夜、夢、目覚め
その日は仕事の最終日だった。俺は同僚たちと飲みに行って、終電で家に帰った。アパートの前まで来たのは日付けが変わって小一時間経ったくらいだ。ふと、俺は向かいの家の前にあるものを見た気がして立ち止まった。
目を凝らすと、街灯の光の中に、たしかに黒っぽい影が立っているのが見えた。ぼーっとした頭で影を見つめているうちに、影が少しずつ大きくなっているように感じる——まさかと思って目をギュッと閉じてまた開くと、影は俺の目の前にいた。暗闇でも分かる、毒霧対策マスクの輪郭線。俺より10センチは背の高いそいつは、俺が声を上げる前に俺の頭の上からマスクをズボッと被せた。
「うわっ!何をする!」
自分の大声がマスクの中で反響する。突然黒いレンズで覆われた目は何も捉えることができず、俺は何度もまばたきを繰り返した。しばらくしてようやく目が慣れた時には、目の前のマスク男は消えていた。
だが。
荒涼としたアスファルトが続き、道の両側には無残に朽ち果てた鉄骨の名残だけが立ち並ぶ光景に、俺は目を見張った。吹きすさぶ突風はどこか黒みを帯びていて、まるで毒霧のシャワーを浴びているようだ。
「なんだ、これ……」
俺はポツリと呟いた。人っ子一人いない荒れ果てた町で、自分ひとりが立っているのが不思議でしょうがない。世紀末VRゲームの主人公にでもなったような気分だ。
ふと、どこかからガチャンという物音とビャッという鳴き声が聞こえた。音のした方に行くと、果たしてそこにいたのは見たこともない生き物だった。
猫くらいの大きさの楕円形の体、胴にじかについている頭、短すぎてあるのかないのか分からない2本の足。それとは反対に腕——それとも前足か——はそれなりの長さがあり、なかなか強靭そうに見える。ミーアキャットのように立ち上がって俺の方を向いているそいつのまん丸で真っ黒な目が俺の目を捉える。そいつはフクロウがやるようにぐるりと頭部を1回転させると、ヴァ―と鳴いた。ひどく声のしゃがれた猫が鳴いたようだ。
「……お前、何だ?」
「ヴァ―」
「ここに住んでるのか?」
「ヴァ―」
「なあ、この町に何があったのか知らない……よな、お前に言ったってしょうがないか」
「ヴァッヴァッ」
生き物は器用に身をひるがえして、前足で地面を押して跳ね始めた。跳び箱の要領で地面を蹴ってどんどん前進する生き物を追いかけて、俺も走りだした。
「おい、待て!待てって……うわっ!!」
だが、10歩も行かないうちに、俺の足がもつれた。なすすべもなく地面につんのめり、頭でもろに衝撃を受ける。目の前が真っ暗になって、頭の中でヮーン……と音がする。
「……い、おい!おい!!あんちゃん!あんちゃん、起きな!」
誰かに肩を揺さぶられて、俺はハッと目を覚ました。
場所は俺のアパートの前、電柱も街灯もアパートも近所の家々も全てが元通り揃った世界だ。
「あれ……おれ、こんなとこで、な、なにを……」
「何って、あんちゃん覚えてねえのか?この街灯にもたれかかってぐっすり寝てたんだよ。酔っ払いだか何だか知らねえけど、困るんだよ~うちの前で寝られちゃあ、分かるだろ?」
次第にはっきりしてきた意識の中、俺は声の主に気付いた。アパートの向かいの家で奥さんと娘さんと暮らしている、中年のおじさんだ。
「……あ、すみません!!俺、すっかり寝てたみたいで」
「やっと気づいたか。お仲間と楽しくやるなとは言わねえけど、飲みすぎは良くなぜ。目が覚めたんなら早いこと帰って布団で寝な。」
そう言って、おじさんは家の中に入っていった。俺は立ち上がってズボンの尻を払うと、アパートの階段を上って部屋に入った。電気もつけずに、ネクタイを外して放り投げると、俺はベッドに頭から倒れこんだ。
次の朝、俺は珍しく5時には起きなかった。
ある朝、起きたら…… 故水小辰 @kotako
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ある朝、起きたら……の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます