【リクエスト】彼と彼女の怖いもの①


「ただいまぁ」


 自宅のドアを開け、玄関で靴を脱ぐ。

 が、いつもと様子が違う。

 遥は首を傾げながら台所で冷えた麦茶を一杯飲んだ。


 雪季が、出迎えに来ない。

 来て欲しい、というわけではない……いや、正確には来て欲しい。

 が、来ないことに怒ったりしたわけではなかった。

 ただ、雪季は付き合う前からずっと、バイトから帰宅した際は必ず出迎えてくれていた。


 少し、心配になる。

 怒っている? それとも、家にいない?

 しかし、リビングの明かりはついている。

 なんなら、テレビの音も聞こえていた。


(おかしいな……)


 そう思いながらも、遥はリビングへ。

 ドアを開けると、雪季は普通にそこにいた。

 が、こっちを見ない。

 かじりつくようにテレビに見入っていて、遥の帰宅にも気づいていないらしかった。


「……雪季?」

「ひっ!!」

「うぇっ!? な、なんだよ……」


 肩を弾ませて驚いた雪季の反応に、思わず遥も驚いてしまう。

 振り返った雪季は遥と目が合うと、ものすごい勢いで抱きついてきた。

 後ろに倒れそうになりながらも、なんとか受け止める。

 いったい、どうしたのだろうか……。


「ゆ、雪季? いきなりどうした?」

「……あれ」


 雪季は遥の胸に顔を埋めたまま、テレビの画面を指差した。

 そちらを見ると、何やら画面の中が薄暗い。

 テロップを確認して、遥はなんとなく合点がいった。


『夏の恐怖映像50連発!!』


 ホラー番組だ。

 しかも流れている映像を見る限り、かなり本格的。

 というか、これは……。


(……作り物っぽいな)


 たしかに怖いし、不気味だ。

 が、よくできている、というのが遥の感想だった。


「これ、見てたのか?」


 コクコクと頷く雪季の身体は震えていた。

 涙目になりながらも、片目だけでまだ映像を追っている。

 これが怖いもの見たさというやつなのだろうか。


(これに集中してたのか。それにしても雪季のやつ、ホラー苦手なのか?)


「遥ぁ、遅い……」

「いや、ごめんごめん。ちょっと、先輩と話してて」

「遅いぃぃ……」


 抱きしめる力をぎゅーっと強めながらも、雪季はテレビから目を離さない。

 50本あるらしい映像も、残り10本のようだ。


「もう夕飯食べたか?」


 またコクコク。

 どうやら一人で済ませたらしい。

 遥も自分の夕食を用意することにする。


「えっ……! どこいく?」

「キッチンだけど?」

「やだ! 怖い!」

「ええ……じゃあ見るなよ……」

「……見る」


 見るんかい。


 心の中でツッコミながら、嫌がる雪季を宥めて夕食の準備をする。

 今日は冷凍パスタ。

 まあ、こんな日もあるだろう。


 解凍が終わってリビングに戻り、テーブルにつく。

 と、すぐに雪季が後ろから抱きついてきて、遥の肩越しにまだテレビを見ていた。


 仕方ないので、遥も一緒になって映像を見ることにする。


「うおっ!」

「ひぁぁぁあっ!!」


 びっくり系の映像に、作り物とわかっていても声が出る。

 しかし、雪季の驚きようはそれどころではなかった。


「遥! 遥!」

「わかったわかった。落ち着け」

「もうやだ! 終わりまだ!?」

「だから、見なきゃいいだろ……」

「……見ちゃう」


 見ちゃうんかい。


 結局、何度も叫ぶ雪季に呆れながらも、遥は食事を終えた。

 ちょうど番組も終わり、雪季も少しだけ落ち着きを取り戻した。


「ごちそうさまでした。風呂入ったか?」

「……まだ」

「そっか。先入るか?」

「……ううん」

「……俺が先でいいのか?」

「……ううん」

「えぇ……」


 支離滅裂な返答をする雪季。

 つまりどうすればいいと言うのだろうか。


「……一緒に入る」

「アホか!!」

「アホじゃない! 入るぅ!」


 抱きついたまま、ゆさゆさと身体を揺らす雪季。

 絶対に離れない、という意思が伝わってくるようだ。


「ダメに決まってるだろ! バカなこと言うんじゃありません!」

「やだぁー!! 一人で入れない! 怖い!」

「じゃあ今日はお風呂やめときなさい!」

「やだ! 待つのも怖い!」


 遥は雪季に抱きつかれたまま、着替えとタオルを持って無理やりリビングを出た。

 が、雪季はサッと遥から離れると、目にも止まらぬ速さで自分の着替えとタオルを集め、また遥にしがみついてくる。


「こら! やめろってホントに!」

「やだぁー! 恋人なんだから平気!」

「段階ってもんがあるの!!」

「良い機会!!」

「良くない!!」


 風呂場のドアの前で、良い、良くないの応酬。

 今度は正面から抱きつかれて、いよいよラチが開かなかった。


「遥ぁ……お願いぃ」

「うっ……」

「……タオル巻くから」

「そ、そういう問題じゃ……」

「……じゃあ巻かない」

「巻け!! おバカ!!」


 そんなことを言いながらも、雪季は本気で涙目になっていた。

 腕の中から、懇願するような表情で遥を見上げてくる。


「……あのなぁ、雪季。そんな簡単に……」

「簡単じゃない! 遥となら良い! 好きだから! 遥は……イヤ?」

「うぐっ…………」


 思いのほか、雪季は切羽詰まったような雰囲気だった。

 もしかすると、怖いから、以上のものが雪季の心の中にはあるのかもしれない。


 たしかに雪季と付き合ってからというもの、進展を望む雪季に対して、遥は一向に前に進もうとしていなかった。

 時間が、タイミングが、ということを言っても、ではいつならいいのか、と聞かれると何も言い返せなくなる。


 結局自分は、そういうことから逃げているだけで、雪季の気持ちを考えられていないのかもしれない。

 ただ、それでも遥は本当に、雪季との関係を軽々しいものにしたくはなかったのである。

 その気持ちも、雪季にはわかって欲しかった。


「……イヤじゃない。雪季のことは好きだけど、そうじゃなくて……」

「ん、じゃあ、一緒にタオル巻こ」

「こら! 強引に行くな!」


 ドアを開けて、中に引っ張り込もうとする雪季。

 ついに強行策にでたらしい。


「わ、わかったわかった! でもこれじゃ、服脱げないだろ! 一旦出るから、先に入ってくれ!」


 押し切られる形で了承してしまう。

 この先もこういう感じなのかなぁ、と遥はため息の出る思いだった。


「……遥が先に入って」

「あー、もう、わかったよ。ちゃんとタオル巻いてくるんですよ! いいですね!」

「…………ん」

「返事までが長い!? マジで頼むぞ……。怒るからな、ホントに」

「……わかりました」


 あくまで、雪季が怖いと言うから。

 あくまで、今日だけ。

 あくまで、それだけ。


 遥は何度もそう唱え、心を落ち着けた。

 深く息を吸って、ゆっくり吐く。


 よし。

 覚悟は決まった。


「遥?」


 タオルを身体に巻いて、いざ浴室へ!

 そう思ったとき、ドアの向こうから雪季の声がした。


「な……なんだよ」

「…………えっちなことする?」

「しねぇよ!!」


 一度決まった覚悟が崩れそうになり、遥はもう一度、丁寧に息を整えた。


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