プロローグ
第1話 僕の家庭にサンタはいない
わたしの家にはサンタクロースがいませんでした。
赤い服。白いひげ。トナカイが引くそりに乗って世界を回り、子供たちに夢と玩具を配るあの心優しい老人、サンタクロース。
もちろん、子供だっていつだってそんなきらきらした絵空事を信じているわけではありません。成長するにしたがって、そりが空を飛ぶわけがないこと、たった一人の人間が一夜の間に世界を回れるはずがないこと、そしてその正体が自分の両親だという興ざめな事実にも気づくことでしょう。
けれど、わたしには最初からそのような夢を見る機会さえ与えられませんでした。聖夜、わたしと同じ年頃の子供たちがそうするように、期待に胸を膨らませながら枕元に靴下を用意することも、サンタの姿を一目拝もうと慣れない夜更かしをすることもありませんでした。後年、大人たちが微笑ましい子供時代のエピソードとして語るような、そんな体験をわたしは最初から奪われていました。わたしは幼稚園のクリスマス会にやってきたサンタでさえ、その正体が一年下の組を担当するS先生であることを看破していました。
なぜなのか。それはわたしが育った家庭がこの半ば国民行事と化した茶番に熱心でなかったという単純な事実に拠っています。
わたしの両親はとあるキリスト教系の新興宗教の信徒でした。一時期、著名人らがこぞって入信したことで有名なあの教団です。その手のことに疎い人間でも、名前くらいは聞いたことがあるでしょう。わたしの両親も教団によって引き合わされ結婚した夫婦でした。わたしの名前も、教団の「偉い人」につけてもらったそうです(それが当時の信徒にとって一般的な命名法だったのです)。
わたしは幼い頃から教団の教えを聞かされて育ちました。わたしたち家族が住んでいた2Kのマンションには、教祖の写真が飾られたささやかな祭壇とも云うべきスペースがあり、たとえば、わたしの誕生日の朝には家族揃って正装しその祭壇の前で祈祷をささげたものでした。
わたしの家には神様がいました。けれど、サンタクロースはいませんでした。
あれはわたしが三歳くらいのときだったと思います。覚えているのはそれだけ。それが一年のうちいつごろの時期だったのかも思い出せません。しかし、おそらくクリスマスが近い時期だったのでしょう。わたしは母に何気ない質問を投げかけました。
――サンタさんって何?
母は料理の手を止めて、懇切丁寧に教えてくれました。サンタクロースというメルヘンチックな虚構。世間の家庭で親たちが骨を折る泥臭い茶番……。いっそ丁寧すぎたくらいです。三歳の子供に企業が展開するクリスマス商戦や両親がこぞって演じる茶番の意味を理解しろと云ってもどだい無理な話でしょう。けれど、それで充分理解できたこともあります――サンタなどいないのだと。
神の存在とサンタクロースの不在。この事実が象徴するものはいったいなんでしょう。
わたしが幼い頃のことでよく覚えているのは、母がよく父の愚痴をこぼしていたということです。曰く、「お父さんは察しが悪い」、「お父さんは家事をまるで手伝おうとしない」エトセトラ……。
そんなことを子供のわたしの前でことあるごとに聞かせるのです。尤も、これは当然といえば当然のことかもしれません。うちの両親は本人たちの意思によって結ばれたわけではないのですから。お互いに不満があったところで驚くことではありません。その関係性に夫婦愛と呼ばれるものがなかったところで驚くことではありません。彼らを結び付けていたのは教会の定めと、わたしという子供の存在だけでした。そんな家庭にホームドラマに出てくる家庭のようなぬくもりを期待するのは無理というものです。
わたしはおせち料理を食べたことがありません。
誕生日プレゼントをもらったことがありません(一ヶ月分のお小遣いにあたる現金をもらったことはありますが)。
家族で旅行に行ったこともありません。
家族のアルバムには、わたしが物心ついて以降の写真がありません。
こんな家庭では、サンタクロースなどというばかばかしくも微笑ましい茶番を期待するのも無理というものです。わたしの家庭には神様がいました。けれど、サンタクロースはいませんでした。愛はありませんでした。
わたしは何も茶番に不熱心だった両親を恨んでいるわけでも、そんな家庭に生まれた自分を哀れんでいるわけでもありません。ただ、わたしの家庭には生まれたときから他の家庭と何か決定的なズレがあったような気がして仕方がないのです。もちろん、どんな家庭でもどこかしら「ズレ」はあるのでしょう。自分の家庭がとりたてて特殊だと云うつもりはありません。わたしはただ、自分の家庭に固有の「ズレ」がどのようなものだったかを知りたいのです。そして、そのズレが何なのかと考えるとき、いつも行き着くのがこの神とサンタの問題でした。
そう、サンタクロースなどいない。わたしはずっとそれを知っていました。知らなかったのは、それを知っているのが自分だけだったというその一点に尽きます。
わたしのマンションの近くにはささやかな児童公園がありました。ブランコ、シーソー、ジャングルジム。それらが揃ったいたってオーソドックスな児童公園。敷地のすぐ横には駄菓子屋があることから、近所の子供たちの間では人気の遊び場でした。
小学校に上がる少し前、母と二人でその公園を訪れたことがありました。すると、顔見知りのお兄さん――たしかわたしより一つ上だったはずです――がご機嫌な様子でラジコンカーを走らせていました。わたしの目線は地面の上を縦横無尽に駆ける無骨なフォルムに釘付けになりました。
――それ、どうしたの?
答えるお兄さんは誇らしげでした。
――サンタさんにもらった。
わたしは一瞬、そのお兄さんが何を云っているのか解りませんでした。母がわたしにこっそり耳打ちしくれなければ、きっといつまでもその意味を図りかねていたことでしょう。
――あのお兄ちゃんはサンタのことを信じてるの。
サンタクロースを信じている。そんな子どもがいるとは夢にも思わなかったわたしは世界がひっくり返ったような衝撃を受けました。いったい、どうしてそんなファンタジーを信じられるというのでしょう。
サンタ。それはわたしにとってディズニー映画のミッキーやドナルドと変わりない存在でした。現実に存在するものとして考えたことがなかったのです。あのお兄さんはサンタの正体を一度も疑ったことがないのでしょうか。ディズニーランドに行けば、着ぐるみのミッキーを本物だと信じるのでしょうか。そんな疑問で頭がいっぱいになりました。
世界がわたしが思うほど単純には出来ていないことを知ったのは、あのときが初めてだったと思います。みんながみんな、わたしと同じように世界を見ているわけではないのだと気づいたのは。世界と自分との間には埋めがたい「ズレ」があるのではないか。そう思うようになったのは。
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