彼と彼女の怖いもの②
タオルを巻いたまま湯船に浸かり、遥は目を閉じた。
精神統一。
煩悩退散。
なにせ、タオルを巻いているとは言え、これからあの雪季が、裸で、ここへ来るのだ。
問題はそれはもういろいろと思いつくが、今さら言っても仕方がない。
腹を括ろう。
遥はぺちっと頬を叩いて、深呼吸をした。
“コンコン”
ノックの音に、遥はビクッと肩を震わせた。
統一したはずの精神が一瞬でバラバラになり、半パニック状態になる。
「……いい?」
「あ、お、お、おお! ど、どうぞ!」
途端に強い後悔に襲われる。
が、もう遅い。
すでに追い詰められていた。
ガラッと折り畳み式のドアが開き、雪季の姿が現れる。
当然ながら、雪季はしっかりとタオルを身体に巻いていた。
が、かと言って何も平気なことはない。
照れたように染まった頬。
透き通る白い肌。
脇の高さまで巻かれたバスタオルとの対比が眩しい、艶のある黒い髪。
細く、しなやかな脚が伸び、その付け根のわりと際どいところで、短すぎるスカートのようにタオルが終わっている。
やっぱり、ダメだった。
可愛すぎるし、刺激が強すぎる。
遥は二人がすっぽり入るくらいの浴槽の奥に身体を寄せ、膝を抱えるようにして小さくなった。
とてもじゃないが、雪季の方を向くことはできない。
ちゃぷん、という音とともに、湯船の水かさが増す。
身震い一つせずに固まっていると、背中に雪季の息らしい風がかかった。
「……遥」
「な、な、なんでしょう……」
「……ん、こっち向いて」
「な、なぜ!」
「ん、寂しい。早く」
「さ、寂しくないだろ! 近いんだから!」
「寂しいー」
甘えたようにそう言って、雪季はあろうことか背中から抱きついてきた。
水の音と雪季の息遣いが浴室内に反響して、夢を見ているような気持ちになる。
「ちょっ! 雪季! こら! 離れなさい!」
「やーだー。ぎゅー」
「ひぃぃい」
情けない声が出た。
タオル越しに雪季の肌の感触が伝わってくる。
普段パジャマ同士でベッドでくっつかれるのとは、さすがにわけが違った。
「さ、先シャワー浴びるから!」
「えー。……もうちょっとくっつこ」
「ダメ!」
シャワーの温度を調節して、遥は急いで湯船から出た。
椅子に座り、シャワーを浴びる。
ちらっと見ると、雪季は浴槽から、物足りなさそうにこちらを見つめていた。
「……なんだよ」
「ん、遥、かわいい」
「かわいい言うな!」
「照れてる。かわいい」
「だぁーー! やめろやめろ!」
シャワーを一瞬だけ雪季に向けて、仕返しのつもりで水をかけてやる。
雪季は目をつぶってそれを受けたが、怒った様子もなくじっとこちらを見ていた。
むしろ、髪が濡れてしまったことで雪季の色っぽさが倍増してしまった。
自分でもわかるくらいに顔を赤くして、遥は誤魔化すように頭からシャワーを浴びた。
「……遥」
「……な、なんだよ」
「……これ、身体洗えない」
「……え?」
「……タオル巻いたままだと」
「…………あっ!!??」
「……あーあ」
「うわぁぁぁあしまったぁぁあ!!」
遥は濡れた頭を抱えて叫んだ。
考えることが多すぎて、ものすごく単純な見落としをしていた。
たしかにこのままでは、身体を洗うことができない。
「……ん、仕方ない」
「……ど、どうするんだよぉ」
「ん、タオルを」
「脱ぐのは無しだからな!」
「……じゃあお手上げ」
「諦めるなって!」
思考を落ち着けるためにも、遥は一度シャンプーを手に出した。
髪を洗いながら、対策を講じる。
あーでもない、こーでもない。
当然ながら、何もアイデアは浮かばなかった。
“チュッ”
「ひぃぃぃい!」
突然腕に柔らかいものが触れて、遥はまた叫んだ。
泡を流しながらなんとか薄目を開けると、いつのまにか湯船から出た雪季が、すぐ隣で二の腕にキスをしていた。
「こ、こら! なにしてんだ!」
「ん。味見」
「アホか!」
「んー。せっかくだし、イチャイチャしよ」
「今大変なんだぞ!」
「ん、どうせ、いつかはこうなる」
「でもまだなの!」
「むー」
雪季はとても不服そうだった。
頬を膨らませながら、短いキスを何度もしてくる。
遥はなんだか愛しく、それから申し訳なくなってしまって、雪季の顔を両手で包んで、一度だけくちびるにキスをした。
いつもより、少しだけ長いキス。
顔を離すと、雪季は潤んだ瞳で遥を見ていた。
「……雪季、ごめんよ。気持ちは嬉しいし、俺も雪季のことは好きだけど、やっぱりまだ……」
「んー!」
言い終わる前に、雪季はタガが外れたかのように思いっきり抱きついてきた。
危うくバランスを崩しそうになりながら、遥はそれを受け止める。
「こ、こら! 雪季!」
「好き! 遥! 好き好き!」
「うわぁぁあ」
まさかの逆効果だった。
ちゃんと話せばわかってくれると思ったのに。
いや、考えてみれば、そうか。
遥はわかってしまった。
この状況に置かれて、自分でもいろんな感情を抑えるのに必死なのだ。
あれだけ積極的な雪季が、平静を保っているという方が無理があった。
なにも雪季は、ただ積極的で、恥じらいがないわけではないはずだ。
雪季にだって欲があって、興奮があって、しかもそれは遥の数倍強いはず。
ひょっとすると雪季は、遥が思っているよりもずっと、自分を抑え込んでいたのかもしれない。
「遥! 好き! 大好き! 遥!」
「ちょっ! 落ち着け! 雪季!」
付き合う前によく見た、獣のような目。
息を荒くして、今にも食べられそうだった。
「もう、タオルいらない」
「バカ! いる! タオルだけはいる!」
「脱ぐ! 遥も脱いで!」
「やめろ! 脱ぐな! 脱がせるな! こら!」
自分のタオルと、雪季のタオル。
二枚を守りながら、遥は必死になって雪季を宥めた。
いったい、自分はなにをやっているんだろうか……。
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