広場の形跡はあるものの、小川のような頼りない水流が中央を流れているだけだ。

 そんなか細い川に似つかわしくない大橋の上をバイクで走り抜ける。ハイビの陰から正面を

覗くと、低い建物たちの中に突然高層ビルの群れが立ち上がっているのが目に入った。

「なんだあれは」

「うふふ、気づいた?あそこが目的地だよ」

 私のリアクションが予想通りだったのか、嬉しそうにハイビが答えた。

 ビル群はどんどん迫ってくる。近づくに連れ、ビルがずいぶんと廃れていることが分かった。窓はことごとく割れており、人の気配はない。

 しばらくして、最も高いビルの前でハイビは停まった。彼女は少年をかつぎ、私についてくるよう促した。


 ビル内に踏み込むと、埃っぽい臭いが鼻腔を満たした。フロアを仕切る壁はなく、塵の積もったデスクが雑然と並んでいる。天井はところどころ抜けている上、床には瓦礫やガラスの破片が散らばっていた。ずいぶん長い間使われていないようだ。


 突然、背後から女の声が飛んできた。

「遅い!」

 いつの間にそこに現れたのか、背後に黒ずくめの人物が立っていた。パーカーのフードとマスクで顔を隠しており、こちらからは目元しか覗えない。その苛つきを滲ませた視線はハイビに向けられていた。

「どうせどこかで寄り道してきたんでしょうが」

 ハイビは驚いた様子もなくへらりと笑った。

「ごめーん、ちょっと予定外のお客さんが来ちゃって」

「相変わらずバイクはダサいし派手だし、ちゃんと隠してきたんでしょうね」

「えーっ、ダサくないし!でも隠してはきたよ!」


 さらに、ドスンという音が4つ、立て続けに響く。天井の穴から次々と同じような格好をした人影が飛び降りてきたのだ。


 細身の人影が、青年のような声で問いかけてきた。

「お客さんってのはその脇に抱えたチビか?隣に立ってるチャイナチビか?」

「チビなんて言い方は駄目よ、シバ」

 背の高い人影は穏やかな口調で彼を嗜める。

「ハイビ、その予定外のお客様っていうのはそちらのお二人なの?」

「ううん、こっちの男の子だけ。この子は紹介したくって連れてきた!チャイ子ちゃんって言うの。ウチの助手になりました!よろしくね」

「助手ぅ?」

 最初に現れた女が素っ頓狂な声を上げた。

「何、急に。アンタそんなに忙しくないじゃん」

「いやいや〜これが意外と忙しいんですよ。一人だと何かと困るし」

「素性の知れない人物を、わざわざここまで連れてきた意味はあるのかって聞いてんの。そんな軽率なことできる立場じゃないことぐらい分かってんでしょ?」

 彼女の声は苛立ちを超えて明らかな怒気を孕んでいる。

 私はどう振る舞うべきか判断できず、その場で固まってしまった。


「まあまあ」

 猫背の人影は、他と比べて年を重ねたような男の声だった。

「ハイビも何も考えなかったわけじゃないだろう。とにかく、その予定外のお客さんとやらを片付けないことには何にも話せないんじゃないか?」

「そういうこと」


 ハイビは少年を地面に下ろすと、口を覆っていたガムテープを剥がした。本人はそっとやっているつもりのようだが、明らかに少年は痛そうだ。

「痛ぇな、このクソ女!」

 少年の暴言を意にも介さず、ハイビは黒ずくめの5人に向き直った。

「……この子、多分蜂なんだよね。どうしようかと思って」

 少年はハッとし、口を結んで目を逸らす。私は未だに事態を飲み込めずにいた。


 「へえ、これが例の。初めて見た」

 一瞬前まで怒っていた女も興味をそそられたらしく、一気にトーンダウンして少年の顔を覗き込んだ。

「アンタなのね、あいつらに雇われて私らのこと嗅ぎ回ってるっていうのは」

 先程までの威勢が嘘のように少年は黙り込んだ。


 少しずつ状況が見えてきた。どうやら少年……すなわち『蜂』は、ハイビの属するこの集団のスパイのような存在らしい。昨夜のハイビの話から推測するに、おそらくV派のスパイだろう。だとすると、この人らは自然派の一派なのかもしれない。


「……お前、名前は?」

 シバと呼ばれた男が屈み込み、少年に問いかけた。少年は何も答えない。

「その格好、あんまり贅沢な暮らしはしていないわよね」

 背の高い女が呟いた。

「私が聞いた噂だと、蜂はエリート兵士のような扱いを受けているという話だったけれど」

「エリートっていうような強さじゃなかったよ。威勢はいいんだけど目の奥には怖がってる感じがあって……どちらかというと……」

「……追い詰められたネズミのようだな」

 シバがハイビの言葉を継いだ。

「言え。お前はあいつらに何か握られたのか?」

 それでもなお黙りこくる少年に対し、女が再び苛立ち始めた。

「ねぇ、黙ってちゃ何も分からないんだけど。イライラする」

「落ち着けよ」

 ため息をつき、シバは立ち上がった。

「まあ、そんな簡単に口を割るわけもないな……悪い、こいつどこか閉じ込めといてくれ。あんまり手荒に扱うなよ」

「はいよ」

 猫背の男は抵抗する少年の口にガムテープを貼り直すと、彼の体を抱えて姿を消した。

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