二人の夕食
ロベルトは誰かが懺悔室の戸を叩く音で目を覚ました。小窓から差し込む光は部屋を茜色に照らしている。どうやら随分と眠りこけていたようだ。恐らく夕食が運ばれてきたのだろう。
昨日の昼から何も食べていなかったことを体が思いだしたのか腹の虫がなく。毛布から這い出るようにして戸に近づく。外から鍵を開ける音がして、扉が開く。
そこに立っていたのは配膳トレーを両手にもった例の男だった。
「よお、元気してたかロランドくん」
「なんでお前がここに!」
「なんでって、シスターに頼まれたからだよ。忙しいからロランドくんへ夕食を運ぶの手伝ってほしいってさ」
ロベルトからすれば明らかにそれはシスターの口実なのがわかったが、わかったからといってどうにかできることでもない。とりあえずシスターへの恨み事は飲み込んで、この男の狙いを探る。
「それで何が目的だ?」
「さっきいったじゃないか、夕食を運んできただけだって」
「本当か?」
「こんなことで嘘つく必要はないだろ?」
男の様子に不審なところはない。嘘をついているような顔もしていないように感じられた。もしかしてまだシスターはなにも言っていないのだろうか。バレていないんじゃないかとロベルトは推測した。深く呼吸を一度して冷静に考える。ここは穏便に済ませるのがよさそうだと判断する。
「わかった。部屋に入ってくれ」
「言われなくても入るけどな。そういえばまだ自己紹介してなかったな。俺はアスラ・アーロン、帝国軍公務課の者だ。よろしくロランド」
「俺はロランドじゃない、ロベルトだ」
「ありゃ、これは失敬。咲夜がそう呼んでたからそうなのかと思っちゃったな」
アスラが申し訳なさそうに後頭部を掻く。
久しぶりの食事の匂いに腹の虫がますます暴れだす。ロベルトは耐えきれずに思わず口を出した。
「はやく飯わたしてくれよ、腹減ってるんだ」
「それもそうだな、とっとと飯にするか!」
そういってアスラは両手に持ったトレーを机に置く。
「これ二つとも俺のか?」
「おいおい随分と食いしん坊だな。片方は俺の分だよ。せっかくだし一緒に食おうと思ってな」
アスラはロベルトと向かい合うように椅子をもってきて座り込む。ロベルトは困惑の念を隠せずにいた。
(なんでわざわざ俺と? もしかして毒でもいれてるのか?)
そう一度思ってしまうと目の前に置かれているトレーの上に並んだパン、シチュー、サラダたちがとてつもなく恐ろしいものに見え始めた。
それを知ってか知らずかアスラは食事を始める。
「いただきます」
「……」
しばらく二人の間にはなんの言葉も生まれなかった。ただひたすらにアスラが食事する音だけがこの小さな部屋のなかに満ちていく。ロベルトの心拍は加速していく。先にこの沈黙を破ったのはアスラだった。
「なぁ……、食べないのか?」
一見心配そうにこちらを見つめる二つの眼。しかしそれはロベルトにはなにか裏があるようにしか見えなかった。しかしその一方でその言葉に逃げ道を見いだしたロベルトは返事をする。
「うん、昨日から食欲がなくて……」
「そうだったのか、すまんな気づかなくて。大丈夫か? シスター呼ぶか?」
「いや、大丈夫」
どうにか上手いこと誤魔化せた。そう思ってロベルトが気を抜いた瞬間だった。限界まで追い込まれたロベルトの胃袋は本人の意思とは無関係に、そして盛大に音をならした。
それを聞いたアスラは顔をほころばせ言った。
「やっぱり腹減ってるんじゃないか。俺に遠慮せず食ってもいいんだぞ」
スプーンの先を此方に向けるアスラ。ロベルトにはキラリと光を反射するそれが喉元に突き付けられたナイフのようにも思えた。
「いやホントに食欲ないんだって。いやホントにホント」
口ではそういってるが誰がどうみても嘘にしか見えない。アスラは少し考えるような素振りをみせると、なにか得心が行くように手を打った。
「ああ、お前苦手なものがあるんだな」
「違うって!」
「俺もな昔はそうだったぞ、でもな~好き嫌いは良くないぞ」
そういってロベルトに食器を手に持たせようとするアスラ。抵抗しようにも大人と子供である。ろくな抵抗はできていないがそれでもロベルトは全力で暴れだす。
「強情なやつだな。こういうやつには荒療治が効くんだ」
アスラはおもむろにシチューを掬ってロベルトの口元へ運ぶ。それに対して嫌々をするように顔を背けるロベルト。しかしそれにも限界がきて、頭を手で抑えられ気がついたらスプーンが口の中に差し込まれていた。
