アンチバーチャルリアリティ
ちゃいこ
第1章
1-1
気がつくと、真っ暗な空間にいた。手で探ってみたところ、どうやら箱の用なものの中にいるらしい。かなり狭い。
頭上からわずかに光が漏れている。もしかしてこれは、開くのだろうか。思いきって天井を押してみた。ぐっと力を込めると、何かが壊れた音と同時に天井が開いた。
ビルの隙間から差し込む明かりが、顔を照らす。どうやらここは路地裏のごみ捨て場らしかった。
まずは自分の体をチェックした。五体満足。足の指までしっかり動く。しかし自分が何者なのか、微塵も思い出せなかった。体が小さく、中華風のスカートを履いているところを見ると、女の子供ではあるらしい。が、全くしっくりこない。どこか他人事のような感覚だった。普通の子供がこのような思考を持つものだろうか、という疑問も浮かぶ。
とにかく、脚に力を入れてみるとすんなりと立ち上がれた。全身、痛みも何もない。健康なようである。
周囲を見渡した。暗さからして、おそらく夜。それも深夜。自分が収められていたのは古紙の回収ボックスだった。生ゴミボックスでなくて良かった、と胸をなでおろした。
脇に置かれていた小さな靴と帽子を身に着け、路地に出てみると色とりどりのネオンが目に飛び込んだ。しかし、きらびやかな装飾に反してほとんど人は通っていない。ピークの時間をはずしているのだろうか。
「あれーどうしたの?こんなとこ、子供はきちゃだめだよ」
若い女の声に振り向くと、そこにはギャルがいた。
「もしかして迷子?パパかママは?」
「…あの、信じてもらえるかわからないのですが、実は記憶がなくて。ここがどこなのか、なぜいるのかも思い出せないんです」
素性の知れないギャルだが、身一つで宿もないこの状況。わざわざ変な子供に声をかけてきたこのギャルの良心を信じた。この子なら、笑ってなんでも受け入れてくれそうな気がした。
「えーウケる。やばいねそれ」
けらけらと笑う姿に私は安堵した。
「どうしよっか、それなると泊まるとこもないよね?うちくる?」
想像以上に順応性の高いギャルだ。今のところは悪い奴には見えない。かなりの空腹をかかえていることもあり、賭けにはなるがここは彼女の言葉に甘えることにした。
「お願いしてもいいですか?すみません」
「いいよー!私はハイビ。なんて呼んだらいい?」
「ううん、そうですね…」
「あっ名前もわかんないのか。そうだねえ、じゃあチャイナっ子のチャイ子ね!」
「は、はぁ……」
「それじゃあついておいで。それから、」
彼女はにっこり笑った。
「堅苦しいから敬語じゃなくていいよ」
「……分かった」
「ええっ、切り替え早いなあ!」
静かな繁華街にハイビの笑い声が響く。先の不安を拭い去るような能天気な響きに、私は少し救われる気持ちがした。
✽✽✽
「記憶、本当に何にもないの?」
自分で淹れたお茶を啜りながら、ハイビは念を押すように尋ねた。頷きながら私も一口飲む。何やらエキゾチックな味がした。合わせて出された菓子パンを頬張り、空腹を満たす。
ここはハイビの部屋だ。地下にあるため窓は一つも無い。コンクリートの打ちっぱなしかつ狭い部屋だが、意外にも整頓されており不快さは無かった。
マグカップを握る彼女の指先には、これでもかというほどネイルデコレーションが乗っけられていた。彼女が動くたびにストーンが電灯の光を受け、きらめいた。
「正確に言うと、自分に関する記憶が無いみたいだ。例えば私のこの格好がキョンシー風であることは分かるし、ハイビのお茶が珍しい味であることも分かる」
私は自分の灰色がかった手の甲と、そしてひび割れた爪を見つめた。
「でも、自分が何者なのか、ここがどこなのか、何故ここにいるのかは……分からない」
「ふーん」
ハイビは立ち上がると、1枚の紙を持ってきた。
「じゃあこれに見覚えはある?」
それは、ポスターだった。綺麗な女性と男性がこちらに微笑みかけている。『理想のあなたに』というキャッチコピーがデカデカと掲げられていた。
「……いや、無い」
「そっか。じゃあ向こう側じゃないのかなぁ」
「向こう側?」
彼女は困ったように笑いながら、ちょっと長くなるんだけど、と前置いた。
彼女によると、今世間は2つに分裂しているらしい。『V派』、そして『自然派』と呼ばれる2つの派閥だ。
