第17話

「超能力者だった、か。じゃあ、お前も朝比奈さんや長門よろしく、自分が超能力者だったことを証明できないってわけか」

「ええ、恥ずかしながらおっしゃるとおりです」


 別に恥ずかしがってもらう必要はないが……。……そうだ。なんで今まで思いつかなかったんだ。こいつらが5月下旬まで宇宙人やら超能力者だったってんならその時の映像なり何なりを見せてくれればいい。スプーン曲げでもテレポーテーションでもいいさ。映像のひとつやふたつあるだろう?


「……どうやら、まだあなたはこの世界の状況を正しく理解しておられないようですね。いえ、我々も正しくこの世界を認識しているわけではありませんので、偉そうなことは言えないんですが」


 どういうことだ。俺の認識がずれているってのは?


「5月下旬にこの世界が造られたということは長門さんからお聞きしているでしょう?」


 ああ、聞いたさ。わけはわからんがな。その時に長門も朝比奈さんも能力を失ったってこともよ。


「そのとおりです。ですが、あなたは5月下旬に長門さんも朝比奈さんも能力を失ったと聞いて突然普通の人間になってしまった、と認識しているかもしれませんが、そうではありません。5月下旬を境に我々は『元々から普通の人間だった』というように書き換えられてしまったんですよ。したがって、僕たちが未来人や宇宙人や超能力者であった証拠はこの世界には一切残っていないんですよ。恐ろしいことです。いわゆる世界改変というやつです」

「世界改変だと?」

「ええ。それこそが涼宮ハルヒを特別たる存在にしていた理由なのですよ。彼女はあったことをなかったことにしたり、その内容を変化させたりすることができたんです。まさに超常の力。神と称しても過言ではないでしょう」


 ……レトロゲームのボス前でセーブして、負けたら電源切ってやりなおしみたいなことを現実でできるってことか?


「ははは。面白いたとえですね。おそらく彼女ならばそう言った事象を起こすことも可能でしょう。その気になれば魔王の存在をなかったことにすることもできるでしょうし、勇者のステータスをカンストさせることもできたでしょう」


 ……この世でそんな裏技みたいなことをされたらたまったもんじゃないな。


「まったくです。もっとも彼女は性格こそ破天荒でしたが、常識的思考の持ち主でもありました。ですから、彼女の感情が落ち着いているときは世界の物理法則を大きく崩すようなことは滅多にしませんでしたよ。厄介だったのは彼女がそんな能力を持っているということを自覚していないことにありました。彼女が不機嫌になるたびに物理法則が乱れ、世界崩壊の危機に直面するわけです。そのたびに我々機関は奔走していました。おそらく、未来人と情報統合思念体なる宇宙人もね」


 世界改変ね。正気じゃない話だが、朝比奈さんも長門も古泉も嘘を言っているようには思えない。その言葉の端々に真意が籠っているようにオレには感じられた。……どうにも俺はナツホの毒を受けすぎておかしくなっちまったらしい。こんな荒唐無稽の話を信じようとしているんだからな。さて……。


「だが、お前の言うことは矛盾しているな」

「何がです?」

「この世界が改変されたというなら、お前らの記憶に宇宙人だった、未来人だった、超能力者だったということが残っていることはおかしいじゃないか。その涼宮ハルヒってのは聞いてりゃ神様なんだろ? 神様が記憶を残すなんてミスを犯すとは思えんがな」

「なるほど。おっしゃるとおりです。こればかりは僕も論理的な説明をすることができません。何か意図があるのか、それとも単なるミスなのかはわかりませんが、僕らが未来人、宇宙人、超能力者だった記憶は残っていますし、僕らが超常的存在だったのは間違いありません。これは証明のしようがありません。わかってしまうんです。そう言うほかありません」

「都合の良いこったな」

「あなたから見ればそうでしょうね。実を言えば我々も混乱の渦中にいるのです。本当は僕たちがおかしくなったんじゃないか、という風に考える機関の人間も実際います。しかし、僕らがおかしくなったにしては共通する記憶を持つ人間が多すぎるんですよ」

「……それで、朝比奈さんも長門もお前もなぜそんな世界の隠された真実を一般人たるこの俺に話すんだ。朝比奈さんも長門も俺のことを希望だの望みだの言ってくれていたが、俺にできることなんざねえだろ?」