(死んだ、飲まされた……ロレッタ……シスター、皆さようなら……)
死を覚悟したロベルトだがしばらくしても体にはなにも起こらない。呆けているロベルトの口に2杯目のスプーンが差し込まれる。そうしてロベルトは気がついたらシチューの半分を飲み干してした。そこで初めて毒がないことに気がつくロベルト。
そこからはアスラの手にあるスプーンを引ったくるようにして取り掻き込むように目の前の食事を貪った。
「やっぱりな、お前食えるんじゃないか」
ロベルトの後ろに回り込んでいたアスラは席に戻り自分の食事の続きを取る。
再びの静寂が懺悔室を満たす。今度は二人の食事の音が響いていた。それから時間が経ち片方の手が止まる。ロベルトが食べ終わったのだ。ロベルトの食事はけして少ないというわけではなかったが、実に一日ぶりの食事であったので夕食の量が足りなかったのである。むしろ少し食べた分だけ余計に腹が減ってしまったようにも思える。
思わず視線がアスラの食事のほうに向いてしまう。それにアスラが気がつく。シチューを掬う手が止まりロベルトに問う。
「どうした?」
「……なんでもない」
「そうか」
再び食事に戻るアスラ。その様子を無言で見つめるロベルト。何度目かの沈黙が場を満たす。二三口目で視線に耐えきれずにアスラが告げる。
「……よかったらこれ食うか?」
~~~~~
ロベルトがアスラの分を食べ尽くすのにもそこまで時間は掛からなかった。
「お前凄い食うな……俺の分なくなっちゃったよ」
「すまん……」
ロベルトは警戒していた相手から食事を分けてもらったことによる妙なばつの悪さに赤面していた。
「まあ気にすんな、腹減ってたんだろ? 俺は俺でなんとかするさ」
アスラはさして気にした風でもないが、ロベルトはいっそう自らの行動が恥ずかしくなった。ロベルトがうつむいている間にアスラは二人分の食器を片づけている。お互いに何も喋らない。
「じゃあまた明日な、ロベルト。お休み」
「……」
そうしてアスラは部屋を出て行った。あとに残されたのは狭い部屋にロベルトのみ。
(いったいなんだったんだ。結局バレてないってことでいいのかね? なにがしたかったんだあいつ)
ロベルトは毛布にくるまってしばらく頭をひねっていたがアスラの意図はさっぱりわからなかった。しかしすぐに疲れて眠りについてしまった。もともとあまり頭を使う性質でもなかったのだ。そうなるのは必然とも言えた。
~~~~~
次の日の朝もアスラは部屋に現れて共に食事をとった。特にこれといったことも起きずに昼になる。昼食を持ってきたときにそれは起きた。
「入りますよ、ロベルト」
懺悔室に入ってきたのはアスラとお供の女軍人。それにシスター・ディアナだった。
「これからあなたはアスラさんたちに街の案内をなさい」
「……なんでだよ」
「アスラさんたちはお仕事でこの街に来たらしいのだけど、この街は広いでしょ? 道がわからないと思って」
「だからなんで俺なんだよ」
「ロレッタは家事の手伝いで忙しいし、他の子は小さすぎる。私は子供たちの面倒を見るので忙しいしね。それに明後日はロレッタのお別れ会の準備をしなきゃいけませんからね」
「ッ……」
納得いかなかった。
「そんな反抗的な態度をとっても駄目ですからね。やらないならここから出してあげません」
そんな二人の間の危うい雰囲気を察したのか女軍人のほうが口を挟む。
「結構ですよ。泊めていただいてるだけででもありがたいんですから。街は自分たちでも回れますよ。ね? アスラ」
「おう、そうだな。多分大丈夫なんでいいですよ。みなさんお忙しんでしょう。無理言ってすいません」
「いえいえ決して無理ではないですよ。ただこの子が頑固なだけですから」
そのやり取りをみている間にロベルトはふと昨日のことを思い出した。夕食を譲ってもらったことだ。のどに刺さる魚の小骨のように未だに引きずっていたそれを、ロベルトはアスラへの”借り”だと感じていたのだ。無意識下ではあったがそれがロベルトの頑なな心を動かした。
「……受けてやるよ」
「「「えっ」」」
三人は驚いたような顔をしてロベルトの方を向く。ロベルトは叫ぶ。
「だから、受けるってんだよその依頼!」
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