きっかけは、バーチャル・リアリティ――仮想現実の発展だった。人工的に作られた世界は急速に拡大し、多くの人々が魅了されていった。
「これまでのゲームや漫画でもそうだったようにね、バーチャルに依存する人がいっぱい出たんだよ」
依存する者は皆共通の問題を抱えていた。それは、『現実世界の自分を受け入れられない』という自己承認障害である。特に、自分自身の外見を否定する、全ての不幸の原因を外見に求める人々が多く見られた。
仮想空間における自分、すなわちアバターは自分の好きなようにカスタマイズすることができる。これは、外見のコンプレックス解消に大いに役に立った。自分の思う通りの姿で、思う通りに振る舞える。依存者は増える一方だった。
そのうちに、意識を完全に仮想空間へ移し替える技術が生まれた。自分自身の体をアバターとすることによって現実世界に戻ることが可能、という技術だった。この技術を用いて仮想空間に生きる人々は『アンリアロイド』と呼ばれた。
「そうなると、どっちが仮想でどっちが現実なのか分からなくなるな」
「そうなの。仮想空間に入り浸ってる人たちにとっては、アバターこそが本物の自分で、気に入らない現実の自分こそ仮だ!ってことになっちゃったの」
「やっぱり」
「でもまぁ、ぶっちゃけ、ウチはそれでも良くない?って思ったんだよね。ウチらは別にそれでも困んないし。その人たちにとってそれが幸せだって言うなら、なんか外野がとやかく言うことじゃなくない?って」
でもねー、と彼女はため息をついた。
ある日、『メシア』と名乗る男が現れた。話術が巧みな男で、人の心を掴むのが上手かった。そして彼は現実世界の自分と、現実世界そのものを憎んでいた。
メシアはアンリアロイドを煽り、まとめ上げて徒党を組んだ。彼らは、仮想世界こそ真であり、現実世界は放棄すべき偽物の世界であると強く主張した。具体的には、人類の仮想空間への移住を要求した。
「もちろん、最初はアンリアロイド以外の人たちは相手にしてなかったんだよ。でも、政府が向こうについちゃってからは状況が変わった」
「政府が?」
「そう、びっくりだよね。とにかく、それ以降は仮想世界に住みたくない人もどんどん住まわされるようになって……この辺は、それから逃れた人たちがこっそり住んでる地域。さっき人通り少なかったでしょ?いつあいつらが来るか分からないから、あんまり出歩けないんだぁ」
それからというものの、メシア側の人間をバーチャルのVを取ってV派、ハイビたち仮想空間に移り住みたくない人々は自然派と呼ばれ分裂しているらしい。
ハイビは先ほどのポスターをつまみ上げてひらひらと振った。
「もしチャイ子がV派の人間だったら困るからさ、だからこのV派の宣伝ポスター見せたの。まぁ、このポスターの記憶も無くなってたら意味ないんだけど。一応ね」
彼女はポスターを投げ捨て、カップに残ったお茶を飲みきった。
「大体こんな感じかな!長くなっちゃったね、ごめんね。今の話で何か思い出した?」
「説明ありがとう。大体飲み込めたよ。今のところは何も思い出せていないけど……なんとなく、そのアンリアロイドたちの行動について引っかかる」
ハイビから聞いた話がそのまま全て事実であるとすれば、それはおかしな話である。そもそも何故、政府がそのような馬鹿げた話に乗ったのか。いくらメシアの口が上手かろうと、政府全体を言いくるめられるものだろうか。
やけに興味を惹かれる。もしかすると、私の記憶に関係があるのかもしれない、という淡い期待が胸に湧いた。もう少し情報を集める価値はありそうだ。
意を決して、私はハイビに言った。
「ハイビ、しばらくお世話になってもいいかな?ちょっとV派について調べてみたくて。家事とか仕事とかできることがあれば、もちろん手伝うよ」
「全然いいよ!むしろ歓迎!ひとりで働いてるからちょっとお手伝い欲しかったんだよね」
あっけらかんとハイビは受け入れた。ありがたいが、素直すぎてやや不安になるほどだ。
そんな私の不安をよそに、ハイビは何やらポケットを漁っていた。
「ウチのお仕事、教えてなかったよね。はい!これどうぞ!」
彼女が差し出したものは名刺だった。手作りらしく、丸っこい字が並んでいる。
「なんでも屋さん……?」
「そう、なんでも屋さん!なんでも屋さんのハイビです!」
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