「確かにあなたは何の能力も持たないただの人間です。しかし、できることはあるんですよ。いえ、あなたにしかできないと言った方がいいでしょう。……1カ月半前、涼宮ハルヒに刺激を与え、この世界を造るように仕向けてしまった人間がいます。仕向けたというと聞こえは悪いかもしれませんが、結果としてこの現状を起こさせた人間がいるのです。すでにお二方のどちらからか聞いているはずです。あなたは向こうの世界に存在したある人間と非常に似ている。……もうお分かりですね? あなたのモデルになった人間こそ、涼宮ハルヒに刺激を与え、この世界を造らせる遠因となった存在なんです」


 長門は言っていた。俺とナツホはコピー元のない人間だと。だが、ナツホはその涼宮ハルヒとやらの代替人物だそうだ。そして、同じようにコピー元の世界に俺に似た人間がいるらしいな。


「……ここからは推測でしかありません。なんの根拠もない希望的観測です。しかし、朝比奈さんも長門さんも、もちろん僕もそんな不確かなものに縋ろうとしているのです。……ナツホさんが涼宮ハルヒの代わりを務めているのなら、キョンと呼ばれた男子の役割もまたあなたが務めているのではないか。あなたの言動が鈴宮ナツホを神として覚醒させるのではないか、とね」


 ナツホを神にするだって? それも俺が? マジに言っているのか?


「少なくとも我々『機関』は大マジです」


 古泉の見開かれた眼はこれまで見たことがないくらいに真剣だった。本気らしい。勘弁してくれ。何をすりゃいいってんだ。


「それはわかりません。いえ、もしわかっていたとしても我々の口から言えるようなことではないのですよ。あなたの心からの行動が伴わなければ意味がないのです」


 古泉が無責任なことを言い出しやがった。まるで、俺の双肩に世界の運命が掛かっているかのような物言いだな。


「ええ。そのように受け取ってもらって構いません。そのとおりです。あなたは世界を背負っているんです。大変なことです」


 古泉の表情はいつもの営業スマイルに戻っていた。軽く言ってくれるな。悪いが、まったく背中に重みは感じないな。仮にナツホが神になれるとしてなぜ俺が協力する必要がある? この世界が5月下旬に始まったとして、何か不具合があったか? ないならナツホを神にする必要もないだろう。


「目に見えた不具合は今のところ、ありません。しかし、断言します。間違いなく悪い状況に進んでいるんですよ、この世界は」


 長門も口にしていたが……、まさかお前も世界の終焉がなんだと言い出すつもりか?


「それもご存知でしたか。我々『機関』もその点については長門さんと同意見です。まもなくこの世界は崩壊します。時間の猶予はそれほどないでしょう。ですから、あなたに早く行動を取っていただかないといけないのですが……。中々どうして、これがうまくいかない。先ほども言ったようにあなたの意志が重要なファクターを占める問題ですからね」

「ナツホが神になりかねない存在だとして、それのきっかけがなんで俺だと言い切れるんだ? 俺にコピー元の存在がいないからか?」

「……あなたが選ばれた理由がおわかりにならないと本当におっしゃっているのですか? あなたは『キョン』と呼ばれた向こうの世界の男子に似て賢しい方だと思っていたのですが……。いえ、このことに関しては向こうのあなたも大した違いはありませんでしたね。失念していました」


 古泉はくつくつと喉を鳴らして笑う。不愉快な笑みを殴ってやりたい。


「失礼。あなたの顔に彼の面影が映ってしまいましてね。……体感としてはわずか一か月半前のことだというのに懐かしい。と同時に二度とあの二人に会うことができないのかと思うと寂しくもある……」


 古泉は遠い目をして夕日を見つめていた。悪いが野郎とノスタルジーな空気を楽しむつもりはないぜ。


「その『キョン』とかいう男を少々買っているみたいだな。どんな男だったんだ?」

「おや、興味があるのですか?」


 まあな。ジョンと呼ばれるオレと同じくけったいなあだ名をつけられている奴を他人とは思えん。


「あなたと同じく本名をもじって『キョン』と呼ばれていたようです。本人は嫌がっていたようですが、親交のある級友のほどんどは彼のことをそう呼んでいました。もっとも僕は彼のことをあだ名で呼んだことはありませんがね」


 古泉は腕を広げて肩をすくめる。


「あそこに建っている工場が見えますか?」


 話を変えるように古泉は橋から見て東にある工場を指さす。コンクリートで舗装された海岸沿いに広がるデカい建物たち。確かあそこは日本でも有数の鉄鋼メーカーの工場だったはずだ。ガキのころに社会科見学で行ったことがある。


