第8話 黒
布の仕切りで厳重に保護された部屋の奥で寝ていた老婆は、やつれ切って、目は落ち窪み、肉は削げ、骨の上に皮だけ貼り付けたような、亡霊のような人相をしていた。
「母さん、勇者様が訪ねて下すったよ」
レイラがそっと母親に声をかけると、老婆は震えながらゆっくりとこちらに視線を向け、小さな呻き声を漏らした。
何か言おうとして低い唸り声のような音を数度出していたかと思うと窪んだ目から涙を流し、縋るようにこちらに手を伸ばそうとした。
「大丈夫ですか」
老婆の元へ寄り、手を握ってやる。老婆は弱弱しい力で、俺の手を握り返した。
ふいに服を引っ張られ後ろを向く。
そこには、息も絶え絶えなレジーナが立っていた。
「勇者、もう、もうダメだ、早くここか、ら……う゛」
突然口を抑え、びしゃびしゃと嘔吐し始めた。それと同時に、地面がガタリ、と大きく揺れる。きゃあ、と一言叫んでレイラは、母親の方にむかって逃げ出した。
「う、ぐ……うう」
そのままボロボロと涙をこぼし始める魔王を中心に、地面にはヒビが入っていた。未だ地面は揺れ続け、地面の亀裂も少しずつ大きくなっていく。
俺は老婆の手をそっと離し、魔王を押し倒した。
その瞬間、ぐらり、と一際大きな揺れが襲う。
思わず剣を呼び出し、そのまま魔王の首を刎ねてしまう。
部屋の入口の方に飛んで行った首は一緒に切れたフードごと、そのままごろりと転がり、こちらを向いた。地面の揺れが収まる。
刎ねられた魔王の首は、首だけのまま、さらに泣き出した。
「痛い……嫌だ……痛い」
俺の下でだらりと力なく横たわる体と飛んでいった魔王の首の切断面から、どろりと、真っ黒な、晴れの日の夜空よりも真っ黒な液体が溢れ出す。
「しまった……っ」
その液体はふつふつと蒸発するように、空気に混ざっては消えていく。咄嗟に口を押えたが、その時にはもう手遅れだった。
目の奥がじわ、と熱くなり、涙がこぼれてくる。胸のあたりがしきりに寂しさを叫んで痛かった。
「勇者……殺してくれ」
涙でぼやけた視界の先で、魔王の首が呟く。脱力していたはずの魔王の体が縋るように剣を持つ方の腕を掴んできた。
「勇者……私を、殺してくれ」
縋る魔王の腕を振りほどいて立ち上がる。涙腺が壊れてしまったみたいで、涙が止まらなかった。虚しさが喉の奥で疼いている。
床に転がる魔王の首を持ち上げて魔王の体とくっつけてやる。切断面はすぐに元通りにくっつき、だらだらと垂れ流していた黒い液体が流れることもなくなった。床に残った液体だけが今もなお空気と混ざり合って消えてゆく。
「勇者、この呪いが、お前だけが希望なんだ。私を殺してくれ」
手の甲の隷属の印をするりと撫でてレジーナが俺を見る。
魔王も泣いていた。
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