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『なんでも屋さん』。言葉の響きから一瞬ふざけているのかと思ったが、名刺が大量に用意されているところを見るとどうやら本気らしい。
「一体何をする仕事なんだ?」
「ちょっとついて来て」
ハイビはベージュのカーディガンを羽織ると、入ってきたドアとは反対側にあるドアを開けた。
途端にがやがやとした人の気配が伝わってくる。驚いたことに、扉の外には地下街が広がっていた。一歩踏み出したとき、通路に線路が敷かれていることに気づいた。
「地下鉄跡か……」
「どうどう?びっくりした?みんな、こうやって地下に住んでるの。ここは商店通りだよ」
確かに、道の両側には看板や商品が並べられている。
「そろそろ朝市の時間だから、人が増えてきたね。……さて。こっちこっち!」
ハイビが颯爽と歩き出す。彼女は結構な厚底靴を履いていたが、それを感じさせないような安定感だ。
その足取りは、『みどりや』と書かれた看板の前でぴたりと止まった。店先に野菜が広げられているところから見ると、おそらく八百屋だろう。
「おばーちゃん!おはよう!」
ハイビの元気な声に呼ばれて、建物内から老婦人が出てきた。この人が店主であるようだ。
「ああ、おはようハイビちゃん。今日も元気だね」
「うんっ、元気だよー!今日はどこに配達したらいい?」
「そうだね、今日はワラビさんとクヌギさんに届けてくれるかな」
そう言うと彼女は麻袋を2つ、そして小さな封筒をハイビに手渡した。そのとき、彼女と私は目が合った。
「あら?なんだか可愛い子を連れているじゃない」
「えへへ、なんと今日から助手ができたのです。チャイ子ちゃんっていいます」
いつの間にか助手にさせられていた私は、慌ててお辞儀をした。
「はい、チャイ子ちゃんね。よろしくお願いします。『みどりや』のミドリです。可愛いから、これオマケしちゃうわ」
ミドリは側にあったみかんを2つ、私の手の平の上に置いた。みかんは小粒だが実は詰まっているようで、しっかりとした重みを感じた。
「あ、ありがとうございます」
「小さいのに大変ね。お仕事頑張ってね」
もう一度頭を下げる。ありがとうおばあちゃん、という元気なお礼と共に、ハイビはみどりやの隣の小さな扉を開けた。中は再び階段だった。
「みどりやさんはね、ウチの昔からのお客さんなんだよ。イイ人でしょ」
結構急な階段だが、彼女は息一つ乱さず話した。私の身体にはやや負荷が強いらしく、息が切れる。
「逆かな。みどりやさんから配達頼まれたのをきっかけに、なんでも屋さんになったの」
「お前は、今いくつなんだ?」
「んー?何歳に見える?」
「……17歳」
「やったあ若く見えるんだ!20だよっ!20歳だから……」
ようやく階段の終わりが見えた。そこは地上だった。明け方である上に空は曇っており、周囲は暗い。
「こんなものにも乗っちゃうのです」
薄暗い路地に、真っ赤なバイクが構えていた。『ハイビちゃん号』という金色のロゴマークが街灯の光を反射する。灰色だらけの風景の中で、明らかに異彩を放っている存在だった。
ハイビは不敵な笑みで『ハイビちゃん号』に跨り、私にヘルメットを投げてよこした。
「さー!助手ちゃんの初お仕事、行ってみよう!」
✽✽✽
ハイビちゃん号は案外快適な乗り心地だった。割と小さめの車体だが、自分も小さいので問題はない。シートが柔らかく、タンデム用のバックレストも取り付けられている。少々大きすぎるヘルメットにはインカムが内蔵されており、運転中でもスムーズにハイビと会話することができた。
「お尻痛くない?大丈夫?」
「それは大丈夫。だが……お前これ、目立ちすぎないか?V派がうろついているんだろう?」
「あはは、そこはほら、ウチのドライビングテクニックでなんとか。『カワイイ』の欲求には勝てなくてぇ」
そう言いつつ、荒れた舗装の上を上手く走り抜けていく。かなり運転しなれているようだ。
配達の仕事自体は特に何事もなく完了した。配達先はどちらも老人だった。地上に隠れ住んでいるらしい。二人ともハイビに感謝しきりだった。
「おやつ、いっぱい貰っちゃったね」
私の腕の中の食べ物たちを見て、ハイビは笑った。両手で抱えるほどの量だ。クヌギという男からの差し入れが特に多い。
「老人は子供に食べ物を与えたがるものだからな」
「孫扱いだよね〜」
バイクの荷台にボックスが取り付けられているのが幸いだった。ボックスに荷物を詰めてもらうことで、ようやく私の手が空いた。
「ああやってね、地下以外にも人が住んでるの。けど、お年寄りなんかは地下街まで買いにいくのが難しいでしょ?だからお届けしてるってわけ」
パチン、とヘルメットの顎紐を留めると、ハイビは不敵な笑みを浮かべた。
「ま、今からが本番なんだけど!」
よく分からないまま、私も身支度を整える。バイクに跨がろうとしたその瞬間、突然ハイビが振り返り、鋭い声を投げかけた。
「誰?」
彼女の目線は私より更に後方に向けられていた。釣られて振り向くが、人影は見当たらない。しかし、ハイビは確実に何者かの存在を察知しているようだった。
「そこにいるの分かってるから、出てきなさい」
数分置いて、建物の間からおずおずと少年が出てきた。12、3歳程度だろうか。痩せた身体とボロボロになった服から、彼が貧困層であることが見て取れる。
「お、おねえちゃんごめんなさい……。さっきその子が食べ物持ってたから、それを……狙ってて……。でももう取らないから、許して下さい……」
どうやら、先程私が抱えていた差し入れが狙いだったらしい。ハイビはバイクを降りると、つかつかと彼に近寄った。
「嘘だよね」
「え……え?嘘じゃないよ……!」
泣きそうな彼の表情にも揺らがず、ハイビは彼の瞳を真っ直ぐ見つめた。
「ううん、嘘。私には絶対分かるよ。殺したり痛い目に遭わせたりしないから、ちゃんと言って」
これまでの彼女の私に対する態度からして、ハイビがそこまで言いきるのは意外だった。子供や老人に優しいお人好しのような印象を抱いていたが、少年の言葉を全く聞き入れる気配が無い。
そんな彼女の姿勢に観念したのか、少年はため息をついた。途端に生意気そうな表情が浮かぶ。
次の瞬間、少年はハイビを蹴り上げた。いや、蹴り上げようとした。しかし、彼の右脚は、ハイビの右手に受け止められていた。
「はぁ?!なんだお前、力強……おいっ、離せ!」
「ハイビ!」
「大丈夫。ごめんね、チャイ子ちゃん。ちょっとそこで待ってて。……君、いきなり蹴りかからないでよ。ウチ暴力嫌いなんですけど」
「離せ!クソっ」
少年は左手を振り上げるがそれもあっさりと捉えられ、あっという間にハイビに動きを封じられてしまった。
「ねえ、諦めない?」
「何言ってんだテメェ、諦めるわけねぇだろ!」
「うーん……そっかあ……。それじゃあ仕方ないなあ」
ハイビはウエストポーチから細いロープを取り出すと、慣れた手付きで彼の手足を縛り上げた。
私はというと、ハイビの思いもよらない側面に唖然としてしまった。強い。なんでも屋さんなどと軽く名乗っているが、本当に『なんでも』こなしているのかもしれない。
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