病弱男子、今日は一人です
「……はぁ」
バイト先の休憩室で、遥は肩で息をしていた。
「……なんだろ、これ」
どうにも気分が優れない。
身体がダルく、寒気もする気がする。
雨に濡れて風邪を引いたのも、そんなに前のことではないのだが。
おかしいな、と思いながらも、自分の額に手を当ててみる。
熱は高くはなさそうだが、やはり体調の悪さは否めない。
特別原因が思いつかず、遥は頭を揺らしながら腕を組んだ。
「……うぅん」
さっきまでの勤務時間中も、遥はそこそこに無理をして売り場に立っていた。
しかし集中力を欠くせいで小さなミスを連発し、相田や橙子に心配されてしまう始末。
この休憩も、気を使ってくれた先輩に半ば無理やり行かされたようなものだった。
「……まずいぞぉ」
意識的に声を出してみるが、やはり元気は出なかった。
それどころか、一度座ってしまったことで気持ちが切れたのか、どんどん身体は重くなっていく。
遥は目を閉じた。
とりあえず、休憩の間に出来るだけ体力を回復しよう。
バイトもあと三時間ある。
店に迷惑を掛けないためにも、早退だけは避けたい思いの遥だった。
◆ ◆ ◆
「ハルちゃん、マジでやばくね?」
閉店までのシフトになっていた相田と橙子に挟まれて、遥は机でぐったりとしていた。
吐き気、寒気、頭痛。
体調不良のオンパレードによって、ついにダウンしてしまったのである。
「帰れるのか?」
「……そんなに遠くないので、なんとか」
「歩き、だよな?」
「はい……。まあ、ゆっくり帰ります……」
「遥、無理は良くないよ……」
橙子の手が額に伸びてくる。
幸い、未だに熱はないらしい。
「どうしたものか……」
「俺は電車あっからなぁ……送ってくだけならなんとかなるけど」
「家に着けば雪季がいるんだろう? それなら……」
「……あはは、実は」
タイミングの悪いことに、雪季は今日、絢音や都波と一緒にるりの家にお泊まり会へ出かけていた。
以前にプチ家出をしたことがある雪季を心配はしなかったが、まさか自分の方に問題が起きてしまうとは……。
「そ、それじゃあ、帰ってもひとりなのか?」
「はい……。まあ、どうせ寝るだけですし大丈夫ですよ……ひとりで」
言いながら、足を伸ばして立ち上がってみる。
軽い目眩はあるが、歩けないことはなさそうだ。
「……お二人とも、どうぞ帰ってください。平気ですから、俺……」
「ホントかよ……」
「雪季に連絡はつかないのかな?」
「いや……せっかく友達と遊んでるので、余計な心配かけたくないんです。今から帰ってくるなんて、かわいそうですから……」
「そうは言ってもだな……」
身体に気合を入れて、遥はグッと背筋を伸ばした。
あまりつらそうにしていては、相田と橙子のことも引き留めてしまいかねない。
「……うん、大丈夫です。さあ、帰りましょう」
「……わかった、途中までは私が送っていくよ」
「頼むぞ、橙子」
「はい」
さすがに橙子の申し出を断る元気はなく、遥は無言で頭を下げた。
◆ ◆ ◆
「……すみません、橙子さん」
「気にすることはない。それにしても、よく体調を崩すね。前に風邪を引いたところだろう?」
「はい……なんででしょう? あはは……」
普段よりゆっくりとした速度で歩く遥を、橙子は両手で横から支えていた。
帰り道が別れるところまでは、できるだけ遥の力になろう。
好きな相手だということはひとまず忘れて、橙子は先輩として後輩を心配していた。
「……うぅ」
「だ、大丈夫か? どうした?」
「気持ち悪い……」
不意に苦しそうに顔を歪めて、遥はついにその場にしゃがみ込んでしまった。
弱々しいうめき声をあげ、汗もかいているように見えた。
「遥……」
橙子はただ、背中を撫でてやることしかできなかった。
しゃがむ遥の横について、ゆっくり何度も背中をさする。
ひとりで帰れるだろうか……。
遥の家の具体的な場所はわからないが、道が別れるのもそう遠くはない。
もし、自分と離れた後で遥がひとりで倒れてしまったら……。
橙子は胸が締め付けられる思いになり、今度は遥の頭を撫でた。
「……家まで送っていこうか?」
下心があったわけではない。
が、そう思われる覚悟はしていた。
ただ今の橙子には、とにかく遥が無事で帰宅できることが大切だったのである。
しかし、恋人がいる男に対して自分から、家まで行く、とは言えない。
遥が首を縦に振ってくれることを祈って、橙子は遥の横顔を見つめた。
「……あはは、じゃあ、家の前まで、お願いしてもいいですか?」
「あ、ああ! もちろん! それまで頑張るんだよ、遥……」
ゆっくり立ち上がった遥をまた支えて、橙子は複雑な思いで歩みを進めた。
雪季には後で、ちゃんと話さなければ。
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