第6話

 翌日、7月7日七夕の放課後。オレは鈴宮ナツホの言うとおり、笹の葉に付けるための装飾品を持ってSOS団のアジトと化した文芸部室を訪れていた。昨日、妹に折り紙を譲るよう話すと、『わたしもつくるー』と言って張り切りだしたので俺は全て作らせることにした。おかげで自分の力を労すことなく飾りを手にすることに成功したのである。ナイスだぞ、妹よ。今度、アイスクリームを奢ってやろう。


「アンタにしては色々種類を作ってきてるじゃない?」


 ナツホは俺が机の上に広げた折り紙の装飾品を見てつぶやく。ああ、俺の妹は意外にも折り紙が得意らしく、鶴やらカメやら様々な形に折ってくれたからな。団長様のお眼鏡に叶ったなら何よりだ。だが、『アンタにして』はという言葉は余計だろう。


 団員5人で竹に装飾をくっつけ窓際に立てると、ナツホは意気揚々と口を開いた。


「さ、願いを書きなさい!」


 俺たちはそれぞれに短冊に願いを記して竹に括りつける。朝比奈さんは『お裁縫がうまくなりますように』、『お料理が上手になりますように』と、実にいじらしいことを依頼していて、短冊をおがむようにして手を合わせて眼をつむった。何か勘違いしてるっぽい。


 長門は長門で味気なく、『調和』、『変革』という殺風景な二文字をフォントのような楷書で書いたのみである。というかそれは願いなのか? こいつも何か勘違いしているようだ。あと、短冊でくらいもう少し文字数を稼いだらどうだ。ただでさえ普段無口で原稿用紙一行分にも満たない言葉しか発していないんだからな。文章でくらい饒舌になってもいいだろう。


 古泉はこれまた、長門と似たりよったりで『世界平和』、『家内安全』なる四文字熟語を意外に乱暴な筆致で記していた。


 俺? 俺もまたシンプルさ。


『小遣い上げろ』

『原付での登校を認めろ』

「何を書いてんのよ……」


 うるさい。お前の定めたわけのわからん罰金制度のおかげで俺の台所は火の車なんだ。あと慣れてきたとはいえ、ハイキング通学路なのに原付どころか電動自転車も校則で禁止にされているのは不合理だ。そんなことは直接職員室に言えだと? 俺はナツホと違って常識は持っているのさ。男子生徒一人が騒いだところで校則が変わることはない。だからこうして神に直談判しているのだ。


 最後にナツホが笹に短冊を括りつける。


『世界があたしを中心に回るようにせよ』

『地球の自転を逆回転にして欲しい』


 お前の方こそ、何を書いているんだ。それは笑うところなのか? 突っ込んでやるのが正解なのか? しかし、ナツホの表情は真剣そのものであった。ブラックホールのように真っ黒な瞳で短冊を見ているのがその証拠である。


「みんな、ちゃんと書いた内容を覚えておくのよ。誰の願いを彦星だか織姫だかが叶えてくれるか勝負よ!」


 朝比奈さんが真面目な顔で頷いているのを窺いながら、俺はパイプ椅子に腰を落ち着けた。長門もとっくに読書に戻っている。この勝負、少なくともナツホが勝つことはないに違いない。もっとも、勝ち負けをどうやって判定するんだろうな。判定するにはあまりに抽象的な願いが多かったと俺には思えたぜ?


 団員限定七夕祭りが終わるとナツホは団長席で頬杖をつくと窓の外を眺めている。その横顔はどことなく憂いの成分が含まれているように見えて俺は少々戸惑った。さっきまでいつものように騒いでいたのに。たく、いつもそれくらいのテンションでいたらお前は一美少女なんだ。男前の彼氏もすぐ出来て楽しい学生生活を送れると思うぜ?


 いつもより憂鬱そうなナツホを他所に、俺たちはいつも通りの日常を送っていた。朝比奈さんはメイド姿でお茶をくみ、長門は窓際のパイプ椅子に座って分厚い百科事典の様な小説のページを捲り、古泉と俺はボードゲーム同好会になっていた。


 ……なんだろう、この違和感は。あまりに普通だった。その普通が違和感だった。オレは何かを忘れているような奇妙な感覚に陥る。実を言えば、この感覚に陥るのは今日だけじゃない。ここ一カ月半ずっとだ。オレはもっと奇妙なことに巻き込まれていたはずだったような気がする。自分でも何でそんなことを思うのかわからない。だが、なにかもっと大事の当事者になっていたような……、そんな気がするのだ。


「今日は帰る」


 俺の思考を遮るようにナツホは憂いの成分を含めた表情のまま声を発して、部室を後にした。

 長門も本をパタンと閉じる。


「それでは僕らもおいとましましょう」と将棋の結着を付けないまま古泉が立ち上がる。長門と朝比奈さんも帰りの支度を始めた。

「……今日も何もない一日でしたね」と古泉が将棋の駒を片付けながら語りかける。

「七夕をしたじゃないか」

「そうではありません。もっと非現実的なことを僕は望んでいたのですが……。どうやらそれは叶いそうにもありません」


 古泉は長門や朝比奈さんにも目配せする。昨日も同じようなことをしていたな。


「なんだ? お前もナツホと同じく宇宙人、未来人、超能力者、異世界人とお友達になりたいとでもいうのか? 正気とは思えん」

「……そうですか……」


 古泉は困ったように笑う。少し悲しみの感情を内包しているように見えたのは俺の勘違いだろうか。心なしか朝比奈さんも長門も落胆しているように感じられる。みんな鈴宮病にかかり過ぎだ。そんな非現実的なことはそうそう起こらないんだよ。ましてや一般的高校生である俺達のもとに訪れるはずもない。オレは何か言いたそうな3人を置いて部室を出た。もちろんその日も俺の身に映画的、特撮的、アニメ的不思議現象が襲いかかってくることはなかった。


 ……俺は知らなかったんだ。今日、何も起こらなかったことが引き金になっているなんてな。

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