「あれがなんだってんだよ」

「あそこの工場がある住所名をご存知ですか?」

「ご存じでないな」


 これからの俺の人生とは無関係であろう工場の住所なんざいちいち覚えるものかよ。


「ご自分の住んでいる街なんですよ? 少しくらい興味を持っても良いかと思いますが……。あの工場がある場所は『朝凪町』というそうです。なかなかかわいらしい響きだと思いませんか?」


 響きがかわいいというのは同意してやる。ただ、目の前に広がっているのはかわいいとは口が裂けても言えないごつい工場だがな。


「時に朝凪という言葉がどういう意味かご存知ですか?」


 ……たしか……、凪ってのは海風と陸風とが移り変わるときに風がやんで波が立たないことを言うんじゃなかったか? それが朝に起きるから朝凪だろ?


「その通りです。博識ですね」


 バカにしてんのか? 常識の範疇だろうが。


「お気に障ったのなら謝罪します。そう、風がやみ波が立たなくなっている様子のことを凪といいます。夕方に起こる凪を夕凪というそうです。朝にも夕方にも凪は起こるのに地名を朝凪にするというのはやはり夕方という夜に移り変わる時間を名付けるのは後ろ向きに感じるからでしょうかね」


 知らん。そんなに気になるなら地理学者にでもなりゃあいい。いや、この場合は歴史学者か?


「この凪と呼ばれる海の状態、まさに今のナツホさんを表しているようではありませんか?」


 なんだと?


「彼女は現状何の力も発現していません。まさに小康状態。彼女の心の内は今、凪のように全く波風が立っていない」


 ナツホが凪状態だって? 冗談も休み休み言え。お前も普段から目にしているだろう。あいつはいつだって暴風雨だ。俺もお前も被害にあっているじゃないか。


「それは目に見える範囲にすぎません。彼女が涼宮ハルヒに代わり神の力を受け継いでいるとすれば、その兆候は全く見られていません。彼女の心は今、無風なのですよ。このままでは宇宙が崩壊しかねません」


 あいつの心が無風だから宇宙が崩壊するってのはおかしいだろ。お前も言っていたじゃねえか。涼宮ハルヒなる女は不機嫌になるたびに世界改変とやらで物理法則を崩していたんだろう? ならナツホがおとなしいのは世界が安定しているということじゃないのか? お前らにとっても願ったり叶ったりだろ。


「……そうです。我々も涼宮さんの心が安定することが世界の安定だと信じていました。だから、彼女が不機嫌になるたび奔走していたのです。彼女が落ち着かせるために。しかし、その不安定さは必要なことだったんです。そんなことに彼女を失ってから僕は気付いたんですよ。とんだ間抜けです」


 どういうことだ?


「宇宙が存続するためには神たる存在の心情が動き続けなくてはいけなかったということですよ。流れる水は腐らず、淀む水には芥溜るというやつです。涼宮ハルヒの潮流が失われた今、ナツホさんの凪を解消しなければならない。彼女には涼宮ハルヒに代わり潮流を起こしてもらわないといけないんです」


 勝手なことを言ってるな。宇宙存続のためにナツホの心をかき乱せってのか?


「勝手なことは承知です。あなたが不快に思うのも当然でしょう。しかし、必要なんです。できればあなたの力もお借りしたいところですね」


 古泉はまたも肩をすくめていた。


「さて、もう日も沈みそうです。帰ることにしましょう」


 俺たちが橋を下るとそこにタクシーが用意されていた。ずっと待っていたのか?

 ご丁寧に俺を家まで届けてくれるらしい。古泉との会話で頭がショートしそうな俺は車中にいる間、風景を眺めて頭をクールダウンさせていた。家に到着し、俺がタクシーを降り別れる間際、古泉が声をかけてきた。


「そうそう。最後に申し上げておきますよ」

「なんだ?」

「ナツホさんの凪を解消しようと我々は動いていると言いました。しかし、我々は決して過激なことをしてまで解消しようとは思っていません。なるべく穏便に済ませたいんですよ。しかし、そうは思っていない勢力がいるのもたしかです。悪い風を吹かせてでもナツホさんの心に波風を立てようとしている者たちもいます。気を付けてください。もちろん可能な限り僕も手を尽くしてはいるのですが、あなたやナツホさんを完璧に守れるわけではありませんから」


 そう言い残して古泉を乗せたタクシーは去っていった。

 去り際に不穏なことを言いやがって。その夜、俺は寝付くのに時間がかかっちまった。

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